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現場に入ってから、一週間が経った。
あの後、梶野はビルにやってきたが作業中の俺に声をかけず、打ち合わせだけして帰っていった。これで梶野と会うこともなくなったと思っていたが、なぜか梶野はよくビルの現場に現れた。そしてその度に、話しかけてはこないが、俺をじっと眺めていることが多かった。

最初の1、2日は気になっていたが一週間も経てば気にならなくなっていた。視線の意味を考えてみたが、高校の時あれだけ慕っていくれていたのだから、俺がこんなに落ちぶれていて驚いているのかもしれない。当時から金に余裕があったわけじゃない、それでも心には余裕があったし充実した毎日を送っていた。それがどうだ、今は闇金への返済に必死で、定職にも就けずに細々と暮らしている状態だ。友人もおらず、身内もいない。ふとした時に、なぜ生きているのだろうと考えるが、いつも意味は見つからない。そして自殺などする勇気も覚悟もないから、ただただ生きている。そんな人生だ。

「伊藤!次こっち手伝って!」

現場の先輩に声をかけられて、そちらへ駆け足で向かう。ここの現場の人たちもいい人ばかりで、予定がない仕事終わりには俺夕飯に誘ってくれたり、自分も苦労したんだと共感して話を聞いてくれる。しばらく作業を手伝っていると、現場監督が「あ!」と大きな声を出した。集中していたので時間を見ていなかったが、もう17時になっていた。
現場監督の目線を追ってみると、Tシャツにジーンズ姿の梶野が立ってる。

「梶野さん!来てくださったんですねー!」
「ええ、わがままな提案をのんでいただいてますので、今日は私にご馳走させてください」
「いやぁ、嬉しいなぁ!こんな人いままでの現場でいませんでしたよ!」
「そう言っていただけて嬉しいです」

どうやら、今夜は現場監督と飲みにでも行くらしい。会社を経営しているだけあって、随分と羽振りがいいようだ。それにしても、いままでスーツにしっかりと髪をセットした姿しか見ていなかったが、ラフな格好をしているとあまり昔から変わっていないように見えた。まぁ、それは表情だったり雰囲気だったりの話しで、外見や物腰、話し方は完全に大人だけど。

「伊藤、今日お前も飲みに行くだろ?」

目の前で作業している先輩に聞かれたが、首を傾げた。飲み会の話は聞いていない。

「・・・今日なんかあるんですか?」
「お前聞いてなかったのか。今日はなんかクライアントが飲み会でも開こうっつって、現場の奴ら呼ばれてんだよ」
「あー・・・なるほど。・・・でも俺は派遣なので、参加するのは・・・」
「何言ってんだよ。真面目に働いてる人間に上も下もあるか。来い」
「・・・はい」

正直、梶野がいる場所に自ら進んで行きたくはなかったが、可愛がってくれている先輩に来いと言われてしまったら断ることはできない。酒も相変わらず弱いが、飲み会の楽しい雰囲気は嫌いではなかった。それに、どうせ家に帰っても独りなので、この一週間先輩に誘われて断ったこともなかった。
その後、黙々と作業を進めて17時半には片付けも終わり、今日の作業は終了した。

「伊藤は事務所寄ってから合流するだろ?」
「はい。そうです」
「店は駅前だから、近くに来たら連絡しろよ」
「わかりました」

現場の先輩たちは先に居酒屋に向かい、俺は今夜の飲み会で梶野と顔を合わせなければならないことに、気まずさを感じながら事務所へと足を進めた。

事務所へ行き、重たい足で駅前へ向かいながら、言われた通りに先輩へ電話をするともう何杯か飲んだのか上機嫌で迎えに行くと言っていた。まだ一時間ほどしか経っていないのに、飲み会がそれだけ盛り上がっているのだろう。

「あー・・・暑いな・・・」

夜になってもまだ蒸し暑いこの時期は、着替えのTシャツを持ってくるのが必須だ。来た時よりも幾分か綺麗なTシャツを少しめくって風を送る。
ちらっと視界に入った腹は、出てはいないが元々そんなになかった筋肉が昔より確実に落ていた。筋トレをしたいと思うが、動くと余計に腹が減ってしまうため時間があると寝ることに専念している。待ち合わせのコンビニ前のガードレールに腰掛けていると、後ろから肩を叩かれる。

