09



 「くび、ですか?」
 上司から言われた衝撃の一言だった。
 「正確には、この会社が倒産することになるんだよ。社員は全員手続きを踏まえたうえで同業者から引っこ抜かれるか、あるいは就職活動を行うか」
 『要は君の考えで君の今後の人生が左右されるって事だよ』と気楽に言い切った上司こと社長。会社が倒産するというのに、随分と気なものだと、このときは他人事のように思えた。
 けれど、能力のある人間は、どこに行ってもうまくいけるようで。同僚たちが次々と就職先を決めていく中、自分だけがまだ手続きを踏んでいた。普段、決して作業スピードが遅いわけではないけれど、けれど、自分が作業を終えた頃、ほかの人たちは新しい会社へ移動の手続きを終え、会社が倒産したと発表したと同時に無一文となった。
 「本当に、最悪だよな」
 あれからもう3ヶ月が経つと思うと、本当にあの社長の発言から今までが怒涛の嵐のようだったと心底思える。故郷に帰ってゆっくりすごそうかと何度も思ったけれど子供と顔を合わせるのがつらかった。案の定、あわせればあの態度だったから、どちらかというとあの子のイメージ通りに生きていくのがお似合いなのかもしれない。
 公園のベンチで夜空を仰ぐように天を見上げる。
 「なにやってんだよ」
 あんまりにも急だった。そのまま後ろへと少し力を入れれば、自分の子供があきれ返った表情で、息を切らしていた。
 「お前さんこそ何やってんの? 明日仕事だ」
 「わかってるよ! 明日の始業時間何時だと思ってんだ!」
 そんなもん知るか。
 「これ」
 息を切らした子が差し出したのは、緑色の一冊の通帳。これっておそらく郵便局の通帳だよな、なんて思いながらもぞっとした。名前が『垣本賢矢』だった。
 「………自分の子供の通帳なんて受け取れねえ」
 当たり前だと思う。自分だって馬鹿ではないのだから、自分の子供からお金を受け取れるわけがない。
 「大学に入ったときからずっと不思議だったんだ。大学の費用は奨学金を使ったからよかったけれど、持病持ちで働けないばあちゃんや、足腰の悪いじいちゃんたちが、一体どうやってもう一回子育てみたいなことをしているんだろうかって。年金だけで三人が生活できるわけないし、生活保護なんてしてなかったみたいだし、ずっと不思議だった」
 「……………毎月一五万の仕送りを知ってたのか」
 やたらと勘がよく育ったと、我ながら思う。自分は勘が鈍いほうだったから、きっとこれはアイツ似なのだろう。
 「金額については初耳。けど、聴いたら教えてくれた、毎月毎月アホみたいな金額を送ってるって」
 自分はよく「墓穴を掘る」と思う。今だってそうだ。金額を言わなければ、目の前にいる子どもは、あきれ返った顔で自分を見ることはなかったのだから。
 「………おねえさんから聞いた、母さん、産んですぐに死んだんだって。その後も両親がいた方が子供の幸せにつながるんじゃないのかって、探し回ってたって。やっと見つかったと思ったのに、蜜柑が死んで」
 本当に、勘のいい子に育ったと、我ながらに思う。自分はこれほどまでに頭の回転が速くはなかったから、きっとこれは、なんて考えていた。
 「………おねえさん? ひょっとして一緒に歩いてた?」
 約半年も前のこと、とある友人からの勧めで風俗店に入ったことがあった。そういったお店が好きではないといったのに、そいつは「男だったら」と、かなり強引な手を使ってまで引きづった。あの時のおねえさんが、なぜか、自分の子供と一緒に歩いていた。理由は、なんとなく、聴きたくもない。
 風俗店なんて行きたくもない。高い金を払ってまで馬鹿みたいにお酒を飲むのであれば、スーパーに行って安い酒を買って、部屋で一人で飲む方がよっぽど気楽でいい。しかもこちらの方が安上がりでまさしく一石二鳥でもあるんだ。「子供の母親」として探すことはあったとしても、「人生のパートナー」ともなりうる女性を探すのには、もう必要ない。娯楽なんて、与えられるほどのことをしてはいないのだから、必要ない。
 けれど、目の前にいる子供は違っていたようで。少しだけ、不機嫌のオーラを出していた。幼い子供が自分の所有物を誰かから奪い取られて不機嫌になるような、かわいらしいけれど、なんとなくで理解できた。
 「今はどうだっていいだろ!」
 本当にわかりやすい。ここらへんは自分似なのだろう。彼女は、頭の回転がすごく速かったけれど、感情をあまり表に出すことがなかった。長い付き合いをしなければ、感情が読み取れないほどだったから。自分の感情がすぐに表に出てしまうのは、おそらく父親似。
