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泣きながら電話をしてきた彼の元へ仕事を放り出してまで向かった俺を、つい1ヶ月前の俺が見たらなんというだろうか。
宇野に小言を言われながら車を出してもらい、着いた公園で見えた蹲る線の細いシルエットに顔がニヤける。

何があったのかと問うと、途切れ途切れの言葉を嗚咽と共に吐き出す彼を抱きしめてしまいそうになる。まだ、その時ではないと理性をフル回転させて詳しく事情を聞いた。会社でついにブチギレた同署の先輩が、ムカつく上司を階段から突き飛ばした、と。簡単にまとめるとそう言った内容で。彼が何かをしてしまったわけではないというのに、自分に責める言葉を投げつける彼はお人好しが過ぎる。でもそんなところも好きだと思う。

話し終えた彼の頭を撫でて、当たり障りのない言葉を選んで投げかける。すると俯いていた彼が、突然乾いた笑いを吐き出した。

なんだ、と首を傾げて顔を覗くと、首を横に振って気にするなと、すっきりしただけだと言う。辛いのであれば、素直にそう言ってほしいと思いながらも、彼がそう言うのであればこれ以上は言及しないと話を終わらせる言葉を返すが。

「はい、ありがとうございます」

そう言った彼は、今にも消えてしまいそうな、苦しそうな顔に無理やり貼り付けた笑顔を浮かべていて。

そんな取り繕った笑顔じゃなくて、昨夜見せてくれた、あの笑顔が見たいんだ、俺は。
気持ちを隠そうとする彼に苛立ちと寂しさが募る。もし笑えない状況なのであれば、ただ悲しい顔をしていてくれればいい、と伝わるかわからない思いを込めた言葉を聞いて、逃げるような仕草をした彼の頭に手を伸ばす。

ビクリと体を強張らせて硬く目を瞑った彼は、少ししてから薄く目を開いて謝ってくる。

こんなに優しくしても、職業柄、生まれ育ちのせいで怖がられてしまうことに苛立ちを増長させながら「何に対して?」と冷たく返せば、再び彼の体が硬直した。
俺が本心を曝け出せば出すほどに怖がらせてしまう事実に溜め息が漏れる。心配だからこその言葉は、彼に響く前に心にできた防御壁に跳ね返されてしまう。
身を引いて逃げられないように頭を抑えていた手を、ゆっくりと首にずらして、柔らかい襟足と一緒に撫でる。くすぐったいのか体を揺らして、頬をうっすらと赤くした彼に戸惑った視線を向けられると、ようやくいつも通りの表情を浮かべることができた。

無理をするなと伝えれば、素直に謝ってくる彼がとてつもなく愛おしい。

しばらく無言でその可愛らしさを堪能していると、内ポケットに入れたスマホが着信を知らせた。
宇野に何か緊急のことがあった時だけ電話しろと伝えていたので、名残惜しく思いながら電話に出ると、案の定仕事に戻らなくてはならない内容だった。

もう少し触っていたかった、と思いつつ、戻らなければならないことに謝罪を述べてから彼と別れ、公園を出て待機していた宇野が待つ車に乗り込むと直ぐに発進した。

「あー・・・聞いてもいいですか?」

彼との時間を邪魔されたことに対して不機嫌な顔をしているだろう俺に、遠慮せずに宇野が声をかけてくる。

「・・・何?」
「誰ですか?あの人」
「あ〜・・・この前拾った、ねこ」
「え?ねこ?・・・あれは人間ですよ。大丈夫ですか?」
「うっせぇなわかってるよ。例えだよ例え」

宇野とは、こいつが高校の時からの付き合いで、他の部下がいるところではかしこまって話しかけてくるが、2人きりの時は敬語ではあるものの軽口を叩き合えるほどの仲だった。

「え、ちょっと待ってください、ねこってもしかして、そっちのネコ?」
「・・・あ?」
「えぇ〜・・・結構大人しそうな顔してたのに・・・やることやっちゃうタイプですか」
「何を勘違いしてんのか知らないけど、そういうんじゃないから」
「へぇ、そういうの抜きにしてあんなに優しくしてる若なんて初めて見ました」
「あー・・・そう」
「ふふ・・・【はる】ですか」
「は?」