「お待たせしました」

丁寧な言葉遣いにドキッとして勢いよく振り返ると、梶野が笑顔で立っていた。

「・・・ん」
「職人さんたちが酔っ払ってしまっていて、迎えに来れる状況じゃなかったので俺が来ました」
「うん・・・さんきゅ」

最後に話した時にとってしまった態度から、罪悪感と気まずさが拭えないが梶野は全く気にしていないように感じる。

「じゃあ、行きましょうか」

そう言って歩き出した梶野の後ろを追いかける。昔は梶野が俺の後ろをついて歩いていたが、今では逆転している。少し情けなさを感じるが、梶野があれから頑張って今の地位を手に入れたのだと思うと尊敬と誇らしさの方が優った。俺の後輩はこんなにすごいんだと、言って回りたいくらいだ。

飲み会をしている居酒屋に着くと、梶野が言っていたように先輩たちは大いに盛り上がっていた。

「おせーぞ伊藤!おい、こっち座れ!」

酔っ払った先輩に腕を掴まれて間に座らされる。とりあえず烏龍茶を、と言うと『おう!』と気前よく返事をしてくれた。こういう時に思い出すのはあのタナカで、彼はあの時酒を頼まない俺にイラついていた。その理由もわからなくもないが、こういった人たちに囲まれると彼の心が狭かったのではとも思ってしまう。

「伊藤はよ〜、彼女とかいねえのか?」

しばらく烏龍茶を飲みながらみんなの話を聞いて相槌を打っていると、現場の最年長の金田さんが肩に腕を回して聞いてきた。彼女は、借金ができてから作っていない。というか、全くそんな気になれない。

「あー・・・はい。いないです」
「なんだ、お前〜、モテそうじゃねえか」
「いや、全くですよ」

借金を抱えて前の仕事を辞めてからは、人と深く関わろうとしなかったが、そんな俺でも好いてくれる人もいるにはいた。もちろん付き合うことはせずに丁重に断っていた。

「今は、仕事で精一杯で、彼女とかは作る気になんないです」
「もったいねーなー!俺の娘とかどうだ?」
「あ!出た!金田さんの娘の話!伊藤!気にすんなよ〜。現場に来る若い奴、全員にこの話してんだ、金田さんは」
「なーに言ってんだよ!俺だってちゃんといい奴にしか言ってねえよ!」

金田さんの横に座っていた、加賀美さんも加わって話が盛り上がっている。話を聞いてみると、金田さんの娘さんは30歳で男っ気がまるでないらしい。一人暮らしをしているが、週末には実家に帰ってきて父である金田さんと飲んで話して家に帰って行くらしい。
その話だけで、家族の仲が良いのがわかる。

「いい、娘さんじゃないですか」

思わず、口からこぼれた言葉になぜか飲みの席が静まり返った。何か変なことでも言ったか?と、首をかしげると金田さんが肩をバシッと叩いてくる。

「なんだお前!そんな顔もできるんじゃねえか!いつもぼーっとしてるから、どうしたもんかと思ってたけどよ!」
「伊藤〜、その表情してたら女なんかイチコロだろ〜!」

加賀美さんもニヤニヤしながら俺を見ながらそんなことを言う。どんな顔だろうか、手で顔をさすってみるがわからない。でも、金田さんの話を聞いて、家族っていいなぁ、と、胸が暖かくなったのは確かだったので、もしかしたら頬が緩んでいたのかもしれない。
少し恥ずかしくなって顔を背けると、正面左側に座っていた梶野が視界に入る。俺を見ていたのか、視線が交わった。
熱くなった頬を冷まそうと、半分残っていた烏龍茶を飲んでいる間も視線を感じ、コップを置いてから目線で、なんだ?と問うと、すぐに目を逸らして現場監督と話し始めた。いつもいつも、不躾な視線を向けられて、こちらがなんだと思えば視線を外してそれを無視する梶野。
いい加減、少しイラついてきた。そんなに落ちぶれた先輩が物珍しいか。

「金田さん、ドリンクのメニュー、どこですか?」
「あ?ああ、ほら」

金田さんと加賀美さんの間にあったメニューをもらい、酒のページを開く。強くないが、少しなら大丈夫だろう。みんなが、好んで酒を飲むのはイラつくことが多いからなのかもしれないな。俺は今、無性に酒を飲んでしまいたい気分だ。飲んだ後の頭痛など気にすることなく、ウーロンハイをお願いした。



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