001



 僕の両親は最悪だった。
 子供は自分の生んだ親を選ぶことはできないというけれど、まさしくこのことなんだと確信したのは、僕の妹が死んだ時だった。
 父親は酒とたばこに生活費のすべてをつぎ込み、まだ幼い僕には見向きもしなかった。
 母親は僕や妹をどうでもいい他人としか考えていなかったのだろう。祖父母が何度も「男と遊びはいいから育児に専念をしなさい」と言っていたのに、やめる気配はなかった。胸元が見える服装に、裾の短いワンピース。きらきらのネイルに何十分と時間を費やした化粧に加え、くるくるに巻いた髪は、金色だった。
 祖母がいなければ、僕の食事は妹と同じ、コンビニで買ってきた食パン一枚だった。
 妹が育児放棄の末死んだとき、祖母は泣きながら僕を引き取った。冷たい目で、本当にこの人たちで大丈夫なのだろうかと不安そうに祖父母を見る児童相談所の人たちの目は、気持ちはわからなくはない。
 けれど、ここで終わるわけがなかった。人の口に、なんとやら、だった。
 夕焼け色のオレンジに染まった空を見ながら、僕は自分の膝の上に置いているランドセルをじっと見つめる。小学校に入るから必要でしょ、と笑顔で言いながら買ってくれた高いランドセルは、今ではいい落書きの標的とされている。
 「これじゃあ、帰れないよ」
 学校でぼろぼろの布を使い、何度だってこすりながら消して、やっとの思いで消えてくれたのに、帰るときになればまた書かれていた。担任の先生は「こういったことで挫けるようではダメだ。君はそれでも男か? これぐらいの辛抱もできないようじゃあ、世の中やっていけない。君のような子が世の中迷惑をかけるんだ」と言っていた。
 ならば、どうしたら世の中に迷惑をかけずに生きていくことができるのだろうか? 人のランドセルに落書きを施すのは、世の中の迷惑ではないのだろうか?
 「少年、何してるの?」
 あんまりにも突然だった。公園のブランコで時間をつぶしていた僕に、いつの間にかその人が言った。腰下までのびる真っ黒な黒髪に、まっすぐ切られた前髪。真っ白なセーラー服と紺色のスカートに、赤色のリボン。加えて「県立北高等学校」と書かれた名札を付けた女性は、ゆっくりと僕に近づいて、やがて「あら、まあ」と困ったように言った。
 「少年、『もらわれっ子』なんだ?」
 小さく笑いながら言った僕よりも年上の人は、決して悪気なんてなかったのだろう。けれど、祖父母に引き取られてからずっと言われ続けた言葉が、僕の中ではもう限界だった。
 「だったらなんなんだよ」
 「あら、単純に『もらわれっ子』で羨ましいと思っただけよ………言いたいことがあるならはっきりと言ってごらんなさい、少年、男の子でしょ?」
 にっこりと笑った女性に、僕の中の何かが切れたような気がした。
 「何が羨ましいんだ! 全然楽しくも羨ましく嬉しくもないのに!」
 高いランドセルに汚い字で書かれた「もらわれっこ」や、「いらないこ」の文字なんて、どうでもよかった。
 「父さんも母さんもどっかに行って、じいちゃんとばあちゃんしか見てくれる人がいなくて! これのどこが羨ましいんだ! 学校のみんなからは『お前はいらない』とか『汚い子』だとか、本当は」
 『そんなことないのに』と言いかけて、口を閉ざしてしまった。
 本当はこんなはずじゃなかった。好きでもない本を一日中図書館で読んでいて、決して楽しくはないけれど、僕は友達をつくって外でみんなと遊んでいたかった。
 昼休みにたった一人、ご飯を食べ終わったらまっすぐ図書館に行くのではなく、教室の子たちと一緒に外で遊んでみたかった。
 先生だってこんな状態の教室で、こんな僕だってわかったうえで『それでも君は男か? 我慢の一つもできない、みんなとの協調性もないなんて』と言うんだ。
 本当は、と心の中から本当の僕の気持ちが顔を出した頃、セーラー服を着た女性はにっこりと笑っては、僕が手にしていたぼろぼろの布を取っては、水道の蛇口をほんの少しだけ強めた。
 「君は、十分幸せだよ。少年のことを理解しようとしてくれる人がいるんだ。本当だったら両親が、友人が理解してくれる。でも、少年のことを、少年のおじい様おばあ様が理解しようとしてくれるんだ。少年の気持ちに立って、ね?」
 ほんの少し蛇口の水を含んだぼろぼろの布を、女性がさっとふき取る。そこまで力を入れていないはずなのに、まるで魔法のように消えた文字に、僕は興味津々だった。
 「今の、どうやったの?」
 きっと目をキラキラと輝かせていたんだろう。僕は彼女に身を乗り出すようにして言えば、軽く頭を叩かれてしまった。大したことないと笑いながら、しっかりとぼろぼろの布を公園の水で洗い、彼女は違和感に気がついたのだろう。じっと布を見つめ、やがて広げた時に、僕はあっと小声をもらした。
 「なんで体操服がこんなびりびりのぼろぼろなの? これ、少年がやったわけじゃないでしょ?」
 布を広げれば、ある程度年齢を重ねた状態で見れば一目瞭然だった。誰かが嫌味を持ったうえで、はさみか何かでびりびりに引き裂いた跡があった。この時の僕にはこれしか布がなかった。どうせ捨てるのであればこの布で良い、と思った。
 じっと僕を見つめた彼女は数秒後に大きなため息をこぼし、やがて額に手を当てた。
 「先生に言った?」
 まるでこの言葉がお説教のように感じて、僕は震えながらゆっくりと頷いた。
 「『これぐらい大したことない。むしろ我慢すべきだ』って」
 もう一度深くため息をこぼした彼女は、小さく何かを言った気がした。数秒後にくるりと後ろを振り返って、僕には決して水がかからないようにして、今度はぼろぼろの体操着をきつく絞る。
 「担任の先生がもしもそんな態度しかとらないようであれば、他の先生に言ってみて。自分の今の状態とか、ランドセルの件とか体操着のこととか」
 はい、と手渡ししてくれた彼女。
 「またね、少年!」と大きく手を振って、おそらく家へと帰るのだろう彼女の黒髪は、風で大きく揺れていた。
 このあと、僕はどうやって祖父母の家まで帰ったのかを覚えていない。けれど、ぼろぼろの体操着を見られたくなくて、家に帰った僕は体操着を慌てて部屋の中に隠した。僕を引き取ってくれた祖父母に、こんなものを見られたくなくて。






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