06


尋之さんの見かけからはあまり想像がつかないほどの安全運転でついた店は高そうな料亭だった。
門の前に立っていた身なりの綺麗な店員に車の鍵を預けてこちらを手招きする尋之さんに、置いていかれたら大変だと急ぎ足で近づく。そして店の中から、女将さんだろうか、40歳くらいの女性が出てきた。

「ハンダ様、毎度のご利用ありがとうございます」
「いえいえ〜、遅くにすみません〜」
「いつものお部屋、ご用意しております。いかがでしょう」
「はい、大丈夫です。はるちゃんおいで〜」

店の中に入っていく女将さんに続いて尋之さんと共に和風の建物に入るとその華やかさに目がチカチカと眩んだ。決して煌びやかなものがあるわけではないんだけど、柱に掘られた模様や壁紙、石畳までもが素人目にも高級なものを使用しているんだとわかる。ゆったりとした足取りで進む尋之さんに対し、小股でチマチマと後をついていくと右と左に1回ずつ曲がったところで歩みを止めた女将さんが襖を開けて入るように促す。

「お料理はいかがいたしましょう」
「んー、ご飯ものが食べたいかな〜、はるちゃん何か希望ある?」
「え、あ」

突然話を振られた俺はゆるい笑顔の尋之さんと綺麗に微笑む女将さんの顔を交互に見て俯きながらもなんとか声を出した。

「尋之さんに、お任せします」
「オッケ〜。じゃあ、ご飯ものと後は適当にお願いします〜」
「承りました。お飲み物はこちらで何点か合わせてお持ちいたします。それでは失礼いたします」

そう言って閉められた襖を呆然と眺めていると、堪え切れないと言った笑い声が聞こえて座椅子に腰掛けた尋之さんを見ると、無垢の一枚板でできた高そうなテーブルに額をつけて肩を揺らしていた。

「ふ、ははは!はるちゃんそんな、固まんなくっても」
「・・・こんな凄いとこ、来た事ないんです」
「そっかぁ〜、ふ、あ〜、いいなぁ、はるちゃん。見てて飽きないね〜」

馬鹿にされている感は拭えないが、目の前で至極楽しそうに笑う尋之さんに、仕方がないかと気にすることをやめて向かいに座った。

「スーツ、上着とネクタイくらい取ったら〜?」
「あ、そうですね」

確かに汚してしまっては明日着るものがなくなってしまう。
つい先日までは2着持っていたのだが、寝ぼけながら歩いた道中で排水溝の溝にはまってズボンの膝を破いてしまったために泣く泣くゴミ袋に詰めこんで捨てた。
新しいものを買わなければとずっと思っているが、時間がない。ヨレヨレになった上着をこれ以上傷めないようにと綺麗に畳んでカバンの傍にネクタイと置いた。

「はるちゃんてお酒飲める〜?」

手持ち無沙汰に広すぎず狭すぎずな部屋の中を観察していると、尋之さんが肘をつきながらこちらを見ていた。

「お酒、ですか?・・・強くないですけど、それなりには」
「いいね〜じゃあ、俺のおすすめ出してもらうね〜」
「え、でも尋之さんは」
「ん?ちゃんと送るから大丈夫だよ〜。飲まない飲まない」
「それは申し訳ないです」
「いいのいいの〜俺が好きなの、飲んでみてよ。ね?」

語尾を伸ばしていないのに、なんだか甘ったるい声でそう言われて思わず顔を熱くした俺は視線を下げながら頷くので精一杯だった。


今思えば、この時に断っておけばよかったと思う。
食事が次々と運ばれてきて、勧められるがままに酒をあおった俺は完全に出来上がっていた。そんなことを言うなと頭の中で分かっていても、口から出る言葉を制御できないほどに。