 緑色の通帳をスーツ姿で思いっきり投げる姿に、ひとつ言及してやろうかとも思ったけれど、踏みとどまってしまった。
 物を投げるなと、言いたかった。
 けれど、これを言ってしまうと、今まで「父親」としてまったく役目を果たしていなかった自分が、このときばかりは「父親」をしているようで、どこか嫌だった。今まで「父親」らしいことを何一つとしてしてきていない自分が、このときばかりでしゃばって、「通帳を投げるな」と言ってもいいのだろうかと、踏みとどまってしまった。
 「根っからの文系男子が体力勝負の仕事ばっかりしやがって。それで怪我なんぞしたら、一体どうするんだ!」
 「そっちの方が給料がいいんだから仕方ないだろ?」
 本当だったら自分のスキルを生かしたかった。けれど、自分のスキルが生かせる職で働くともなれば、必然的に給料はうんと低かった。それは、月々の仕送りができなくなるほど。
 「命の安全と高給職と、一体どっちが大切なんだ!」
 おおよそ限界だったのか、子供は顔がやたらと赤かった。暗闇でもわかるほどの色は、怒りを表すもの。
 「両親そろってないと子供がかわいそうだとか勝手なこと言って! 僕は父親と母親は一人ずつでいいんだ! 母親が二人も三人も必要ない。なのに今度は危険な仕事で高給職って、自分の子供を一人ぼっちにさせるな!」
 息を切らし、顔を真っ赤にしながら言うわが子の姿は、どうしてか、申し訳なかった。ずっと、祖父母の手で育てられてきていたからなのか、あるいは両親の姿を二十年以上見らずに育ってきたからなのか、寂しそうな顔をしていた。
 やっと、わかった気がした。この子は、たしかに祖父母の手で育てられ、寂しいと感じることはなかったのかもしれない。友人や親しい仲の人が何人かいたら、楽しかったのかもしれない。
 けれど、そう思っていたのは、実は自分だけだったのだろう。父親と母親は一人ずつでいいけれど、いなければ、どこかで寂しいと思っていたのかもしれない。
 「ごめん」
 ずっと、言わなければならないと思っていた。
 母親の死をずっと隠していたこと。
 ずっと祖父母のところに預けていて、一通も手紙もよこさずにいたこと。
 蜜柑を死なせてしまったこと。
 すべて、誤らなければならないと思っていた。決して父親としてではなく、一人の大人として、しっかりと頭を下げないといけないと思っていて、けれど、
 「自分は、父親のアンタを許すつもりはない」
 はっきりとした言葉だった。
 「蜜柑が死んだことも、今まで連絡の一本もよこさなかったことも、母さんが死んだことも、全部隠していたことも、全部許すつもりもない。だから」
 だめだと、心底思った。きっと『これを機にもう二度と会わないでくれ』と言うつもりなのだろうと、確信していた。自分であれば、こんな父親、いまさらながら絶対にかかわりたくないと思うから。
 「今後、何かあったらちゃんと連絡してくれ。通帳の中に連絡先を書いたメモ紙を入れているから」
 「………はっ?」
 あんまりにも予想外すぎる言葉に、なぜだか、緑色の通帳の中身を見てしまった。七桁近く記帳されていることにも驚いたけれど、なぜか水色の付箋でしっかりと働いている場所と、おそらくは携帯電話の番号と思わしき数字と文字が、しっかりと書かれていた。
 「何かあったらちゃんとこれに電話してほしい。もちろん、忙しいのはわかってるけど、できたら月に一回ぐらい、2ヶ月に一回でいいから連絡がほしい」
 「えっ?」
 意味がわからない。どうしてこんなことになったんだろうか? 呆然と通帳を眺め、けど答えなんて出てこなかった。
 「それから、今の仕事はやめてほしい。どうせ命の危険にさらされるようなもんだろ? だったらもうちょっと安全面を考えてほしい。あなたの息子さんはもうしっかりと働くことのできる人間なんだから」
 ぴたりと、何かが頭の中で確信につながった気がした。
 「ケン、お前まさか」
 これでも一応心配をしているのだろうか? そんな淡い期待は、気がつけば暗闇の中、公園で独りぼっちという寂しさで消え去った。
 「………まさかな」
 あいつに限って、自分みたいな人間に限って、こんなことはありえない。理由は簡単だ。
 何年、否、二十年近く自分の子供との接触を避けてきた自分の父親を、今更心配する子供が、どこにいるのだろうか、と。
 けれど、これでどこか一安心してしまった。
 あの子が、しっかりと一人の社会人として働き、懸命ながらも幸せな生活をしているということに。 






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