03


大学に入学して、二度目の春。
意外にも真面目に授業に出るという一年間を過ごした俺は、高校と変わらず、充実した日々を送っていた。
大学での友達もできたし、春休みには高校の先輩後輩を集めて海に行った。原田とはしょっちゅう遊んでいた。

「母さん、今日バイトで遅くなる」
「りょーかい。私は今日夜仕事だから」
「ん・・・てか、もうやめてもよくない?」
「・・・何言ってんの。アンタなんかまだまだ子供なんだから。アンタこそバイトばっかしてないで遊んで、勉強でもしなさい」
「勉強は・・・約束できない・・・」
「アンタバカだもんねぇ」
「うっせー・・・じゃあ行ってくる」
「はい、行ってらっしゃい」

授業も始まり、いつもと変わらない母さんとのやりとりだった。
そして、大学に行き2限と4限を受け終えて、友達と話しながらバイトに行く準備をしていると知らない番号から着信があった。市外局番はよく見るものだったので、不思議に思いながらも電話を受けると病院からだった。

〈落ち着いて聞いてください。お母様が事故に遭われて、意識不明の重体です〉

言葉を飲み込むのにだいぶ時間がかかってしまった。固まる俺を見て友達が声をかけてくれていたらしいが、正直そこからの記憶が今でも曖昧だ。気がつくと病院の集中治療室前の廊下でしゃがみこんでいた。ランプが消えて、担架に乗って出てきた母さんを見て血の気が引く。
たくさんの管に繋げられて、青白くなった肌。

「手術はなんとか終えましたが、意識がまだ戻っていません。あちらで詳しく説明させてください」

医者に呼ばれるままついていくと、脊髄損傷との説明を受けた。意識が戻ったとしても、体が動かせないということ、そして、合併症のこと。頭が悪い俺でも、どういうことかわかった。
病室に案内されると母さんがベッドに横になっていた。朝には元気に話していた母さんが、もう自力で起き上がることはない。
目の前が真っ暗になった。

そして、3日が経ち、ようやく目を覚ました母さんは、俺を見るなり涙を流した。
掠れた声で「ごめん」と繰り返していた。

「やめてくれ。母さんは悪くない」

母さんがあった事故はトラックのわき見運転だった。左折する際、横断歩道を渡る下校中の小学生たちに突っ込みそうになりハンドルを切って信号待ちする母さんがいるところへ突っ込んだらしい。
そして加害者の運転手は亡くなったそうだ。この怒りはどこにぶつければいいのだろう。

相手の過失致傷ではあるが、治療に多少のお金はかかるだろう。弁護士等を雇えばどうにかなると言われたがそんな余裕はないし、頭も回らなかった。母さんには言っていないが、俺は事故があった翌日に退学届を提出した。受理されるには時間がかかるらしいが、理由が理由なので、そのうち諸々の書類が郵送されてくるだろう。しばらくは母さんのそばにいたい。それに学費のための貯金と母さんの貯金で治療費と当面の生活は賄える。

体こそ動かせないものの、話せるようになった母さんがまず聞いてきたのは、大学のことだった。

「大学、は、ちゃんと、行ってるの?」
「ん、行ってる。大丈夫だから。心配すんなって」
「そう・・・」

今思えば、母さんはわかっていたのかもしれない。日が出ているうちは基本病院に行き、たまにバイトを入れて、夜には居酒屋やバーなどでバイトをしていた。朝家に帰り、シャワーを浴びて2〜3時間仮眠をとり、病院に行き、また夜からバイトに行くといった生活を一年半以上続けた。
寝たきりになってしまった母さんを、本来であれば自宅で俺が面倒を見たかったが、最初に説明されたように様々な合併症を引き起こし、退院することなく弱っていった。

事故から丸一年が経った頃には、治療費がかさみ、首が回らなくなっていた。俺はもともと2人で暮らしていたアパートから四畳半の格安アパートへと引っ越した。正直2人で暮らすには、母さんのベッドを入れて面倒を見るには、無理のある広さだった。心のどこかで、もう家に母さんが戻ってくることはないのだとわかっていたのかもしれない。
携帯には、大学の友達や高校の友達、先輩、後輩からたくさんの連絡が入っていたが、その頃は返信する時間も気力もなかった。

そして、大学に通っていれば3年のクリスマス前、母さんの容態が一気に悪くなった。
医者には、もう長くないと告げられてしまった。もうどう思われてもいいと、病院に籠もりっきりの俺に、母さんは思い出したように聞いてきた。

