022



 なんだかんだで忙しい日々が続き、気がつけば六月七月をあっという間にかけ走り、約束の八月中旬となっていた。いわゆる「お盆」だ。
 「盆に開けろと言ったのはそっちだ」
 五人乗りのワンボックスカーを爽快に運転しながら笑うのは、少年のお父様。流行やおしゃれにすっかり疎くなってしまった私だって知っている。現在私たちが住んでいる街では、最古かつどのつく高級ホテルで働いているらしい少年のお父様。
 だから、なんだろう。前に合った時よりも、随分ときれいになった気がする。そんなお父様に大変ご立腹なのは、助手席に乗っている少年。本日は眼鏡をしていない。というか、する必要性がないらしい。
 早朝五時に起床。一時間後には荷物をまとめて家を出るというばたばた加減で家を出てきた私たちとはうって変わって、少年のお父様はどこか上機嫌だった。
 「特別何にも用意するモンなんてねえんだよ、アイツだってそのほうが喜ぶだろうよ」
 アイツ、とは誰なのだろうか、と思うけれど、時間が経てばわかる。今の私には無関係なことなのだと思い、車がどんどん山道を走っていくことに、私は何の違和感も、ましてや懐かしさも抱かなかった。
 かろうじて整備された山道をどんどんと走っていくワンボックスカー。時折大きく上下左右にゆれることがあるけれど、仕方がないと自分に言い聞かせる。左右には手入れが何一つとして施されていないであろう森林。きっと真夜中にランプ無しでこんなところを走るのには、よほどの冒険者でなければやらない。というかできない。うっそうと生い茂る雑草は腰の辺りまで伸びていて、木だってちゃんと手入れをしているのかすらが怪しい。こんなところに人の遺体が一つや二つ、見つかったってなんらおかしくはない。こんな道を走らなければならないのは嫌なのだけれど、運転しているのが少年のお父様だし、何より私は運転免許を持っていないから、文句の一つも言えない。地元の北高を中退してあのお店でずっと働いていたし、入院もしていた。だから取る機会なんてなかった。お金がたまったら車の免許ぐらいは取ってみようかな、なんてぼんやりと考えていた。
 「………そういうもんなんですかねえ?」と少年。私には二人が何を話しているのかがまったくわからないので、とりあえず車窓からの景色をぼんやりと眺めることとしている。
 バイト先のお土産は、一体何がいいのだろうか? 日持ちをするものが一番なのだけれど。
 「ああ、だってアイツはお前さんの成長を見ていたかったっ、入院中はずっと言ってたし」と運転しつつも、よそ見をしながら言う少年のお父様。お願いだからお父様、安全運転でお願いいたします。このワンボックスカーの真横は、人の腰丈まである雑草です。こんなところで死ぬのは、御免こうむります。
 言葉から考える。少年のお父様は『少年の成長をずっと見ていたい』と言った。ならば少年の親戚に当たる人間なのだろうか? だとしたら何で私を連れてきたのだろうか、少年一人でいいのではないのだろうか?
 ここまで考えた私は、突然ぱっと開けた視界に、思わず車窓に両手をぴたりとくっつけ、言葉さえも忘れた。
 「………姐さんもここの出身だったか、おそろいだな」
 助手席に座っているであろう少年が、やたらと不機嫌になっただとか、小さく、「だからなんなんだよ」と呟いただとか、今はどうだってよかった。
 忘れることなんてない。忘れた日なんて、一日たりともない。
 私は、確かにこの街で生まれ、育っていた。地方ではあるけれど安定した職に就き、心優しい父親と、いつだって私の相談に乗ってくれていたやさしい母親。両親の良い所だけを綺麗に受け継いだ私は、近所でも評判の『狭間木お嬢』だったらしい。地元でトップクラスとも言われる県立北高に入学し、煩い親戚連中には料理で黙らせていた。
 父親の借金発覚まで確かにいたあの街が、今も変わらず私の眼下に広がっていた。相変わらず見当たらない自動販売機と、コンビニの看板。どこまでも広がる田園風景と、ご丁寧に『通学路につき運転注意』のポスター。ちらほらと見える民家は、古ぼけたものと目新しいものとが入り混じっていて、どこか笑わせてくれる。
 「おねえさん」と少年が後ろを振り返って、小さく言った。
 「黙っていてごめんなさい。おねえさん、まさか途中で嫌だってどこかに言ってしまうのが怖くて、ずっと言えなかったんですよ」
 静かに言った少年は、どこか申し分けなさそうだった。
 「そんなことない! そんなことないんだけど」
 まさか帰りたくない、なんてことはない。
 もちろん、こんな田舎だ。自動販売機を見つけることが困難で、ちょっと買い物に行こうというのであれば、車は必須となる。小中高の学生たちは、学校の決まりとして「通学時に自転車を使用してもいいけれど、その際には必ずヘルメットを装着するように」のルールを守っている。なにかの病となるウイルスよりも、人の口から口へと移るうわさのほうが早い。ちょっと外を歩けば、どこどこの家の子としてすぐに声をかけられる。最寄り駅がバスで乗換えをしなければ到着しないけれど、このバス停に行くまでもが時間がかかる。こんな馬鹿馬鹿しい田舎に私が帰ったともなれば、おおよそ一時間もしないうちに「あの狭間木さんのところの娘さんが帰ってきた」と噂になる。
 それでも、帰りたいと思わない日は、一日たりとも存在しなかった。ほんの数時間でもいいから、ほんの数分だけでもいいから故郷に帰りたいと、思うことが多々あった。
 「よくわかったよね、私が帰りたいって思ってるって」
 車窓から見える景色は、故郷を後にした一七歳の頃から何一つ変わらないように見えた。
 「そうじゃないんだ」
 小さく、申し訳なさそうに言った少年。彼が一体どういった表情をしているのかは全く分からないけれど、少なくとも「ごめんなさい」の顔をしているのだろうとは、なんとなくだけれどわかった気がした。
 だから私はこれ以上、何も言わなかった。少年と少年のお父様は、私を個の故郷に帰らすことが目的で車を走らせたわけではない。もっと、別の何かが必要だから、私を連れてきたんだということ。
 私はただ車窓から流れる懐かしい風景をじっと見つめていた。
 都会の子たちは「やれ」とどれほど言ったとしても、おおよそ半数近くがしないであろう、自転車通学のお供となるヘルメットをしっかりと装着した高校生と思わしき男の子たち。制服から、おそらく市立西高なんじゃないのかな、なんて考える。市立西高なんて、正直ちょっと勉強すればだれでも受かるであろう公立高校。特に目覚ましいものもなく、けれど校区内で受けれる公立高校が、今でも変わっていなければ、西高か北高のどちらかという極端な選択肢。だからみんな頑張って勉強して北高に行く。落ちたとしても、絶対に西高には行かない。校則が厳しいから。
 西高の制服を着た男子学生君たちを横目に、車はどんどんと山道へと向かっていく。本当に、この道で良いのかと思うほどの山道を、ぐんぐんと登って行く。








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