005
祖父が家に帰ってくるタイミングと、おねえさんを玄関まで連れて行ったタイミングがちょうど一緒だった。がらがらと玄関の引き戸を開けた祖父は、ほんの一瞬だけ目を大きく開かせたが、すぐに軽く頭を下げた。
「いらっしゃい」と優しく言った祖父は、どこかしら難しいことを考えてるようだったけれど、おねえさんもつられて深々と頭を下げた。
「勝手にお邪魔して申し訳ございません」
ゆっくりと深々と頭を下げたおねえさん。本当に、そこまで気にすることなのだろうかと思うほど深く頭を下げていた。
僕はこの時、祖父がおねえさんに「そんなにかしこまらなくていい」と言いたのだろうと思っていた。
だから僕に「ばあさんの所に行って手伝ってきなさい、このおねえさんはじいちゃんが見送っておくから」と言ったのだと、僕はてっきり思っていた。
「あら、けんちゃん、おねえさんのお迎えはどうしたの?」
台所で味噌汁を温めていた祖母は、思った以上に早く戻ってきた僕に言った。
「じいちゃんが見送るからって」
「あらまあ、そう」
困ったように頬に手を当てて、味噌汁が沸騰を直前になって火を止めた祖母。
「ご飯、ずいぶん多く作っちゃったけど、ご近所さんにおすそわけでもしようかしら?」
肉じゃがが入ったお鍋を見て困り果てる祖母。鍋の中には、たしかに三人では食べきれる量ではない肉じゃがが、ごっそりと入っていた。大きくため息をついた祖母の得意料理は肉じゃがらしく、おそらくだけれど、おねえさんが来ていたから、特売日で買ってきたジャガイモを使おうと思ったのだろう。肝心のおねえさんはもう帰ってしまったけれど。
「ぼく、食べるよ?」
「あら、こんなにけんちゃん食べたら豚になっちゃうわ」
戸棚からタッパーを五つ取り出して肉じゃがをぎっしりと詰める祖母。そういえばすぐ近くの古びたアパートに、何人もの大学生が一人暮らしをしている。
ここら辺はどちらかというと十代や二十代の若い人たちが極端に少ない土地で、もう定年を少し過ぎるかどうかぐらいの人たちの方が多い地域でもある。だから「世話焼き」と称して、祖母は時々晩御飯のおかずを大目に作っては、僕に「世話焼き」の運び係をお願いする。
「これ、そこの『菊』の人たちにお願いね」
すぐ近くにある大学に通い、なおかつそこの人たちが「家賃が安い」という理由だけで築何十年も前に建てられたぼろぼろのアパート『菊』に住む大学生のことを、祖母は『菊』の人たちと言う。僕は週一で彼らにご飯を持って行っている。一つ一つをポリ袋の中に入れて、汁が決してこぼれないようにすると、それを風呂敷でぐるっとまとめてしばる。
「『菊』の人たちね、まかせて。配ればいいんでしょ?」
「うん、お願いね?」
机の上に三人分の箸を置き終えた僕は、祖母から肉じゃがが五人分入った風呂敷を受け取る。汁物が入っているので絶対に斜めにしてはいけないし、ちゃんと「勉強お疲れ様です」と一言言ってから渡す。このことをしっかりと頭の中に叩き込んでいた僕は、玄関に置いている祖父の下駄をはいて、ふと、思った。
おねえさんは、ちゃんと家に帰れたのだろうか、と。
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