小さな背中に捧げる恋のうた
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「そういえばあんた、新しい相手いるでしょ……」
巨乳さんが桐生さんに向かって、たぶんそんなふうなことを言った。僕がいるところからでは、はっきりと聞き取れなかったけど。
でも、その瞬間、桐生さんの雰囲気が変わったのはわかった。過冷却した水に振動を与えたときのように、ゴミ捨て場の空気が一気に凍りつく。
巨乳さんがびくりと肩を震わせた。一歩、二歩と後ろに下がるが、ゴミ袋に邪魔されてそれ以上後退できなくなってしまう。
桐生さんがなにかをつぶやいている。
巨乳さんは桐生さんを精いっぱいにらみつけているけど、先ほどまでの覇気は感じられない。ネズミに追い詰められた猫のようだった。
「で、でも、あんたがあの人を気に入ってるのは確かよね? 最近妙にべったりだし。……むしろ、あの人があんたを気に入っているのかもねぇ。やったじゃない、桐生」
巨乳さんは身を堅くしながらも、嫌みったらしい口調で桐生さんに言葉を投げかける。だけど、巨乳さんの表情は、死相が浮かんでいると見まがうほどに硬直していた。
「でもさぁ……あたし、気にくわない。ひとに呪いかけているくせに、なに浮ついてるの?」
巨乳さんが声を低めてそう言うと、今度は桐生さんの動きが止まった。巨乳さんも無言で桐生さんの様子をうかがう。
二人の間に流れる静寂がじわじわと周囲を浸食し、隠れている僕にまで到達してきた。息が詰まるような、冷たい空気。
いったい、二人はなんの話をしているんだ? 「あの人」ってだれ? 僕……かなぁ。
首をひねりながらも、僕は息をひそめ、耳に全神経を集中させる。
「……あんたとあの人、引きはがしてやりたい」
不穏なまでな静けさを破ったのは、巨乳さんだった。瞬間、桐生さんの右手が動いた。
桐生さんはブレザーの内側に手を突っ込んで愛用の金槌を取り出し、声を張り上げる。
「きりんさんには手を出さないでよ!」
え、僕?
「きりんさんは、わたしのなんだから!」
いつから僕は桐生さんのものに?
っていうか、この展開は僕がヒロイン?!
ちょっと待って、いろいろ待って、脳神経が焼き切れそう!
思考回路がショートし始めた僕の視界で、桐生さんが金槌を持ち上げる。
「祐一も! 満谷君も! なんでなんでみんなあんたに盗られなくちゃいけないの!?」
お、男? 盗られた?
「あ、あんたとあたしの好みが似てるのがいけないんでしょ!」
巨乳さんも、リミッターがはずれたかのように叫び返した。
僕は唖然とする。
まさか、桐生さんが巨乳さんを恨んでいた原因って……。もしかして、痴情のもつれ?
いやいやいや、桐生さんに限ってそんなことは。確か、いじめられたんじゃなかったっけ。
急展開に目を回している僕を置き去りにして、桐生さんと巨乳さんは激しい口論を再開する。
「だからって、せめてわたしが別れるまで待っていてくれればよかったのに!」
「なっ、そういう問題じゃ……あの人たちにちょっと話しかけたら、よくわかんないけどそのまま告られたの!」
「あんたそこまで本気じゃなかったんでしょ!? フッてくれればよかったのに!」
「いいじゃない! それくらいであたしになびくだなんて、しょせんその程度の男だったのよ! よかったんじゃない、桐生?!」
ひょっとして、巨乳さんのおかげで桐生さんってフリーなのか?
「でもあんた、まだ祐一と付きあってんじゃないの!?」
「あんたこそまだ、き、きりんくん…?とつき合ってないでしょ!」
あ、これはひょっとして「脈アリ」というやつですか、桐生さん……と、場違いにもゆるみそうになった僕の表情は、次の一瞬には液体窒素を顔にかけられたようにかちんこちんになってしまう。
「だからって……これ以上わたしの味方、とらないでよぉ!」
桐生さんがいきなり金槌を頭上にかかげ、振り下ろしたのだ。
巨乳さんはとっさに避けたから桐生さんの攻撃を食らわずに済んだけど、ゴミ袋に足を取られて転んでしまった。
巨乳さんが体勢を立て直す前に、再び桐生さんが金槌を振り上げる。今度は両手で構えている。足は肩幅に開いていて、もし攻撃がきまったら巨乳さんは即死……ってそれだけはだめだ! 直接物理的に手を下すようなことはダメ! ゼッタイ!
「桐生さん!」
僕は校舎の陰から飛びだしていた。
桐生さんが止まった。僕はさらに声を張り上げる。
「桐生さん、やめてください!」
桐生さんは動かない。まだ、金槌は振り下ろされてはいない。
「桐生さん、僕は……!」
走りながらだからか、声が上手く出ない。酸素が、たりない。
僕は精いっぱい腕を伸ばす。早く、桐生さんを捕まえないと!
とうとう、桐生さんが動いた。軽く腰を落とし、両手で力一杯、巨乳さんの顔面に金槌を