003
僕はあの日以降、彼女のことを「おねえさん」と呼ぶようになった。
「今日は学校の帰りが早いんだ?」
学校が終われば、僕は自然とあの公園に行くようになった。
「今日は先生が『用事があるから早めに終わらせる』って………なんか噂だと若い女の先生たちと食事するとかって」
「………君の学校の先生は本当にやる気ゼロだね」
呆れながらブランコを楽しむおねえさんは、本当に女子高校生かと思う。
「おねえさんはいつもこんなに早いの?」
不思議に思った。
たった三日でぼろぼろになった上履きを祖母に見られたあの日、祖母は嬉しそうに言っていた。
県立北高等学校。ここら辺では知らない人間はいないほどの名門中の名門公立進学高校。別名北高とも呼ばれ、旧帝大、つまりは現在の国立大学へ行くためにわざわざ北高に行く人もいるらしい。
当時、まだ小学校高学年の僕には、興奮しながら話す祖父母の言葉が分からず、ただ単純に「県立北高等学校は頭のいい学校」としか認識できなかった。
そんな県立北高等学校の女子高校生さんが、真昼間にいる。小学校高学年の僕にだってわかる、このことがおかしいのでは、と。
「別に私のことなんてどうだっていいのよ! 連中、成績さえよければ、みたいなこと言ってたし」
「………そうなの?」
「そうなの!」
ブランコをギコギコと鳴らしながら楽しむおねえさん。スカートからのびる白い足。めくれる、なんてことを一切考えていないようで。僕が静かにブランコに座ると、じっと僕を見つめてはやがてにやりと笑った。
「それで?」
急だった。おねえさんがどこか嬉しそうに言った。
「学校の方はどうなの? 相変わらず?」
ブランコを止め、にやりと笑いながら言ったおねえさん。何か面白いものを見つけたかのように、瞳がキラキラと輝いていた。
「普通、かな?」
「普通って何よ! おもしろいとか、友達出来たとか、いろいろあるでしょうが!」
「………先生が変わった」
ほんとうに、今にも殴りかかってきそうなおねえさんは、おっかなくて、おそろしくて。慌てて僕は今日起きたことを口にした。
「殴らないでよ?」
「ちゃんと言えば怒らないわよ! それで、先生が変わったってどういうことよ」
「それが分からないんだ」
「はあ?」
あきれ返ったような返事をしたおねえさん。
「本当だって……………今日学校に行ったら知らない先生が教室にいて、まだ朝礼が始まる何分も前なのに教室の前で立ってて」
紺色のジャージに、中身は白のティーシャツ。腰にはなぜか木刀がさされていた。ぴたりと僕が呼吸を忘れた所で、慌てて「おはようございます」と言えば、彼はにっこりと笑いながら「おはよう!」と教室いっぱいに、叫ぶように言った。仁王立ちをしながら言った先生に、最初こそわけがわからなかった。
朝礼が始まり、先生は大きな声で「季節外れだが今日からこのクラスの担任をすることになった! みんな! よろしくな!」と、マイクでもつけているのではと思うほどの声量で言った。休み時間や授業中に、背伸びをした女子生徒たちが携帯電話や化粧ポーチを机の上に出せば取り上げ、授業中の私語が分かれば即座に廊下に立たせた。こんな状態だったからか、僕はこの日から学校生活が穏やかになった。
「………やる気のない先生から熱血先生ね、温度差ありすぎじゃない?」
呆れ返ってぐったりとしているおねえさん。言いたい意味は、この時の僕にもわかった。
「うん、本当は一日ちゃんと授業したいけど、他の先生たちとの付き合がどうだのって、結局今日はもうおしまいだって。明日から本格的な授業を」
今になってやっと思い出した。頭の中で全身ジャージに白いティーシャツの新しい先生の言葉が浮かぶ。
『明日から! 本格的な授業を再開するから! 必ず予習を! しておくように! 必ず! だぞ! 明日は! 問題を! 解くことから始めるからな!』
大きな声で、教室の窓ガラスがびりびりと音を立てるのを全く気にもとめることなく言った先生に、誰もが聞いていなかった。というか、どうでもよかった。みんな、早く帰れると心が躍っていたから。さっと血の気が引いたような気がした。
「どうしたの少年?」
全身ジャージに白いティーシャツをきた、新しく来た先生は、今までの先生とは決定的に何かが違う。「やる」と言えば、必ず「やる」人なのだろうと、当時の僕にもわかった。
「おねえちゃん! お願いがあるんだけど!」
気がつけば僕はお姉ちゃんの手をしっかりと握っていた。
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