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あれから4日、尋之さんと気まずい雰囲気で別れてから、俺は彼からのメールへの返信や電話を取ることができなかった。
メールには、俺を気遣う内容やなぜ電話に出ないのか、何かあったのかと心配する言葉が並ぶ。中には、今夜アパートへ行ったらいるのか、と書かれたものもあって、そのメールが来た日は早めに布団に入って部屋の電気を消した。

会うと、期待してしまう。勝手に心が高鳴ってしまう。そんな俺自身が嫌で、ずっとずっと無視をしていた連絡は、ついに今日こなくなった。尋之さんのためにも、これでいいんだとわかっているのに、鳴らない着信に、届かないメールに胸が締め付けられる。

出ないのに、返事をしないのに、連絡先を消すわけでも、マナーモードにするわけでもない俺は、スマホに〈尋之さん〉と表示されるのを見て、安心と優越感を感じていたんだろうか。

これで、もう二度と会うこともなくなるのかと、早めに潜った布団の中で自分の肩を抱いた。

明日は、10:30に最寄りの駅に郁が来る。駅まで迎えに来た兄が、前日に男を思って枕を濡らしているなんて、想像もしていないだろう。気持ちを切り替えないといけない。そうだ、俺にはもっと考えなくてはならないことがたくさんあるんだ。会社のことや先輩のこと、そしてもしクビになった場合の身の振り方。実家に帰るのか、こちらで再就職をするのか。

恋愛なんか、している暇も余裕もないんだ。

自分に言い聞かせながら尋之さんへの思いに蓋をして、俺は眠りについた。





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翌朝、10時前に目が覚めた俺は、喜んでいい理由でできたわけではない休みをしっかりと謳歌していた。目覚ましをかけずに自然と目が覚める朝は清々しいもののはずなのに、スマホを開いて尋之さんからメールが届いていないことを知ると悲しくなってしまう。

自分で、選んだことなのに。

朝から尋之さんのことしか考えていない自分に気づいて辟易していると、着信がきた。画面には〈郁〉とある。

「郁?」
〈あ、遼!おはよー〉
「うん、おはよう。どうした?」
〈今、新幹線でこっちについた!こっから40分くらいだったよね?〉
「うん、それくらい。電車大丈夫?わかる?」
〈一回説明会できてるし余裕!わかんなかったら調べるから気にしないでー〉
「わかった。じゃあ、また近くなったら連絡してね」
〈はーい。じゃねー〉

このボロアパートから駅までは徒歩だいたい30分。慣れない乗り換えなどを加味してもあと50分後には駅に着くだろう郁をで迎えるために、服を着替えてだいぶ伸びきった髪を整える。5分もかからずに支度を終えた俺は、早めに着いていた方が安心だと、アパートを出て駅に向かう。

そういえば、せっかく2週間も休みになってしまったのだから、髪を切りに行かなければと道中考えながら歩いていると、コンビニに差し掛かったところで後ろからゆっくりと車が近づいてくるのを感じた。
アパートの前の道と同様にそこまで広いわけではないので端に寄って通り過ぎるのを待とうと思ったのだが、なぜか俺の真横で停まった車に視線をやると、後ろの窓が開いて、20代から30代くらいだろうか、化粧は濃いが身綺麗な女性が俺に話しかけてきた。

「お兄さん、ちょっと、いいかしら」
「え・・・俺ですか?」
「そうよ、あなた。あのアパートに、あなたの隣に住んでいた、綺麗な顔をした男がいたでしょう?どこに行ったか、お兄さんご存知?」
「あ、え?いや、どこに越したかまでは・・・」

彼女は車から降りることなく、窓を10センチほど開けて元お隣さん、イトウさんの行方を聞いてくる。本当にどこに引っ越したのかまでは知らない俺の言葉を聞いて少し目を伏せると溜め息をついた。

どういう、関係なんだろうか。これは、あまり話さない方がいいんだろうか。

頭の中でグルグルと考えるが、どう対処したらいいのかわからない俺を見上げて彼女が再び口を開いた。

「・・・そう。いつ頃出て行ったかはわかるかしら」
「えーっと、1ヶ月ほど前、ですかね・・・」
「1ヶ月・・・道理で足取りがつかめないはずね・・・ふふふ、お兄さん、ありがとう」
「い、え、あ、あの」

