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 お土産は、事務所の人たちに案外好評だった。
 「さっすが垣本くんよ! このお菓子、すっごく美味しいわ!」
 警視庁での長丁場の会議を終えた先生に、父親の故郷のお土産を渡せば、先生はとても喜んでくれた。
 正直に言うと、僕はお土産なんて全く頭になかった。ばあちゃん宅の縁側でおねえさんから言われて、初めて「お土産が必要なのだ」とわかったぐらいで。同僚の人たちや事務所の人たち、さらには事務員さんたちも「美味しい」と嬉しそうに食べてくれたお菓子。おねえさんが「おすすめ」と言ってくれたお煎餅は、とても好評で、僕としては誇らしく思えた。「ところで垣本くん」と先生がお昼の休憩中に言った。
 「午後の案件、なんだけど………お願いしてもいいかな?」
 煎餅をぼりぼり食べながら言う先生。
 「なんでしょう?」
 「おおよそだけれど、君の得意分野だと思うの………足原さんの所のご親族、遺産わけなんだけど、きみ、出来るよね?」
 足原さん、アシハラさん、あしはらさんと、なんどか頭の中で呪文のように名前を呟いて、やっと思い出した。
 この地域の西区に住む足原妙子さん。これで「あしはらたえこ」と読む。去年の暮れにこの人のお父様が亡くなり、遺産の分配ということになった。けれど、大問題が発生した。
 よくある「実は土地がありました」や「遺産の件で」では、先生はわざわざ僕にお願いをしてこない。今年の初めに足原妙子さんご本人から言われた。
 『実はあの人、外に子供を作っていたみたいなのよ………戸籍を調べたらね、出てきて。これ、昨日分かったことなのよ? なんで今まで黙ってたのかって話よね? それで、私が言いたいのはね、ここからなのよ。自分は本妻のほうにかかりっきりだったから、遺産および私が後世に残せるすべてのモノを妾のほう、つまりは愛人の方に譲り渡す。本妻の方には一切のお金入れないって、遺書が見つかって。でもこの遺書ってメモ紙に書いてるだけだし、弁護士さん、これって本当に有効かどうか調べてほしいのだけれど、お願いしてもよろしいかしら?』
 弁護士事務所で弁護士として働き始めて、最初は、とても珍しいケースだと思っていた。
 けれど、別に珍しくもなんともないのだと知ったのはここ半年ほど。中にはもっとすご人もいる。
 「足原妙子さん、でよかったんですよね? 西区の」
 「ええ、間違いないわ…………嫌かな?」
 「いえ、自分でよければやらせていただきます」
 周囲から『垣本がこうしたことに慣れている』と判断されるのは、全くもって構わない。むしろこういった案件ばかりが僕の所に舞い込んでくるのも事実。
 実際、おねえさんの家の事情を調べる時と、自分の家を調べる時とで、ずいぶんと詳しくもなれたし、元新聞記者の祖父から情報収集を得るときのコツを、幼い頃から叩き込まれていた僕なんだ。ちょっとやそっとの複雑な家庭の事情であったとしても、これぐらいであればなんとかなると、判断できる。
 今は昼休みではあるけれど、休憩室から作業部屋へと戻り、僕は自分の机の引き出しの中を探る。
 「どうしたんだ?」と左隣の鶴岳。これで「つるたけ」と読む。これはこの事務所の中で唯一速読書を得意とする人間。なので大量の書類が来たときは、たいてい彼に任されている。チェックは自分に回ってくるのだが。
 「足原妙子さんの所、任された………知ってることあるか?」
 一応情報収集のコツとして、とにかくいろんな人に聴きまわること。これが一つとしてあると、昔、祖父がよく言っていた。
 「………………西区の、足原妙子さんか?」
 ただ、鶴岳は大きな声では喋らない。というか、声が小さすぎる。最初、失礼なことに、何度も聞き返してしまった。今ではもうないけれど。
 「うん、その人」