「俺の会社、ひどいんです・・・」
「うんうん、そうだねぇ〜。なんで辞めないの〜?」
「それはっ、えっと・・・なんででしょう・・・」
「かわいそうに。疲れちゃってそっちに頭を使う余裕がないんだね〜きっと」
「う、ぐすっ・・・そ、なんです、どうしていいのか、わかんなくって」

呆れるでもなく俺の会社に対する不満や愚痴を聞いてくれる、尋之さんの優しく理解してくれている言葉に、涙腺が決壊するともうそれは止められなかった。
暫く酒なんて飲んでいなかったから忘れていたけど、大学の友達にお前は酔うと絡むし泣くしで大変だと言われたことがあった。それからは酔いすぎないようにセーブして飲んでいたのに。
涙で霞んだ視界で尋之さんに視線を向けると、よっこいしょ、と立ち上がった。流石に面倒だっただろうか。不安になりつつも動きを視線で追うと尋之さんは俺の隣に座った。

「頑張ってるね、はるちゃん。偉いね」

そう言って頭を抱えるように優しく抱きしめた尋之さんに、俺は恥も外聞も無く、抱きついて子供みたいに泣いてしまった。あぁ、明日起きて、酔いが覚めた頭で今日のことを思い出してきっと猛烈に後悔するんだろうな、と頭の片隅で考えつつも今目の前で俺のことを褒めて慰めてくれる尋之さんから離れることはできなかった。

「ねぇ、はるちゃん?」
「う、ずびっ、は、い」
「俺が、助けてあげようか?」
「・・・え?」

真剣な声色に、鼻水や涙がつくことも気にせず胸に当てていた顔を上げると、笑っているけど、目が笑っていない尋之さんがじっとこちらを見つめていた。

この目は、初めて見た時の、電車の中で見た時の目だ。

背筋に冷たいものが走って、胸を腕で押し返すとすんなりと尋之さんの腕が外れる。
優しい言葉と雰囲気に、すっかり忘れていたけど、そうだ、この人は普通の人ではない。俺とは住む世界が全く違う人だった。
黙った俺に何を思ったのか、尋之さんはふっと目元を緩めて先ほどと同じ笑顔を浮かべた。

「あ〜、ごめんごめん。別に変な意味じゃなくってね〜?・・・はるちゃんが、辛そうだから」

後半の言葉は息を漏らすように呟いた尋之さんは、少し悲しそうな顔をしていた。
きっと、俺が助けて欲しいと言えば、彼はその通りに動くんだろう。
でもなんで、出会って間もない俺にこんなに優しくしてくれるのか、俺には理解ができなかった。

「あ、い、いえ、嫌だとかではなくって・・・でも、自分の力でどうにかしてみます。こうやって話を聞いてもらえるだけで、とても助かります」

尋之さんの持つ、あちらの世界の力を使えばきっと俺をどうにかするなんて造作も無いんだろう。でも、優しい言葉に誘惑されるがままに頼ってしまえば、俺は二度と普通の暮らしに戻れないんじゃ無いかと思う。
例えば今こうやって、甘い言葉で誘惑する尋之さんを信用してしまったが最後、俺を騙すために演技をしていた尋之さんに利用して捨てられる、なんて。ありえない話じゃ無いはずだ。

これだけ優しくしてもらっておいて、最終的には疑うなんて俺は最低なことをしているのかもしれない。
だけど、これは多分普通の考えだと思う。ただのしがないサラリーマンが、いきなりこんな高級料亭に連れてこられて、何も無いなんて、そんなわけがないのだから。

それでも、今頭の中で考えていたことが現実となったとしても。

「でも、嬉しかったです。話を聞いてもらえて、理解してもらえて。・・・ありがとうございます」

今ここで尋之さんに貰った言葉や温もりに感謝しているのは嘘じゃないと、自然とこぼれた笑顔とともに尋之さんへ伝えた俺は、泣いて、酔いが完全に回ったのか、それとも騙されることから逃避したかったのか、重たく下がる瞼を止めることなく意識を手放した。



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