第2章・1−8
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「じゃあ、私といっしょにお風呂に入って、それから陽太郎の家に帰ろうか?」
私が投げやりな提案をすると、陽太郎は首の後ろを掻いた。笑みを引っこめて、「うーん……」と否定的にうなる。
「笹ちゃんとお風呂はちょっと遠慮したいかなぁ……」
「そうだよね、陽太郎は男が好きだもんねぇ」
しれっと発言した私に、陽太郎は「そうそ……」と途中まで言いかけた。陽太郎の襟足をいじる手が止まる。
「……じゃなくて! ちょっと待って、どうしてそういうことになってるわけ?」
陽太郎がわざとらしい笑顔を作り、私の肩に勢いよく片手をかけてきた。わざとらしく重圧までかけていた。
気心が知れているというか、互いに本音がだだ漏れなせいか、陽太郎の動作にはまったく遠慮がない。
女子が苦手なくせに、陽太郎は私には平気で触れてくる。つまり、陽太郎は私のことを女だとは思っていないようだ。
別に、それはそれで構わないけれど。変に気をつかわれても、かえって肩が凝りそうだから。
「どうしてでしょうねぇ?」
私は陽太郎に気のない口調で問い返して、のらりくらりと質問をはぐらかそうとした。
そういえば、陽太郎の口角は上がっているのに、目は笑っていないように見える。同性愛疑惑については触れられたくないのだろうか。
もっと相手をからかってやろうと考えた私は、露骨に陽太郎から視線をはずした。
「陽太郎ってさぁ、いつもジーパンがパツパツだよねぇ……」
「そ、そんなことないよ!」
私がぼやくと、陽太郎はもとより大きな目を見開いて、ひっくり返った声を上げた。
どうやら、陽太郎自身にもジーパンが細身すぎる自覚はあったらしい。だったら太めのズボンを買えばいいのに、と思わなくはない。
ちなみに、今陽太郎がはいている制服のズボンは、さすがに余裕がある。陽太郎は筋肉質だけれど、デブではないのだ。
「あ、ごめん、やっぱり俺のジーパンはパツンパツンだよ……」
視線を正面やや上に戻すと、陽太郎はがっくりとうなだれていた。私の発言に、地味に傷ついたらしい。
もしかして、陽太郎のジーパンのサイズがギリギリであると、周りの人間が気づいてないとでも思っていたのだろうか。陽太郎は変なところで抜けているし。
私は陽太郎をじろじろと観察し続ける。
陽太郎は拳を握り締めると、急に顔を上げて、目をくわっと見開いた。
「でも、ジーパンがパツパツになったのは最近だよ! なにもしてないのに太ももに筋肉がついて、ジーパンのサイズが合わなくなっちゃっただけなんだ!」
必死に弁明しながら、陽太郎は猛烈な勢いで私の身体を揺さぶってきた。
「っていうかなんで、笹ちゃんは俺から目をそらすの? 猛烈な悪意を感じるんだけど? 笹ちゃんって地味に性格悪いよね! やっぱり黒髪ストレートだから計算高いの!?」
「陽太郎、わけがわからないよ……」
どんどん話が飛躍していく陽太郎を、私は落ち着いた口調で諌めた。
陽太郎に上半身をシェイクされながらも、私は冷静な態度を保ち続ける。
「どうして自然に筋肉が増えるのかわからない……絶対鍛えてるでしょ……。その顔でガチムチだと、完全に男好きにしか見えないんだけど……」
「勝手に決めつけないでよー!」
さらに私が言葉を続けると、私の肩をつかむ陽太郎の両手に力がこもった。正直痛いけれど、陽太郎に言ったところで今は無視されそうだ。
「俺だって好きで筋肉質になりつつあるわけじゃないんだよ! むしろ華奢でスレンダーなモテカワスリムなカワイイ系男子になりたいのに、生まれ持った骨格がそれを許さない……!」
陽太郎はまくし立てた後、悔しそうに言葉尻を詰まらせた。さりげなく珍妙な単語を口走っているけれど、陽太郎に自覚はあるのだろうか。
私はさめた目を陽太郎に向けた。
「自分のこと『カワイイ系』とか言っちゃう男の人って……」
「いや、『カワイイ系』はただの目標だからっ! つーかちょっと黙ってよ笹ちゃんそろそろウザいー!」
ぼそぼそとした語調で私が陽太郎を責めてみると、陽太郎は早口で要望をぶちまけてきた。
いつの間にか、陽太郎の目元だけではなく口元まで、笑みの色が消えていた。
作り笑いをする余裕がないのか。それとも、ただ単に部活帰りだから私とたわむれる元気が残っていないだけか。
そろそろじゃれ合いをやめないと、陽太郎にぶん殴られるかもしれない。陽太郎は本当に容赦ないし。
私は無言でうなずき、口元を引き結んだ。
素直なのが私の美点だと思う。そう陽太郎に告げたら、満面の笑顔でスネを蹴られそうだけれど。
陽太郎は私が口を閉じたのを確認すると、表情を緩めながら、私の肩から手をどけた。
「今日の笹ちゃん、あんまりしつこくないね」
「そうかなぁ……」
私はすっきりしない調子でつぶやきながら、首をひねる。
すっとぼけてはみたけれど、今日の私が妙にあっさりとしている原因に、心当たりはあった。
たぶん、昼間、城戸にしつこく絡みすぎて、怒らせてしまったからだ。相手の機嫌を損ねないよう、無自覚のうちに気をつかっていたのだろう。
城戸の神経を全力で逆撫でしてしまったのは、さすがに失敗だったと思っている。
陽太郎は腑に落ちない顔をしながら、私の額に手を伸ばしてきた。
「笹ちゃん、熱でもあるんじゃない?」
皮膚の厚いざらついたてのひらが、私の前髪を払って額をぴったりとおおう。城戸とは違い、じんわりと熱を帯びたてのひらだった。
「んー……わかんないや」
陽太郎は眉間にしわを寄せながら、小さく首を傾けた。
私は肩をすくめる。
「つまり平熱ってことでしょ」
「そうかもね」
陽太郎は私のそっけない台詞に同意すると、さっさと手を引っ込めてしまった。