なぜそんなことを聞くんですか、と、聞こうとした俺を手で制した彼女は、分厚く、ヌラヌラと光る唇の端を釣り上げて笑う。その顔を見た俺は、これ以上聞いてはいけないと本能が言っている気がした。関わっては、いけない。

「本当にありがとう、お兄さん。こちらの方向だと、駅かしら?乗せてあげたいけど、寄らなければいけないところがあるの。ごめんなさいね」
「あ、いえ、お気になさらず・・・」
「それでは、また。会いましょうね」

〈また〉と言った時点で閉められ始めた窓が完全に閉じると、先ほどまでゆっくり近づいてきたのが幻覚だったのかと思うほどのスピードで、細い道を走り抜けていく車を呆然と眺める。

なんだったんだ。イトウさんのことを調べているらしい女の笑顔を思い出し、背中にゾクッと寒気が走る。
あまり、女性に言うべきことではないかもしれないが、分厚い化粧のせいで表情が読めないというか、作り物のようだった。あのヤバそうな男に連れ去られた時と同じように、見て見ぬ振りをするのが躊躇われるほど、彼女からは異様な空気を感じた。

でも、イトウさんはもう隣に住んではいないし、あの高身長イケメンが付いていて、さらには尋之さんに思われている。あの人の周りには守ってくれる人がたくさんいるんだ。であれば、別に俺が手助けをする必要はないんじゃないか。

そこまで考えてハッとする。

これは完全に、僻み、嫉妬。尋之さんに思われるイトウさんを手助けする必要なんてないんだと思ってしまった自分の思考にひどく落ち込む。俺は尋之さんを好きになってからどんどん性格が悪くなっているようだ。仕事のことしか考えてこなかった人間が、突然恋愛に足を突っ込むとこんなことになってしまうらしい。

考えては落ち込んでを繰り返していたが、何気なくポケットからスマホを取り出すとデジタル時計は10:30と表示している。

「10時半・・・え、あ、やばい!」

思わず独り言を漏らして駅に向かって駆け出した。どうやらまた俺はいつでもどこでも深く考え込む悪い癖を発動していたらしい。
家から5分のコンビニに立ち止まっていた俺は10分以上も考え込んでいたようだ。

久々に走ったからだろうか、駅まであと少しというところで完全にスタミナ切れした俺は、ビルの花壇に腰掛けて郁に電話をかけた。

「あ、郁・・・」
〈遼、どこよ〉
「は、ぁ、ごめ、ちょっと遅れて」
〈なに、走ったの?運動不足すぎー〉
「うん、ほんと、にね。ちょっと、喫茶店とか入って、待っててよ」

息も絶え絶え、伝えたかったことを言うと電話口から〈んー・・・〉と考える郁の声が聞こえる。何を悩むことがあるんだと口を開こうとすると、スマホに耳を当てていた俺の鼓膜が破れたんじゃないかと思うほどの大声を郁が発した。

「〈いたー!!〉」

電話と向かいの道路から同じ声が聞こえて顔を上げると、耳にスマホを当てた郁が腕をブンブンとこちらに向かって振っている。休日である今日は、高校生や大学生も街にあふれていて、目立つ容姿をした郁に視線がだいぶ集まっていた。

「郁、目立ってるよ」
〈えー?声でかかったかな〉
「まぁ、いいよ。俺そっちいくから待ってて」

もう必要はないだろうと電話を切って丁度青に変わった信号を渡りきると、両手を広げて待っていた郁に抱きしめられた。

「あー、久しぶりー!遼だー」
「うん、わかったわかった。めちゃくちゃ目立ってるから、ちょっと離そうね」
「やだよ、せっかくのお兄ちゃんとの再会なのに」
「いきなりお兄ちゃんなんて呼ぶなよ。怖い」
「ひでー」

ケラケラと笑いながら俺を解放した郁は、正月に見た時と変わらず元気そうだ。パーマをかけた茶髪をワックスで適当にセットしただけでも決まる我が弟は恥ずかしげもなく俺の手を繋いで駅の方へと進んでいった。



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