「アンタ、大学は、楽しい?」
「・・・ん、楽しいよ」
「そう、よか、た」
「眠いなら、寝ていいよ。母さん」
「そう、だね。ちょ、と、寝ようか、な」

途切れ途切れの母さんの言葉を逃さないように。最後までそばにいたのだとわかってもらえるように。手を握りしめて最後の三日間は過ごした。そしてクリスマスを過ぎて、12月26日の朝方。母さんは息を引き取った。

涙はなぜか一滴も出ないまま、葬式の準備などで慌ただしい日々を過ごした。
原田は母さんと面識があったため、事故のことや大学を辞めたことを電話で伝えていた。手伝うことがあればなんでもいってくれ、と涙交じりの声で言ってくれたのを今でも覚えている。そして、空元気で「大丈夫だ」と答えたことも。亡くなったことを伝えた時、葬式の準備を手伝うと申し出てくれたが、最後は自分一人で見送る準備をしたいと告げるとそれ以上は何も言ってこなかった。

そして葬式では、なぜか涙の流れない俺の代わりにたくさん泣いてくれた。

葬式を終えて、アパートに戻ろうと準備をしていると、後ろから声をかけられた。振り向けば、目を赤くした原田が立っていた。引っ越す前はたまにアパートに顔を出してくれていた原田だが、忙しさと心情からなかなか連絡を取ることができずに約8ヶ月ぶりに会った。元気そうで、とても安心した。頭から、あの青白くて、管の繋がれた母さんの腕が脳裏に焼き付いて離れなかったから。そんな俺とは逆に、原田は俺を見た瞬間、眉をひそめて怒っていた。

「お前、ちゃんと寝てたのかよ。飯、食ってたかよ。知らねーうちにアパートも越しやがって!!」
「・・・ごめん」
「っ、謝れっていってんじゃねえんだよ!!」

確かに、春に引っ越して、そこから一切連絡を取っていなかった。来ていたのかもしれないが、確認できていない。俺は本当に友人に恵まれている。俺のことを、俺以上に心配してくれる人がいるというのは、嬉しい。母さんも、そのうちの一人だった。式中は一滴も流れなかった涙が、なぜか今になってこぼれていく。ボロボロと出ていく涙を止めることなく原田を見ると、唇をかみしめてズカズカとこちらに向かってくる。
それをじっと見つめていると、グイッと腕を引っ張られて抱きしめられた。

「頑張ったな、しんちゃん。しんママも最後までそばにいてくれて喜んでるよ」
「そう、かな。俺、大学、辞めたって、言えなかった」
「・・・わかってくれてるよ」
「だと、いいけど。もう少し、一緒に・・・過ごした、かった」
「・・・そうだな」

肩のところで、ズズッと鼻をすする原田の頭に手を当ててポンポンと動かすと、すする音が大きくなった。

「なんで俺が、お前に慰められてるみたいになってんだよ」
「身長のせいじゃね」
「ムカつく」

まるで高校に戻ったかのようなやりとりに心が少し軽くなった。

「しんちゃん、今日俺ん家に泊まんなよ」
「・・・いや、今日は家に帰る」
「そう・・・まぁ、無理にとは言わねーけど」

申し訳なく思いながらも断ると眉を下げて笑う原田を見て安心する。そして、少しの会話をしたのち、原田と別れて一人アパートへと向かった。

行きはタクシーを使った道のりを、ゆっくりと歩きながら帰ったせいでかなり時間がかかってしまったが、アパートにちゃんと着いた。部屋に入って、随分と小さくなってしまった母さんをスペースを開けた棚の上に置く。狭くなってしまったが、母さんとようやく家に帰ってこれた。引き出しを開けて、母さんの入院中いっさい手をつけていなかったタバコを取り出し、火をつける。
少し噎せたが心が落ち着く。
そう言えば、母さんにタバコがバレた時、めちゃくちゃ怒られたな。あの時素直に辞めてれば、また違った未来が待っていたりしたんだろうか。一人になると良くない方向へ思考が向かうのがわかった。それでも今は、誰にも会いたくないし、話したくもなかった。

コップに水を入れて母さんの前に置き、久しぶりに布団に入った。頭は冴えていて、眠れる気がしなかったが体が限界を迎えていたのかすぐに眠ってしまった。目が覚めたのは次の日の20時過ぎだった。



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