18


俺の腕を引いて駅前のカフェに入った郁は、席に荷物を置いてからレジカウンターへと並ぶ。
遼はカフェオレでしょ、座っててと言われてしまったので、大人しく待っているが、これではどちらが兄だかわからない。5つも下の弟の成長に嬉しさと寂しさが混ざる。

ホットのカップを2つトレーに乗せて帰ってきた郁は、席に座ると早速というように口を開いた。

「全くさぁ、びっくりしたんだぜ、マジで。スマホのニュース見てたら遼の会社が出てんだもん。しかもSNSでもめっちゃ取り上げられててさ。なんで連絡くれなかったんだよ。家族なのに、ありえねー」

口調はきついが、悲しそうな表情でそう言った郁に、本当に心配をかけてしまったと深く反省した。
上京して、忙しいとは言いつつも充実した日々を送っていると思っていたのに、蓋を開けてみれば、ブラック企業で心を殺しながら働いていた。そしてついには、会社で耐えかねた社員による殺人未遂事件。もし、郁と立場が逆だったとしたら、俺だって同じことを口にしていただろう。

「・・・ごめんな。なかなか、言えなくて」
「はぁ・・・遼はさー、なんか、長男だからとか言って、背負いすぎなんだよ。幸(ゆき)だって、あのあとすぐに電話かけてきてさ、どういうことだって、親父にめっちゃキレてんの。あれはかわいそうだった」

すぐ下の妹、幸は三年前に結婚し、もうすでに一児の母で実家を出ている。さっぱりとした性格で、父さんに似た容姿の美人から時々発せられる説教は家の男ども全員頭が上がらないほどの正論ばかりだった。それを俺のせいで浴びせられたのだと思うと、父さんが不憫で仕方ない。また後で電話をして謝ろうと決めた。

「とりあえずさ、俺ももう、来年から社会人になるわけだし。少ないかもしれないけど家に金だって送るつもりだし。だから遼1人で全部抱えようとすんな、ほんとに。今回のこともあるし、・・・さすがに首を横に振ったら強制送還だから。明後日、俺と帰ることになるよ」

俯いて郁の話を聞いていたが、家に金を送るという言葉を聞いて顔を上げ、ゆっくりと首を振ろうとしたところでしっかりと釘を刺された俺は再び頭を下げてうなだれた。弟や妹たちには、高校からバイト漬けで部活も遊びもろくにできなかった俺のようになってほしくないと、必死に働いてきたのに、結局そうなってしまうのか。両親を責める気はサラサラない。むしろ、大学にまで行かせてくれたことに感謝してもしきれない。奨学金で賄えない部分を2人が働いて貯めていた分と俺のバイトの貯金でどうにか埋めたのはいい思い出だ。

だけど、可愛がっている弟妹が、苦労するのだと思うとどうにも耐えられない。自分が不甲斐ないばかりに。この時ばかりは、あの綺麗事しか言わなかったコメンテーターの言葉が頭に浮かぶ。『ブラック企業だと思ったらすぐに逃げるべき』『もっと早くに労基署を頼っていれば』全ては、俺の判断が遅かったのと、精神的に弱かったせいだ。

黙り込んだ俺に、郁は溜め息をついて口を開いた。

「別に、責めてねーよ。心配なんだって、みんな。家族なんだからさ、もっと頼ってよ、遼」

少し震えたその声色に、顔を上げると父さんに良く似たアーモンドアイを潤ませた郁が視界に入る。
そして、テーブルに乗せた俺の手をぎゅっと握った郁の手は力を入れすぎて白くなり、震えていた。

「っ、うん、ごめん・・・でも、辛い思いはさせたくなくて」
「だからさぁ、遼が辛い思いしてる時点で、俺たちも辛いんだっての。頑固だな」
「・・・ごめん」
「いつまでも、ガキ扱いしないでよ、お兄ちゃん」
「っふ、お兄ちゃんて呼ぶなって」

確かに、外見だけで言えば目の前にいる郁だって、実家にいるだろう基だって、数年前には俺の身長を追い越していて、だいぶ大人っぽくなった。それでも、俺の中ではまだまだ幼い弟という感覚が抜けなくて頼るなんてありえないと思ってしまうのは、すぐには消せない。ただ、骨ばった大きい手のひらの感触に、少しは頼ってもいいのかなと思えたのも事実だった。

「あーあ、せっかく久しぶりに会えたっていうのにさ!こんなしんみりしちゃって、最悪だよもー」

突然、不貞腐れたような顔をしてそう言った郁は握っていた手を離して俺の頬を両手で挟む。整っている郁とは違って平凡な顔をした俺は、そんな風に手で挟まれて頬の肉を寄せられてしまったら、かなり不細工な顔になっているだろう。しかし、そんな俺の顔を見て楽しそうに笑う郁に、まぁいいか、と思ってしまう。

