第1章・2−4 

「あー、もう、手間かけさせないでよぉ……」
 文句をこぼしながらも、私は無事に五枚の商品券を回収した。商品券を封筒に戻しながら、城戸のほうを振り返った。
 さて、今度こそ城戸に商品券を押しつけないと……。

 私の背後にはだれもいなかった。つまり、城戸が消えた。
 人気のない校舎裏に、風が吹き抜ける。
「あれ……?」
 商品券を握りしめながら気合を再充填していた私は、思わず間の抜けた声をあげてしまった。
「城戸、どこに行った?」
 首をひねりながら、私は校舎裏の中庭側に目を向ける。
 二十メートルくらい先に、去りゆく城戸の背中が見えた。
 どうやら、城戸は私になんの言葉もかけずに、勝手に帰ろうとしているらしい。用事はまだ済んでいないのに。

「ちょっと待って、城戸!」
 私はすぐさま城戸の名前を叫んだ。次の瞬間には、城戸を追いかけるために走りだす。
 もちろん、私がいくら「待って」と頼んだところで、城戸は立ち止まったりはしない。私の存在を完璧に無視して、すたすたと足を進めていくだけ。
 ……なんか、昨日も似たような状況に遭遇した気がする。これがウワサの「デジャヴュ」という現象だろうか。

 私は逃げるように歩く城戸の背中に迫りながら、大きく息を吸いこんだ。
「私、城戸に言わなきゃいけないことがあるの!」
 校舎裏全体の空気をびりびりと震わせるような大声で、私は城戸に訴えた。
 私の声質そのものわりとは低めで、通りはあまりよくない。けれど、声量があるからか、さすがによく響いた。

 私の声の大きさにびっくりしたのだろうか。城戸はびくりと肩を震わせて、立ち止まった。
 次の瞬間、おそろしい勢いで私を振り返ってきた。剣呑な光をはらんでいる城戸の両目が、今は大きく見開かれていた。
「なんだ、ちゃんと私の声が聞こえてたんだね……」
 私は半ばひとりごとのようにしゃべりながら、頬を緩ませた。
 中学時代に水泳部で鍛えた腹筋が、ようやく役立つ時がきた。今は帰宅部だから、泳ぐための筋肉はとっくに退化しているような気もするけれど。
 ちなみに、「城戸に言うべきこと」なんて、本当は存在しない。城戸の気を引くための、ただの方便だ。

 城戸はしばらくのあいだ、驚いたような顔をして私を見つめていた。やがて、我に戻ったかのように、普段の冷然とした顔付きに戻る。
 私と城戸との視線が、再び絡みあった。城戸の熱の感じられない瞳に、なぜか私の胸が高鳴る。
 城戸は私を無視するのは諦めたらしい。目をそらさずに、ゆっくりと私に向き合った。
「……なに?」
 重々しい声調で、城戸は私に短く問いかけてきた。私に質問することさえ、不本意そうな表情だった。
 私は無言のまま、城戸に意味深なほほえみを返した。
 商品券をスカートのポケットにしまいながら、城戸にゆったりと歩み寄る。

 城戸の半径一メートル以内に足を踏み込み、神妙な表情を作りながら城戸の顔をのぞきこんでみた。
 いつもニヤニヤしているからだろうか。腹筋から力を少しでも抜いたら、今すぐにへらへらと笑い出してしまいそうだった。
「なんだよ……」
 きわめて真面目な表情をしている私に、城戸がたじろいだ。城戸の不愉快そうな面持ちに、戸惑いの色が混ざり始めている。

 私は口元を引き結んだまま、城戸をじっと見つめた。相手をじらしている……と見せかけて、なにを言おうか必死に考えていた。
 せっかくだから、なにか城戸のド肝を抜くような台詞を口にしてみたかった。
 私は城戸のきょとんとした顔を見たいのだ。城戸の毒気の抜けた表情は、普段の気難しそうな顔付きとは全然違って、すごくすごく魅力的だ。
 それに、相手の予想を超えるような発言をして、相手を圧倒しておけば、今後ますます城戸に対して私は優勢になれるだろう。単純に、相手を驚かせるのは楽しくもあった。
 とにかく、私はどんな手段を使ってもいいから、ツンケンとしている城戸を支配してみたくてしょうがなかった。
 強情そうな城戸の心に、私の存在を刻みつけてやりたかった。
 城戸のいろんな表情を、この手で引き出してみたかった。

「あの、さぁ……」
 私は燃え上がる胸の内を隠しながら、恥じらうように視線をつま先に落とした。お腹の前で手を組んで、落ち着かないふりをしてみたりする。
 果たして、城戸の目に、私の姿がかわいらしく映るかどうかは謎だけれど。城戸は女に騙されそうにないし。そもそも、私に城戸を騙せるだけの技量と器量があるかどうかもわからない。
 ひたすら想いを告げる行為をためらうふりをする私に、城戸はなにも言ってこなかった。演出のために視線を泳がせているせいで、城戸がどんな表情をしているのかさえわからなかった。

 やがて、私は決意を固めたふりをして、まっすぐに城戸の顔を見上げた。気合を入れるように、わざとらしく息を吸い込む演技をする。
 さっきまでけたたましく鳴いていた蝉の声が、いつのまにかに途切れていた。
 でも、私と城戸しかいない校舎裏は、決して無音ではない。
 ぬるい風が吹き抜け、校舎裏の緑がざわりざわりと音を立てている。
 私は緊張しているそぶりを続けながら、こっそりとつばを飲み込んだ。
 あたりが静まり返るまで、ちょっとだけ待ってみようと思った。私の台詞を印象づけるためにも、演出は大事にしなければ。

 やがて、木々のざわめきが途切れた。
 同時に、私は口を開いた。途端に、城戸に伝えてみたい言葉は、自然と口から流れ出してきた。
「好きです。屈服されてください」
 ゆっくりと噛み締めるような口調で、私は生まれて初めて「告白」をした。

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