004



 「あらあら、まあまあ、いったいどうしたの?」
 買い物から帰ってきた祖母は、家に帰るなり、両手いっぱいのエコバックを抱えながらびっくりしていた。
 当たり前だと思う。
 今日は学校に行く前に祖母が新聞のチラシを見ては「今日は特売日なのね!」と頬を赤くし、僕の顔をちらりと見た。ばっちりと目が会った後、嬉しそうに「今日は何が食べたい?」なんて言っていたから、かなり買い込んだのだろう。しかもたった一人で、大量に。
 家に帰れば、小学校高学年の孫が高校生の「おねえさん」と一緒に勉強をしている。否、勉強を見てもらっている。
 「勝手にお邪魔して申し訳ございません」
 律儀に一度、机から少しだけ離れ、正座の状態でゆっくりと頭を下げたおねえさん。真っ黒な黒髪はポケットの中から取り出した桃色の髪留めでゆるく結んでいる。
 「あらあら、別にいいのよ? ゆっくりしていってね? あ、うちジュースないのよ。子供にジュースはあんまりよくないって思ってね、ごめんなさいね………緑茶でもいいかしら?」
 「お、かまいなく」
 くすくすと笑いながら言った祖母の背中は、どこか嬉しそうで。なんとなくだけれど、足取りが軽かったような気がした。
 「おねえさん」と僕が言えば、おねえさんは慌てたように僕を見た。
 「問題、解けたんだけど」
 「ああ、ごめんね………ちょっと見せてもらってもいい?」
 ノートを取り上げてぶつぶつと言いながら教科書と交互に睨めっこをするおねえさん。相変わらず「県立北高等学校」の名札が光る。
 きっと明日から本格的な授業が始まる。上下ジャージの熱血先生は問題を解かせることから授業を開始すると言っていた。ともなれば、予習はして当り前だろう。
 僕は決して頭が悪いわけではない。テストの点数だって、決して悪いわけではない。
 だけど、だ。地元で有名な高校に通うおねえさんがいるのだ。勉強をしっかりと教えてもらい、わからない個所をつぶしていくことが、決して悪いことには思えなかった。
 「おしい、計算ミス………少年は小さなミスで目立つね?」
 ぐさりと、頭に大きな矢が刺さった気分だった。前の先生も似たようなことを言っていた気がする、垣本(かきもと)は小さなミスでダメになる。けっこうないいところまではいっているはずなんだ、と。赤の色鉛筆で横棒を引き、「ここから下やり直し」とかわいらしい字で書いたおねえさん。ほんのちょっぴり悔しくて、僕はまわりのことなんて気がつかなかった。


 もう大丈夫だろう。この区切りがついた時には、時刻は夜の七時を五分ほど前となっていた。
 「それにしても、少年の字、本当に見やすくて助かるわ………採点しやすい」
 「そうかな? 普通だと思うけど」
 改めて自分のノートを見てみる。特別綺麗とは思えない文字。
 「じいちゃんが『日本人なら字ぐらい丁寧に書いて当然だ。祖国の文字すら綺麗に書けないでどうするんだ』って言ってて」
 いつも僕は、祖父に書類を書いてもらっていた。祖母に出しても結局は祖父の所に行きついてしまう。だったら二人がいるときの方がいい。あとで祖父母のどちらかが見ていない、なんてことにはならないはずだから。祖父母に書類を見せては、書いてもらうのは祖父の担当なんて、少しおかしい気もするけれど。
 いつだったか、利き手でもある左手を体育の授業で痛めてしまい、うまく字が書けないときがあった。この時は心が綺麗に折れてしまうほどの説教を受けた。お前は祖国の字も綺麗に書けないのか、と。
 「そ、そっか、うん」
 歯切れの悪い言葉で斜め下を見るおねえさん。斜め下を見たって僕が来るときに換えた畳しかない。当時の僕に、おねえさんの気持ちなんて一ミリも理解できなかった。
 「お勉強はお済ですか?」
 にこにこしながら、自慢の割烹着で今へとやってきた祖母。いつの間に卓にお茶が並べられていたのだろうかと思うほど、僕は集中していたんだろう。もうずいぶんと時間が経ってしまった。
 「長居してしまい申し訳ございませんでした」
 深々と頭を下げるおねえさん。どこかで礼儀作法を習ったのかと思うほど、ゆっくりで綺麗だった。
 「そんなことないわ! 初孫にこんな綺麗なお友達が出来ていたなんて、びっくりよ!」
 両手を合わせ、頬を赤くする祖母は、心から嬉しそうで。
 けれど、小さく「お友達」と呟いたおねえさんの瞳の色は、どこか濁っていた。
 「よかったらウチで晩御飯食べて行って頂戴! どうせ三人も四人も量的には変わりはしないんだから!」
 晩御飯、もうそんな時間なのかと、僕は再び時計を見る。時刻は夜の七時をほんの少しだけ前。たしかに晩御飯前だ。時計を見てほんの少しだけ嬉しそうな顔をしたおねえさんは、何かに気がついたように、深く、ゆっくりと頭を下げた。
 「いえ、家の者が待っているはずですので」
 僕はてっきりおねえさんと一緒にご飯が食べれると思っていたので、どこか心の中が期待外れに似た感覚でいっぱいだった。両親がダメだった僕にとって、今までまともな学校生活を送ってくることのできなかった僕にとって、自分と年の近い人と一緒にご飯を食べると言うことは、なんだか新鮮だった。
 だから素直にうれしかったのだけれど、おねえさんがダメというのであれば、無理だ。
 「あら、それなら仕方ないわね………けんちゃん、近くまで送ってあげて?」
 「うん、そのつもり」
 ノートと教科書をランドセルに詰め込んだ僕は、おねえさんをじっと見る。きらきらと輝く「県立北高等学校」の名札は相変わらずだけれど、僕はこの時、妙な違和感を抱いていた。
 時計を見た時から、おねえさんの瞳の色がずっと濁っていて、僕はこのことがずっと気になっていた。




[ 5/48 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -