026



 僕は、小学生のころ、本音を言うのであればとても寂しかった。授業参観の日、誰もがお父さんお母さんと一緒に手をつないで、一緒に家まで帰るのを、ひとりぼっちで寂しく、遠くから見ていた。祖父母が一緒に住んでいるから大丈夫、寂しくなんかないなんて、自分に何度も言い聞かせていた。
 気がつけば僕は「もらわれっこ」や「いらないこ」のレッテルを張られていた。寂しくて、けれど僕のことを本当の子供のように育ててくれる祖父母に、こんなことをされていると知られたら、どこか申し訳なくて、とてもではないけれど、言えなかった。
 僕は、おねえさんが会うことが出来たから、今の僕がある。あの時、なんとなしでもいい。気まぐれだってかまわない。僕のことに声をかけてくれたおねえさんに、どれだけ救われたことか。
 「柴田さんは、奥様とご結婚をなされていたと思いますが、もしもその奥様が、柴田さんの言う『狭間木お嬢同様の家庭の事情』があれば、ご結婚をしていたんですか? 柴田さんが奥様に対する愛情というのは、奥様のご家庭の事情が『普通』であったからこそのものだとおっしゃるのであれば、それが柴田さんの言う『愛する』というものなのですか?」
 セミの鳴き声が嫌なぐらいに響く。容赦のない太陽が、じりじりと僕たちの体力を確実に奪っていく。僕はこの時季なのに長袖のスーツだから、余計に体力が奪われていく。
 やがて、柴田さんが言った。
 「俺はそこまでいった覚えはねえ」
 柴田さんが手にしていたバケツを地面に置いた。柴田さんが手入れをしていたお墓は、僕の実のお母さんが眠っていると思わしきお墓の左隣。つまりはこの段差の一番奥になる。
 「愛だのなんだのと、いっぱしのことを言うようになったよ、あのランドセルに馬鹿なこと書かれてたチビ助が」
 「いや、そんなことは」
 『僕はまだ子どもですよ』と言おうとした時だった。
 柴田さんは確かに言った。僕のランドセルに馬鹿なことを書かれていた、と。僕は、近所の人たちにそんなことを言った記憶は、一度たりともない。学校が終わればランドセルに書かれた文字を消すために、学校にできる限り残っていたり、あるいはおねえさんと出会うきっかけとなった公園に行ったりしていた。
 どれほど間違っても、ご近所さんに「ランドセルや体操着にこういったことを書かれてしまったのだけれど、どうしたらいいのだろうか?」との相談をしたことは、一度たりともなかったはず。
 なのに、柴田さんは知っていた。僕が小学生のころ、ランドセルに「いらないこ」や「もらわれっこ」などといった言葉を、書かれていたことを。
 「チビ助が公園で狭間木お嬢と一緒にいた所を見た人間が、一体どれだけいたと思ってんだ………北高はあの公園の近くだ。ましてや学校が終わった直後の時間なんぞ、二人で大衆の目につく公園なんだ、あそこのご近所住民はほとんど知ってたぞ。子供を置いて行った馬鹿な旦那のところの息子さんと、自分の娘を借金の返済に充てたとんでもない馬鹿な親父のお嬢が、公園で楽しそうにしてるって」
 まるで「知らなかったのか」と言わんばかりの表情をする柴田さん。僕は心の中で謝った、今初めて知りました、と。
 けれど、考えてみれば柴田さんの言うことはあながち間違いではない。僕とおねえさんが会っていたのは、学校が終わった時刻。誰かが見ていてもおかしくはない時間なんだ。
 「ランドセルにって、一体何の話だ?」
 ここで父親が爆弾発言。ああ、一番知られたくない人間の耳に入ってしまったと、背中に冷や汗が流れた。これはどうすべきだろうか? 適当に「なんでもないですよ」と、流せる場面だろうか?
 「えっと、ですね………その」
 なんと言えばいいのだろうか? あるいはもう十年近い前のことだからと、開き直って、正直に言うべきなのだろうかと思った僕は、ちらりと柴田さんを見て、にやりと笑った彼に、まさかと思った。
 「このチビ助、小学校低学年の頃からずっとクラスメイトにいじめを受けてたんだよ。体操着ぼろぼろにされたり、ランドセルにいらないこだとか、もらわれっこだとか、散々なことをチョークで書かれてな………おおよそ、狭間木お嬢と会ってからだよな、そういったことがなくなったの。あのランドセルも近所のババアたちがしっかり見てたからな」
 しっかりと見ていたのであれば、せめてもの何かしらの変化がほしかった。こんな願いは、もう二十歳を過ぎた僕からしてみれば、どうでもいい。
 問題は、夏なのに冷や汗が止まらないこと。決して熱中症や、脱水症状類のものではない。原因は、柴田さんが僕の父親に向かって、僕が小学校低学年の頃のことを、包み隠さずストレートに言ってくれたからだ。なんともありがた迷惑な話だろうか?
 柴田さんは何かを満足したのか、地面に置いてたバケツと荷物を手にして、
 「ああ、そうだ、チビ助」
 帰り際に僕に行った。
 「俺の嫁さんは、俺が中学生のころからの彼女だ。アイツとは十年間の交際を経て結婚したんだ。途中で嫁さんが東京の大学に行くって言うんで遠距離恋愛になったけど、ちゃんと結婚したんだ。俺も嫁さんも、両親健在でごく普通の一般家庭で生まれた。お前さんらみたいなことは無縁で育ってきたんだ。だからなんとなくの出来心と、本当に狭間木お嬢の愛情ってのを確かめたかったんだ。ちゃかして悪かったな」
 掌を振りながら帰って行った、もとい逃げた柴田さん。というか、余計なお世話だ。ほぼ赤の他人同然の柴田さんに、どうしてこんなことを心配されなければならなかったのだろうか?
 「ケンくんよ、一ついいかい?」
 蝉が煩くなく中、父親が確かめるように言った。
 「小学校低学年の頃に、いじめにあっていた、というのは本当かい?」
 柴田さんは、本当に余計なことを残していった。なんというべきなのだろうか?











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