小さな背中に捧げる恋のうた
9/16

 僕が桐生さんと初めて話してから、気がついたら二週間が経っていた。
 桐生さんは順調に相手を呪い続けているけれど、残念なことに、まだなにも起こっていないようだ。
 僕もたまに桐生さんのターゲットに廊下ですれ違うけど、ぴんぴんしているように見える。ちなみに相手の胸はぱんぱんのぽよんぽよんだ。胸にばかり気を取られ、実は顔をあまり覚えていないだなんて、ここだけの話。
 桐生さんはいつも、すごい表情で相手をにらんでいる。本当に「すごい表情」だから、僕の記憶から映像は消去されてしまい、僕の精神状態は健やかに保たれている。
 恋って盲目だなあ。恋で身を滅ぼす人間が多いのも、うなずける話だ。
 僕の場合、身を滅ぼす前に心不全で死んじゃいそうだけど。桐生さんと話しているだけで、胸が苦しくて仕方がないのだ。
 ……あ、そうだ。
 呪いが成就したら、桐生さんに告白しよう。
 告白してしまえば、僕は桐生さんの前で堂々とドキドキしていられるのだから。

「きりんさん」
 秋の空のように高く澄んだ声が、僕の上に降ってきた。
 五時間目と六時間目の間の休み時間、僕は暇つぶしに携帯でテトリスをやっていた。
「なんですか?」
 僕はテトリスを終了させ、携帯をたたみながら顔を上げる。
 相変わらず背の低い桐生さんが、僕の机の前に立っていた。少しだけまぶたが腫れぼったく、幼児のような肌にもいつものみずみずしさが感じられないから、寝不足なのかもしれない。
「どうかしましたか、桐生さん?」
「きりんさん、あのね、うちの犬が調子悪いんだけど……」
 これってわたしが呪いをかけているせい?
 桐生さんが机に手をついて僕のそばに口をよせ、声をひそめて訊いてきた。
 顔。近い。です。
 僕はばっと後ろに飛び退いた。
 椅子をがたんと大きくいわせてしまったことを知らんぷりしながら、なにごともなかったかのように「うーん」と首をかしげてみる。ご丁寧に足を組んで、あごに手を当ててみたりして。
「そうだなぁ、呪いの可能性も否めないなぁ……」
 母が父に呪いをかけているとき、兄はよく頭が痛くなったと言っていた。そして僕は腹を下した。
「他に家族で具合悪くなった人っている?」
「たぶんいない」
 強い負の念は、呪いの対象だけではなく周りの人にも影響を及ぼす。子供とかペットとか、身を守る気が弱かったり不完全だったりする存在は念に負けてしまい、体調を崩しやすいのだろう。
 桐生さんはしょぼしょぼとする目をこすりながら、ため息をついた。
「どうすればいいんだろ……」
「水晶とかどうかな? 原石で置いておけば、悪いもん吸い取ってくれるみたいだし」
 昔、やっぱり母が父に呪いをかけているとき、大きな水晶の原石が家にあった。だけど、あっという間にひびだらけになって割れてしまった。兄が言うには、水晶が割れてから頭痛が始まったらしい。
 桐生さんはぴんとこない、という顔で僕を見上げてくる。
「でも、水晶って高いんじゃ……」
「あー、家にいっぱいあるから、でっかいやつを進呈いたしましょう」
「えっ、いいの?」
「構わないよ。ああ、でも、あんまり大きいと桐生さん持ち運べないか……」
「大丈夫、わたし、こー見えても力持ちだから!」
 そう元気に言い放ち、桐生さんは露出狂のようにブレザーを両手でばっと前開きにした。
 ぶかぶかのカーディガンのポケットに、小さな金槌が入っていた。桐生さんが写真に釘を打ちつけていたときのものだと思う。
「……そんな物騒なもの、持ち歩くんじゃありません」
 僕は自分でも気がつかない内に、冷静なツッコミを口にしていた。桐生さんがあー見えて力持ちなら、僕はこー見えても常識人なのだ。
「でも、持ってないと落ち着かないし……」
「持って歩くなら、せめて鞄の中にしまっておいてください」
 周りの人が金槌を目撃してしまったらどん引きものだろうから、僕は手を伸ばして桐生さんのブレザーをむりやり元に戻す。
 幸運なことに、前の授業は昼食後だったことに加え、先生の殺人ヴォイスが凶悪な英語の授業だったせいで、多くの生徒の意識は沈没したままだった。
 まったく、桐生さんはなにを考えているのだろうか……。
 桐生さんのブレザーに触れたせいで熱くなった指先を持てあましながら、僕はうっかりため息をついてしまった。でも、少し幸せだった。
 スピーカーがじりじりとかすかな音を立て、古びたチャイムの音が流れ始めた。幸せな休み時間は、あっという間に終わってしまう。
「きりんさん、戻りますね」
「うん。なにかあったらメールして」
 そそくさと自分の席に戻る桐生さんに片手をあげ、僕黒板のわきの時間割に目をやる。
 次の授業は化学だ。どうせ僕は文系だし、寝るか。
 そう思って、僕は授業が始まってすぐ、先生が来る前に机に突っ伏した。


||

© NATSU
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -