08
軽い頭痛とともに目を覚ますと、見慣れない天井とベッドに勢いよく起き上がる。
すると同時に、隣でもぞもぞと何かが動く気配がしてゆっくりと視線をやると眉間に皺を寄せたまま目を閉じる尋之さんがいた。
「っ!!!」
声にならない悲鳴を上げた俺は、急いでベッドから降りようとしたところで気づいた。腰に巻きついた尋之さんの片腕と、ダボついた見覚えのないTシャツを纏う俺自身に。掛け布団が触れる感覚からして、下着の上には何も履いていない。
そして、布団から出た尋之さんの肩がむき出しなのを見て顔が熱くなる。
な、んだ、この、明らかに、ヤッた後、みたいな状況は。
恥ずかしさから急いでベッドから降りようと腕に力を入れると、腰に回った尋之さんの腕に力がこもった。
どうにか外そうと、両手で片腕をぐっと引っ張るがビクともしない。
尋之さんが、起きる前にどうにかしなければ、と、爪が少し食い込んでいるのも気にせずにグイグイと掴んでいると、横で尋之さんの肩が震え始めた。
「くっ、ふ、はははは!」
ついに大声で笑いだした尋之さんに驚いてそちらを見ると、目にうっすらと涙を浮かべた尋之さんが枕に頭を乗せたままこちらを見上げていた。
「あ、え、っと、お、はようございます・・・?」
もう何が何だか、状況についていけない俺はとりあえず、と挨拶をした。
その言葉を聞いた尋之さんはまた更に笑って、息も絶え絶えになりながらようやく腕を外して上半身を起こした。
「っはー、朝から最高だね、はるちゃん〜。おはよう」
立てた膝の上に乗せた腕で頭を支えながらそう言った尋之さんの笑顔と今の状況に顔が熱くなる。
顔を見ることができずに、ふらふらと彷徨わせた視線が頭を支える腕に向かう。さっき、外そうとした時につけてしまった爪痕がくっきりと残っている。
痛かった、だろうか。不安げにそちらに視線を向ける俺に気づいたのか、尋之さんも自分の腕を見て、ああ、と爪痕を指でなぞった。
その仕草がなんだかとても、色気が溢れていて、でもなぜか視線を反らせない俺にフッと笑った尋之さんは腕を伸ばして俺の頭を撫でた。
「痛くも痒くもないから、気にしないで?・・・それに、はるちゃんにつけられたと思えば、痛くても気にしな〜い」
むず痒くなるほどの甘ったるい声色に、ビクリと身体を揺らした俺を気にすることなく、尋之さんは軽く伸びをしてベッドを降りた。
「はーるちゃん。ぼうっとしてるのも可愛いんだけど、時間、大丈夫〜?」
「・・・え!あ!な、何時ですか今」
「んー、7時少し前だね〜」
「い、一旦家に戻らなきゃ・・・」
「とりあえず、シャワー浴びてけば〜?送ってあげる」
「え、そんな、大丈夫です」
「いいって〜、ほら、入っておいで〜」
未だ、ベッドの上にいた俺の腕を引いて洗面所まで連れて行った尋之さんは有無を言わせぬ笑顔で「ちゃんと入ってね」と言って扉を閉めた。まさか、人の家の風呂を借りることになるとは。
ようやく冷静になった頭で今のおかしな状況に首を傾げていると、昨晩の失態を、思い出す。
あぁ、そうだ、俺酔っ払ってあれやこれやを口走ってしまったんだ。
そして、それと同時に、尋之さんのあの鋭い目も思い出してしまい、思わずぎゅっと自分の肩を抱いた。
確かに、昨日間近で見てしまった尋之さんの目は、とてつもなく怖かった。でも、今こうしてシャワーを勧めてくれた尋之さんは確かに優しくて、暖かい。
もしかしたら、酔っていたせいでそう感じただけかも、と、昨晩の失態と合わせて判断能力も低下していたんだと都合よく結論づけた俺は、尋之さんのご好意に甘えてシャワーを浴びさせてもらった。
風呂から出て、用意されていたバスタオルに尋之さんの気配りに感動した。そして、洗面所の横にある棚に置かれた下着とアンダーシャツを見て首を傾げる。
どう見ても、俺が履いていたものではないし、アンダーシャツも俺のではなかった。
しかし、それ以外に着るものはなくて、裸で出て行くわけにもいかないと手に取るとサイズが俺にぴったりだった。それはつまり、尋之さんには小さすぎるということで。手触り的に新品であろうそれらをわざわざ用意してくれたのだろうかと、申し訳なく思いながらリビングに顔を出すと、食欲をそそる香りが充満していた。
「サイズ大丈夫そう〜?」
ダイニングの椅子に座っていた尋之さんが俺に気づいて声をかけた。
やっぱり、わざわざ用意してくれたようだ。
「はい、ぴったりです。すみません、わざわざ」
「いいんだよ〜、ほら、朝ごはん食べていきな?」
「・・・はい、いただきます」
見事な和食が並ぶテーブルに、食欲を抑えることができずに素直に頷いて向かいに腰を下ろした俺を見て、尋之さんは嬉しそうに笑った。
というか、尋之さんはさっき起きたのに、どうやって用意したんだろうか。
疑問に思いつつも、腹が今にもなりそうな俺は「いただきます」と言って豪華な朝食に手をつけた。
食べ終えて、食器を下げようとした俺に「あ、やるからそのままでいいよ〜」と言った尋之さんは、寝室に戻って行ったかと思うと、両手に高そうなスーツとシャツを持って戻ってきた。
「はるちゃん、これ、着ていきな〜」
案の定それを差し出した尋之さんに、両手と首をブンブンと振りながら後ずさった。
「い、いやいや、流石にそれは!申し訳ないです!そんなにしていただかなくっても!」
「え〜・・・だって、これ、もうはるちゃん用に用意しちゃったんだよ〜?・・・俺じゃあ小さくって入らないし〜・・・俺が用意したのは、いや?だめ?」
「うっ・・・」
またあの「だめ?」だ。この人絶対に俺が弱いってわかっててやってるだろ。
軽く首を傾げて、眉を下げた笑顔でじっと見つめられてしまえば、折れるのは時間の問題だった。それに、言っていることが本当だとすれば、確かに俺用に用意したものは尋之さんには小さすぎるだろう。
無駄に、なるのは、もっと申し訳ない。
仕方ないと、頷いて腕を伸ばした俺に嬉しそうに笑った尋之さんを見て、苦笑いをこぼした。
着替え終えると、どうやら今の体型にぴったりらしいスーツは昨日着ていたスーツとは比べ物にならないほど着心地が良かった。これは絶対に高い、と、袖口や襟を触りながら眺めていると、尋之さんが嬉しそうな笑顔のまま口を開いた。
「あ〜、俺が見立てたスーツ着てるはるちゃん、いいね〜」
「え、見立てたって・・・昨日の晩からですか?」
「ん?そうだよ〜?寝てる人の採寸は初めてだって言われちゃった〜」
思わぬ事実を聞かされた。というか、寝てる間に採寸されていたのか。それでも起きることなく眠り続けていた俺はさぞかし滑稽だっただろう。せめて、起こしてくれよ、と不機嫌さを隠さずに尋之さんを見ると、困ったように笑っていた。
「ふふふ、ごめんね。気持ち良さそうに寝てたから〜。でもこれで!いつでもはるちゃんにスーツ作ってあげられるよ〜」
「え!いいですいいです!これで充分です!」
「んー、まぁ、今は、ね〜」
俺の遠慮を意に介さない尋之さんは楽しそうに笑って車のキーを俺の目の前でプラプラと揺らした。
「それじゃ、もう8時前だから、行こっか〜」
「え!や、やばい・・・」
「大丈夫〜ここから15分くらいで展望タワー着くから〜。出社時間、8時半でしょ〜?」
「あ、え、まぁ・・・」
いつも、終わらない仕事をなんとか片付けるために8時前には出社していた俺は、出社時間と言われて肩の力が抜けてしまった。そんなことまで話していたのか、昨日の俺は。
恥ずかしくなりながらも、朝食もしっかり食べて、尋之さんと話すこともできた今朝のおかげで、今日はいつもよりも効率よく仕事ができそうだと玄関に向かった尋之さんを追って部屋を後にした。
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