「とりあえずー、今日1日は、いや、明日1日も俺に付き合ってもらうから!今日は買い物したいしー、明日は物件の下見したいしー」
「わかったわかった。大丈夫だよ。休みだから時間は山ほどある」
「言ったな?んじゃー、今から・・・映画!映画行こう!俺観たいのあったんだよねー」

俺を元気づけようとしてくれているのか、それとも昔から変わらず甘えているのか、どちらか分からないが明るくてわがままなその態度に俺は自然と笑みをこぼした。

一口も飲んでいなかったカフェオレをなんとか飲み干して、店を出る。
郁は、かっこよくブラックコーヒーを頼もうとしたけど、ココアの誘惑に負けたと言ってホットココアを甘い甘いと言いながら飲み干していた。

駅前にある映画館に着き、何が観たいのか聞けばシリーズ物のアクション映画を指差す。俺が大学生の時から続いてるそれに、さすが兄弟だと笑うと郁も嬉しそうに笑っていた。


どうしても大きいポップコーンが食べたいとわがままを言った郁に負けて、絶対に食べきれないだろうサイズのものを映画館の売店で買って映画を見たが、案の定食べきれなかったそれを腕に抱えてトイレに行った郁を待つ。

映画は俺が最後に見たものより3つもストーリーが進んでいて、内容はよくわからなかったが、昔馴染みのキャラクターやCG技術が格段に上がった映像に退屈することなく観る事が出来た。それと、集中しながらも、時折思い出したようにポップコーンに手を伸ばす郁を見るのも楽しかったのは秘密だ。

「おまたせー、いこー」

トイレから出てきた郁と映画館を出ると午前中に比べてかなり人通りが多くなっていた。

「んー、どうしよっかー」
「なんか、行きたいお店とかないの?」
「あ、服見たいかも。今日のためにバイトで貯めた10万おろしてきました!!」
「はは、そんなに?じゃあ、あっちの方行こうか」

俺が指差したのは、セレクトショップからファストファッションの店が並ぶ大通りで、映画館のあるこの通りよりもだいぶ人で賑わっている。正直、人混みが苦手な俺としては足を踏み入れたくない場所ではあったが、せっかくこちらに来た弟のためを思えば乗り越えられそうだ。

「遼、大丈夫なの?めっちゃ人多いけど」
「大丈夫。何年こっちいると思ってんの」
「そうだけどさー。じゃ、無理だと思ったらすぐ言えよ」
「はいはい」

心配性な郁は、俺に声をかけつつキラキラとした目をその通りに向けているのに気づいているのだろうか。


それからしばらく、郁の買い物に付き合って、気づけば夕方を超えて外は暗くなっていた。
両手にショッパーを抱える郁は大変満足そうで、こちらまで嬉しくなってくる。人混みはきつかったが、これだけ喜んでくれたなら耐えた甲斐があった。

「あー、夕飯食べ行きたいけど、とりあえず泊まりの荷物と、この買ったものホテルに置いてこようかな」
「そうだね、置いてきちゃったほうがいいかも。ホテル近いの?」
「うん、チェックインしてすぐ戻ってくるからさ、どっか入って待っててよ」
「わかった」

あの量を持って新幹線に乗るのは大変だろうな、と、ホテルに向かった郁の後ろ姿を見て思う。もし車があれば、送ってあげられたのにと思うが、就職してからろくに乗っていない俺の運転は嫌がられるかもしれない。

郁を待つために手頃なカフェにでも入ろうと少し路地に入ったところで、聞き覚えのある声が耳に入った。

「ユミさん、また一段と綺麗になったね〜」
「ヤダ〜!半田さんったら!何も出ないわよ?」
「ざんねーん。なんかぽろっと、落としてくれるかな〜って思ったのに〜」
「ふふふ、ベッドの中だったら、落としちゃうかも」
「ほんと〜?お願いしようかな〜」

さっきまで俺が立っていた道を振り返ると、綺麗な女の人と腕を組んだ尋之さんが歩いていくのが見える。
まるでスローモーションのように見えた彼は、すぐに見えなくなって賑やかな夜の街へ消えていった。

やっぱり、彼は住む世界が違った。

煌びやかな女性と歩く尋之さんは、本来の姿なのか、いつもより数倍も輝いて見えて。絶対に俺なんかとは釣り合わない。知り合えたことですら奇跡だったのに、それ以上を望んでしまった時点で俺は彼のそばにいる資格なんてなかったんだろう。

自然とこぼれ落ちた涙を、郁が戻ってくる前に止めなければと必死に拭う。

結局、郁が戻ってきたときには真っ赤になった目を不審に思われて、ゴミが入ったとなんとか誤魔化すしかなかった。




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