突然【はる】と口にした宇野に、シートに凭れていた体を起こして前のめりになる。なぜ、名前を知っているんだ。組の人間の前では電話をしたことはなかったはずだし、誰にも話していないはずなのに。どこで知ったんだと考えを巡らせていると、宇野がおかしそうに笑った。

「っははは、もしかして、呼び名に【はる】がつくんですか?ふっ、く、違いますよ。俺が言ったのは季節の方です。春が来たんですねって意味です」
「なんだ、紛らわしい・・・」
「あ、春が来たってとこは否定しないんですね」

慌ててしまったことへの照れ隠しで、腕を組んで目を閉じると楽しそうな宇野の笑い声が車内に響く。
だんだんとムカついてきた俺は、斜め前の運転席を足で蹴って「黙って早く行け」と声を荒げた。





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今回の仕事は思ったよりも面倒で、丸一日以上起きていることになってしまった。ようやく仕事を終えて帰ることができたのは、彼に会った2日後の朝方でシャワーだけ浴びると泥のように眠った。

目を覚ますともう昼過ぎになっていて、枕元に放ってあったタブレットでニュースを見る。
日課となっているこの作業は、いつもサラッと流し見して終えるのだが、今日はそうも行かなかった。目に入ってきたのは彼が働く会社の名前。殺人未遂、労基署、警察など不穏な文字が並ぶそれに一昨日の夜、彼が泣きながら話してくれたことを思い出した。

随分と、大事になっているようだ。

職業柄か、人が人を傷つけることに慣れてしまっている俺は、話を聞いてもそこまで驚くことはなかったし、まさかニュースになっているとも思わなかった。あまり良くはないだろう慣れに、話を聞いた時のリアクションが薄かったかと後悔する。

ここまで大事になっているということは、彼は今どうしているんだ。

呆っとしている頭で考えながら電話をかけると、4コールほどで彼は電話に出た。想像していたよりも元気そうな声に安心しつつ、一昨日早めに帰ってしまったことを謝った。

そして、大丈夫なのか、と聞くと仕事はしばらく休みだという。
基本的に、生活リズムが合わないために手が空いている夜に少し会うのが限界だと思っていたが、休みなのであれば俺の仕事までの時間、会うことができる。今から会えないかと誘うと声色を明るくして了承してくれた彼の顔を早く見たかった。

外出中だという彼の所在を聞いて、一瞬思考が停止する。彼がいるその店は、伊藤さんが働いている店だった。なぜ知っているのかと言われると少し気まずいのだが、理由はやましいものではなく、田中との一件があった際、裏で手伝いをしていた女2人のうちの1人がまだ見つかっていないからだ。

エリと名乗る女は、田中を捕まえた後にすぐに見つけて、全てを洗いざらい吐かせた。脳が足りなかったらしいこいつは、あまり詳しいことは知らされておらず、美人局か見張りとして使われていたと、大した情報は持っていなかった。今は実家のある田舎に逃げ帰って大人しく暮らしているらしい。
全く姿が掴めず、手を焼いているのはアミと名乗る女の方だ。
前者の女とは違って、頭がキレるらしいこいつは、田中を捕まえた翌日にうちの組の夜店から売り上げを持ち逃げし、その後誰も行方を知らない。宇野が別の組に囲われているとの噂が流れていると言っていたが、それが確かな情報かはわからなかった。
とりあえず、田中というイかれた男と手を組んでいた女が正常であるはずがない。尻尾を掴むまでは伊藤さんに接触がないか見張れと宇野にだけ伝えておいた。

気を失っている伊藤さんに謝罪をしたきり会っていなかったのだが、まさかこのタイミングで会うことになるとは。未だに伊藤さんに対して、巻き込んでしまったことへの罪悪感を持っている俺は、行きたくないという気持ちを隠して返事をした。

5分ほどでシャワーを浴びて、家を出た俺は14時前には店の前に着いていた。
アンティーク調な扉の前に立って、伊藤さんになんと声をかければいいのかと思案していると、ガラス越しに彼と伊藤さんが談笑しているのが目に入った。人見知りだと思っていた彼が笑顔を向けるのを見て、思わず扉を押して中へ入った。

「伊藤さ〜ん、お久しぶりです〜。元気でしたか〜?」

思っていたより簡単に出た言葉に、伊藤さんの表情が驚きから嬉しそうなものへと変わる。最後に見た時よりも、確実に元気なその姿を見て、安心からか笑みが深くなる。少しだけ、罪悪感が薄れた。

伊藤さんの後ろに見える彼の元に足を向けると目の前に伊藤さんが寄ってきた。止まって少し会話をしてから席に着いて、俯いている彼に声をかけるとゆっくりと顔を上げた。

起きてから何も食べていない、いや、昨日の昼過ぎから何も食べていなかった俺は、正直こんなカフェの軽食だけでは物足りなかった。
それでも、今こうして可愛いと思っている人に会いに来たことによって、長い間抱えていた罪悪感が薄れたのだと思うとこのカフェから移動しようとは思わない。

彼が頼んだというサンドイッチとブレンドコーヒーを頼む。明るい伊藤さんの返事を聞いて、本当に良かったと、心から思った。
きっと梶野さんに大事にされているんだろう。少しだけ、梶野さんという恋人ができたことに残念に思う気持ちはあったが、絶対に手に入れたい訳でもなく、幸せになってくれて良かったと、今はただそれだけだった。

そう、伊藤さんに対して思っていたのは多分、庇護欲だった。
しかし、今目の前にいる彼に対して沸いてくるのは、独占欲、性欲、ただひたすらに可愛がりたい、そんなものばかりだ。いる訳でもない、彼の恋仲になる相手に嫉妬をしてしまうほど、彼のことを好いている。怖がられて、一生笑顔を見せてくれない状況は絶対に避けたいとは思っているが、もし、他の誰かのものになってしまうようなら、俺に見せる表情が泣き顔だけでもいいから独占していたいと思うのは狂っているんだろうか。

ドロドロと流れる黒い何かを隠すために、彼に甘い言葉を吐く俺はもしかしたら臆病者なのかもしれない。汚いことも散々やってきたというのに、彼にはそういった部分を見せたくなかった。

そうだ、と、店の前で見た伊藤さんとの談笑の理由を聞けば、なんとあのアパートに住んでいると言う。借金の返済を受け取りに何度も行ったあのボロいアパートを思い出して頬を緩める。変なところで繋がった縁に、彼と出会ったのは運命だったのかもしれないと、柄にもないことを考えていた。

俺が食べ終わる頃には店がだいぶ混み始めていた。
席を立って会計しようとした俺に、2,000円を渡してきた彼と受け取る受け取らないと攻防をしたが、埒が明かないと結局俺が折れることになった。意外と頑固なところもあるんだな、と、新たな一面にニヤけそうになる顔をわざと怒っている風に装って、チラチラと窺い見る彼の視線を楽しんだ。

もう十分だと、少ししてから仕事について話を聞くと、相変わらずお人好しな返事をする彼の頭を撫でようと手を伸ばす。
頭を撫でられるのに喜ぶような歳ではないとわかってはいるが、自然に彼に触れるにはこの方法が一番だと、拒絶されないのをいいことに度々撫でてきた。

しかし、あと少しというところで体を避けた彼に、動きを止める。初めて拒絶された手を、どうすることもできずにただ降ろした。

もう大分、心を開いてくれていたと思っていたのだが。

ゆっくりと歩く俺の後ろを無言でついてくる彼に時折声をかけるが、あまり楽しそうな返事は返ってこない。
なぜ突然、態度が変わったのだろうかと、いくら考えても答えは出なかった。

そのまま、ふらふらと一時間ほど歩いた俺たちは、一駅分も移動していたらしい。もうそろそろ、一度家に帰らなければ間に合わない時間だと謝ると、彼の表情が心なしかホッとしたように感じた。

俺といるのはそんなに怖いか。嫌か。と問いただしてしまいそうになる自分を抑えつけて、彼のアパートがある最寄りまで一駅分近づいたそこで、俺たちは別れた。



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