 机の上でサンドウィッチを食べる鶴岳。彼の特徴として、胃袋がブラックホールなことも取り上げられる。具体的に言うのであれば、三人前の定食を平気で平らげることだろうか? あるいは、ファミリーレストランに行くと、彼はたった一人で四人前を注文する。きっと胃袋がおかしいのだろう。
 「足原妙子さんは御年五六歳。亡くなられたお父様は享年九六歳。原因は衰弱。妙子さんは末子で、上に姉と兄が二人ずついる。お母さまは二十年前に他界………妙子さんは上から順番に三二の娘と二六の息子、さらに二四の双子の娘さんがいる」
 「そうか」
 これでは情報なしだ。がっかりと肩を落とした時だった。机の上に置いていた二リットルのお茶を取ろうとした鶴岳の手が、ぴたりと止まった。そういえば、と続けるように言った。
 「足原妙子さんの一番下の娘さんと、足原さんの亡くなったお父様が外で作った娘さんとは交流があるらしい………なんでも年が一緒で大学も一緒だとかなんとか。頻繁に連絡を取り合っていた中らしいぞ」
 「はっ?」
 一体どういった友好関係を築いているのか。こんな疑問は鶴岳の次の一言で吹き飛んだ。
 「でもその友好関係も一週間と続かなかったらしい………なんでも彼氏を奪っただのなんだのと………もめたとかなんとか」
 「ああ…………………そうか」
 もはや乾いた笑いしか出てこない。なんで途中でもめてしまうんだ。もしも仲のよさが健在であれば、調査も何もかもしやすかったのに、なんて思っていた僕は一番上の引き出しを開ける。上の引き出しには小さなケースを置いている。この中には名刺がぎっしりとはいっていて、すべて「あいうえお順」で並べられている。足原妙子さんだから、「あ行」で探していた僕は、横でおおよそ二人前のサンドウィッチを平らげ、さらにまだ食べようとしている同僚のことを、極力視界から遠ざけようとしていた。
 「…………ちなみに、その奪われたなんだのと騒がれた彼氏が俺です」
 名刺を探していた手が止まった。せっかく「あ行」の「か行」まで来ていたんだ。
 「……………お前……だって足原さんの所の娘さんはまだ未成年で、お前いくつだよ」
 驚きを隠せなかった。鶴岳とは高校からずっと一緒だった。彼女がいるだなんてことを今まで一度も聞いたことが無かったし、本人だって「女は嫌いだ」と豪語していた。女性の席に近づこうともしなかったし、いつも一緒にいたのは僕か、あるいは中学校から野球やらバスケットボールやらサッカーをしていた男子大学生ばかり。これらすべてが「彼女がいるから」との仮説があるのであれば、妙に納得してしまう。
 けれど、だ。これらの仮説を組み立てたとしても、だ。
 「年下彼女なんだよ」
 少しだけ顔を赤くしながらサンドウィッチを食べる鶴岳。なんとなく、この反応は本物だな、なんて思ってしまった。
 「それじゃあ、外の子、は言い方悪いけど、知ってる? 出来たら連絡先とか」
 出来れば向こうの意見も聞きたい。
 基本的には弁護士として仕事をするのだから法律重視となるけれど、遺産云々となると、法律できっちりと決めてしまう前に、まずはもめている両者を、しっかりと和解させてから法律に入りたいと思う。もちろん、もめている両者に対して「法律ではこうだから従ってください」と、強引に進めることもできるけれど。
 だから僕は出来たらでいい。外の子、との言い方はよろしくないのだけれど、彼女たちの意見も聞きたかった。ごたごたになるのも重々承知の上でだけれど。
 「なに、今から電話する? あいつ、学校辞めて今フリーターだから電話出れるかどうかわかんないけど」
 しかも連絡先を知っているときた。本当に、いままでの「女嫌い」のイメージがことごとく覆されて、親友としてなんだか心が悲しくなってくるのは、どうしてだろうか?











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