029



 お爺様の背中を暫くの間さすっていると、部屋の襖を開け、ご飯が出来たと言った少年のおばあ様が、お盆を落として、部屋の入り口で固まった。
 一体何をしているのだろうかと、不審に思ったのだろう。
 けれど、おばあ様も優しかったし、何よりも勘がよかった。あるいはお爺様が「助けることが出来なかった」と、おばあ様に愚痴をこぼしていたのだろうか? 
 『あらあら、まあまあ! そんなに泣いてしまってはお腹がすくでしょう! ほら、もうご飯出来ましたよ! 食べましょ!』
 両手を叩いて言ったおばあ様は、真っ白の割烹着を着ていた。どことなく、田舎のおばあちゃんといったオーラが出ている。
 本日の晩御飯はチーズハンバーグだった。
 「美味しかったね、チーズハンバーグ」
 空にはもう満天の星空が広がっている。最寄駅がバスで乗り換えをしなければたどり着けないほどのこの田舎では、都会のプラネタリウム並みの綺麗な星空が、肉眼で見ることができる。こればっかりは田舎特権だと思う。
 「ばあちゃんのチーズハンバーグは美味しいからね」と少年。
 晩御飯を食べ終えた私たちは、居間から比較的距離がある縁側で、肉眼で満天の星空を二人で眺めていた。廊下にはお盆が置いていて、お盆の上には食べかけのスイカと、ぬるい麦茶。キンキンに冷えた麦茶もいいけれど、私も少年も季節関係なく熱いお茶を飲む。このことをおばあ様は知っていたのか、私と少年だけ、温かい麦茶を入れてくれた。何とも優しい方だ。
 「そいえば明日には向こうだっけ? お土産何がいいんだろう?」と私が言う。
 「適当で良いんじゃない? いっそのことそこらへんの砂を小瓶に入れて『これお土産です』とか」と言ったのは、麦茶を飲んだ少年。
 「それって、あんまりじゃない? 怒られるよ………せめてお煎餅とかは? 日持ちがしてみんなが食べれる物。生クリームとか入ってると賞味期限が短いから、みんな、ばたばたで食べないといけないし」
 お土産ってなかなか難しい。人によっては「乳製品や卵はアレルギー持ちなんで食べれません」と言う人もいる。あるいは、賞味期限が短いと、あんまりバイト先に来ない人が食べることが出来ない。ならばと思い、お饅頭を買えば、「私は餡子が苦手だから」と言う人も出てくる。みんなが食べてくれそうなもので、なおかつ美味しいものであればいいのだけれど、地元のお土産で美味しいものを選ぶのが難しいと感じるのは、私だけだろうか?
 「そうだねえ」
 空を見上げながら、麦茶を飲む少年は、どこか他人事のようだ。
 「………言っておくけど、少年だってお土産買わないといけないんだよ? わかってる?」
 あんまりにも少年の返事に元気がなかった。どことなしに、他人事のように聞こえて、なんだかはらわたが煮えくり返る感じがしてしまった。
 「ねえ、少年、ちょっと」
 『聞いてるの?』と言おうとした時だった。
 だって少年の働いているところだって、基本的に盆休みというのがない。そのかわりに土日祝日はお休み。だから今回、先生に特別な許可をいただいて、お盆の時季に休ませていただいたんだ。だったら普通はお土産を買っていくのが当たりまだろうと思っていた私は、急に少年から腰に手を回されてしまった。
 「えっ………」
 何事か、なんて思う暇もなかった。重なった私と少年の唇が、私の体温を恐ろしいスピードで上昇させていく。
 「少年? どうしたの?」
 実を言うと、触れられるだけのキスというのは、今回が初めてではない。一度、少年に思いっきり触れられたあの日の晩が、何もかも初めてだった。
 あの日以降、私たちは触れることがあっても手をつないだり、せいぜい額にキスをする程度だった。
 なのに、なんだ。今回、少年は思い切った行動をしてきた。私が動揺を隠せないはずがなく、むしろほんのりと薄暗いところでよかったと、心底安心したぐらいだ。火照っていく身体を何とか覚ましたかった私は、必死になって手を動かし、近くのお盆の上に乗っているはずの、私の麦茶をとろうとした矢先だった。
 「父親は風呂なんだ、ばあちゃんは洗濯やらの炊事。じいちゃんにいたってはもう寝てる。ちょっとぐらい良いだろう?」
 何がいいのかを、具体的にお伺いしたい!
 実を言うと、私はまだお風呂に入っていない。私が最後の方で良いと言ったんだ。昼間、汗だくになりながら実のお母様が眠るお墓の掃除をした少年は、一番風呂を取って行った。次におじいさま、さらに晩御飯を挟んでお父様。結果、少年ほどではないけれど汗だくになった私は、まだお風呂に入っていない。
 ならばお風呂に入っていればいいのか、というわけではない。むしろお風呂に入っていようがいまいが、私の心の準備が整っていない。
 あの日はたまたまだったんだ。私が少年のことを好きだと言った。というか言えたから、あの時の感情に酔いしれていたんだ。だから少年から何をされてもいい、と思えた。
 けれど、今は少しだけ場所を考えてほしいと思う。ここは普段、二人が住んでいるアパートではないんだ。少年の祖父母が住んでいるお家なんだ。加えて田舎の家なんて壁が薄い。声なんて丸聞こえなんだ。もちろん、普段二人が住んでいるアパートであればいいのか、と聞かれたら、もしかしたらいいのかもしれないけれど。
 とにかく今はいけなかった。お爺様が寝ているとは言っても、お父様とおばあ様がまだ起きているんだ。
 「しょ………う、ねん……あの」
 ぐんぐんと上がっていく体温に、自分の顔が真っ赤になっていることがはっきりとわかる。やがて少年は私の肩に手を置いた。
 「おねえさん、じっとしてたほうがいいよ」
 じっとしてた方がいい、とは一体何をされるのでしょうか? いや、聞きたくもないけれど。
 とにかく私は何とか抵抗しようとし、やがて腕の力が限界だった。私のほぼ全体重を支えていたであろう右手が力尽きて、というか私の汗で滑ってしまったんだ。
 「わっ!」
 気がつけば、二人がいっせいに倒れる音に、きっと台所でミス仕事をしていたおばあさまと、お風呂から上がったばかりの少年のお父様が驚いてしまったのだろう。思いっきり頭を打った私は、痛さのあまり、自分の置かれている状況に、全く気がつけず、少年はというと、倒れた時に右ひじを思いっきり強打したようで、私たちは自分の置かれている状況に、全く気がつけずにいた。
 「あらあら、まあまあ!」と慌ててやってきて、第一声がこれの、少年のおばあ様。最初は、何が『あらあら、まあまあ!』なのかが全く分からなかった私は、やがて妙なまでのくすぐったい感覚と、呼吸のしにくさに、気がついた。
 「ちょっと少年!」
 顔から火が出そうなのが、自分でもわかる。少年の顔は、私の胸元にある。
 決して、変な行為をしようとしてこうなったわけではないはず。少年が私の腰に手を回し、私の体力がガタ落ちをしていたのがいけなかったのか、あるいはもともと私は言うほど体力がなかったのか。腕力に限界が来てしまい、崩れてしまった。私の腰に手をまわしていた少年は、私と共に倒れ、現在に至る。
 「おい、今の音は、な……ん…………だ」
 ここでまたタイミングが悪い。お風呂から上がった少年のお父様が、先ほどの音に驚きを隠せなかったのか、私たちの元にまで来てしまった。硬直した少年のお父様とばっちりと目があってしまった私は、呼吸を忘れた。息を吸うことも、吐くこともしなかった数秒は、やたらと長く感じられた。
 やがて、少年のお父様は慌てて言った。
 「おふくろ! これ、見ちゃいけないやつだ!」
 ぴったり地面に、まるで瞬間接着剤がついたかのように動かないおばあ様を、何とかして別の所に移動させようとする少年のお父様。違う、そうじゃない。全くの誤解だ。顔をお風呂上り以外での意味で赤くする少年のお父様の誤解を解こうと、私は何とかして少年をどかそうとするけれど、もうあの時の少年ではないんだ。大の男となってしまった少年をどかそうとしても、私一人の力では、とうてい無理があった。
 「少年! どいて!」
 なんとかして出た声は、おそらくとても小さなものだったのだろう。やっと気がついた少年は小さな声をだし、やがてゆっくりと動き出して、体を起こし、ばっちりと目があった。
 「…………どいれくれるよね?」
 少年のお父様も、おばあ様も息をのむようにして少年の次の言葉を待ち構えている。お父様もおばあ様も『次の代』が早くみたいのだろう。普通であればそうだ。だって少年はもう四捨五入をすれば三十路なんだ。別に子供がいてもおかしくはない年齢なのだから、二人がいつか、いつかと、心待ちにするのも全くおかしくはない。
 けれど、だ。別にそれは今でなくたっていいはずなんだ。時々一緒にすることとなる麻のパートの人たちもよく言うけれど、結婚も子育ても育児も早い方がいい、らしい。というのも、あんまりにも遅い、特に三十を後半になってから子供を産んでしまうと、どうにも体力がついていかない。だからこそ、わたしはさっさと子供を産んだ方がいいらしいのだけれど、私はまだ良いと思っているし、なによりも少年との一刻一刻の時間を大切にしたい。
 もちろん、少年が今すぐにでも子供が欲しいうのであれば、話は全く別物となるけれど。おねえさん、と少年が深刻そうに言った。
 「僕は、子供は男の子と女の子、一人ずつ欲しいです」
 どうしてこのタイミングで言うんだ少年! とりあえず私のやるべきことはただ一つだ。
 私の左手が、宙を舞った。







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