04



 「左様でございましたか、狭間木お嬢は」
 国内の業界トップシェアを誇る、現在では有名な貿易会社の代表取締役を務めている浅木社長。独身で遊び好きとのうわさがあるけれど、お店に来て、一度も女性に手を出さず、むしろ一緒にお酒を飲みながら自分の話をして帰るという、珍しい人。お店の女性を「女性」ではなく、むしろ「自分の話を聞いてくれる都合のいいひと」としか見ていないこともあって、一部の人たちの間では「ただ単純に遊び好きではなく、むしろ一人で寂しいのでは?」との噂もある。
 しかし、五十代後半で結婚を考えようかともなれば、必ずいるのが財産目当て。
 しかも有名な貿易会社の代表取締役なんだ。
 だからこそ結婚しないのかな、なんて考えたりする。話し方もとても上手で、女性を丁寧に扱ってくれる。人によっては「自分の酒が飲めないのか!」なんて怒り狂う人もいるのに、浅木社長は違う。
 「君はお酒が苦手なのか? すまないねえ、僕は気の利かない男で。このお店に烏龍茶はあるかい? お嬢はそっちの方が好きだろう?」と優しく言ってくれる。この言葉で、お酒が苦手な私は何度も救われた。
 「申し訳ございません、つい事情を知っているとばかり思っていまして」
 椅子に座ったままだけれど、しっかりと頭を下げる。
 「いやいや、良いんだよ。むしろ狭間木お嬢はあのような場は似合わないからね」
 笑いながら私の頭を上げようとする浅木社長。本当に、申し訳がない。
 「けれど、今回違法業者として摘発が入って大正解だったかもしれないね、妹たちは可哀想だけれど」
 うん? 
 「ああいった場に、狭間木お嬢のような、見た目真面目で高嶺の花のような女の子は似合わないよ。むしろ君よりも何ランクも下の女の子がいる場所だ。鶴岳(つるたけ)くんに頼んでおいて正解だったよ。やたらと場に似合わない子たちがいるからちょっと探ってほしいって」
 豪快に笑う浅木社長。ツルタケさんとは、一体誰だろうか? というよりも、
 「どうして私がいたあのお店が摘発されたとか、違法業者だったとかご存じなんですか?」
 ごふっと、典型的にお茶を吹き出しかけた浅木社長。本当に分かりやすいから、このままつついてみるか。すうっと大きく息を吸い込み、
 「浅木社長、あそこのお店にあなたが出入りしていたのと、そのツルタケ様が探ることと、あのお店が違法業者であったことと、何かしらの関係はありますよね? 普通であれば警察が単独で行うのにもかかわらず、法律事務所が絡むのは、少しおかしくはありませんか? いくら私の昔の知り合いがその法律事務所で働いていたとしても、です。さらには、私のことを『高嶺の花』と評価してくださったことについてでもです。お店と業界の空気と、そこで働いている従業員の雰囲気を、たった数回言っただけで知ることは極めて困難です。浅木社長が貿易を中心とする会社でお勤めであれば、なおのこと。もしかして普段からああいったお店に出入りして、何か調べてませんか?」
 今、私が持っている知識はこの程度だ。あの少年であれば、もっと知っているだろうし、何よりも本当のことを知っているのだろうけれど、なんだか少年に言うのは気が引けてしまう。
 じっと浅木社長を見つめること約十秒。観念したのか、ため息をこぼしながら両手を上げた。
 「狭間木お嬢、君には完敗だね」
 やれやれと言った表情の浅木社長は一息つくと、口を開き、やっと言ってくれるのかと思った。
 「兄さん、こんなところにいた!」
 ひょっこりと顔を出した女性に、驚かずにはいられなかった。紺色のストライプの入ったスーツに、髪をゆるくシュシュで縛っている。
 「香代(かよ)、仕事は終わったのか?」
 「終わるわけないじゃない、どっかの誰かさんのおかげでたまり放題。処理に時間がかかっちゃうわ」
 一息ついた彼女は、綺麗で高嶺の花の女性よりかは、大人しく清楚で、けれど言いたいことははっきりと言う。そんな印象を抱いた私は、妙な違和感にさいなまれた。どこか、どこかとは言えないけれど、浅木社長に似ているように思えた。
 まさか、との考えが頭の中をぐるぐるとまわる。
 「でも優秀な子たちのおかげでなんとか終わりそう、って顔をしてる」
 「まあね、あの子たちはなんだかんだで出来る子たちばかりだから、遅くてもあと一時間で終わるわ」
 得意げな顔で我が子を自慢するように笑う彼女は美しくて、とても眩しくて、輝いて見えた。「あら」と小さく言った。
 「来客さんがいらしてたの? だったら言えばいいのに」
 「一生懸命仕事をしている人間に対して『お客さんが来た』とは言えないだろう?」
 お盆を抱えながら、嬉しそうに「兄さんは全く仕方のない人ね」と笑う女性。やっぱりこの人、浅木社長の妹さんだったのかと思考が追い付いたところで、はっとした。
 浅木社長の妹さんは、優秀な弁護士の先生だ。『浅木事務所』を立ち上げた張本人ともなれば、高校中退、水商売経験、自殺未遂経験者の私からしてみれば、とんでもなく雲の上の人だと判断し、すぐさまその場で立ち上がった。
 「初めまして、狭間木結衣華(ゆいか)と申します。夜分遅くに急にお邪魔して申し訳ございませんでした!」
 しっかりと頭を下げれば、先生は静かにくすくすと笑った。
 「初めまして、浅木香代と言います。先日は災難でしたね? 手続きは取りまして?」
 「はっ、はい! おかげさまで」
 『助かりました。本当にお世話になりました』と言いかけて、ふと気がついた。ポケットの中からメモ紙を取り出す。少年の綺麗な字で書かれた住所と、綺麗な洋館の建物のイラスト。覗き込むように香代先生は私が持っていたメモ紙をじっと見つめる。数秒して、下に書かれている少年の名前を見つけたのか、吹き出すように笑った。のとほぼ同時だった。
 『もしもファミリーレストランでのお仕事が終わったらここに迎えに来てくれませんか? おねえさんを部屋で一人きりにさせるのは、またおバカなことをしそうで、僕が怖いんですよ』
 少年が仕事に行く前に手渡されたメモ紙。
 『別にいいけれど、なに、お迎え?』
 『まあ、そんなところです。行き方はちゃんと書いてありますので』
 水商売から足を洗い、住むところがない私は、少年と一緒に暮らしている。年の差が五つということもあってか、あるいは少年が初心なだけなのか、「男と女が一緒に暮らす」ではなく、なぜだか「姉と弟が一緒に暮らしている」という空気になっている。事実、裸こそ見られたことはないけれど、下着はお互いばっちり見たことがある。
 けれど、下手なことをされたことはない。あるといえば、病院で抱きつかれたことぐらいだ。
 あれっきりなんだ、少年に触れたのは。
 『もしかしたら、今日は忙しくておねえさんをお迎えに上がることが出来ないかもしれません。ですから、たまにはいいでしょう?』
 この『たまにはいいでしょう?』の意味が、なんとなく分かった私は、あの時、素直に「いってらっしゃい」と言えた。いつも私のアルバイトが終われば、少年は迎えに来てくれる。しかもお勤め先から真っ直ぐだってことが分かるように、スーツで来てくれる。
 こんな少年が渡してくれたメモ紙。やっと思い出した。私がここに来た理由。おそらくだけれど、少年は弁護士のピンバッチをつけていたし、たぶん私が考えていることは、間違っていないと信じたい。
 「垣本くん? 彼なら書類の処理に追われてるけど、早上がりさせようか?」
 なぜだかわからないけれど、顔が真っ赤になった。
 「いえ、きっちり仕事を終わらせてからにしてください!」
 リンゴのように真っ赤になった顔を見られたくなくて、けれど言わなくてはいけないような気がした。
 少年は、年齢相応の男の子にしては、帰る時間がやたらと早い気がする。
 もちろん、少年が仕事をさぼっているだとか、楽しているからだとか、そんなことを思いたくはない。
 けれど、なんだ。夜の八時を少し過ぎた頃にバイトが終わる私に、お迎えが出来る終了時間というのは、働き盛り一歩手前の少年として一体どうなんだと思うのは、私だけなのだろうか? 
 決して夜中まで働いて来い、なんてことは言わない。
 決してしっかりと働いて来い、なんてことも言わない。
 ましてや、倒れるまで、なんてことは絶対に言わない。
 けれど、浅木弁護士先生に対して、親でも血のつながりを持っていない私が、なぜだか少年のことを「よろしくお願いします」と言うのはおかしいとわかってはいるけれど、言わなくてはいけない気がした。
 「わかっているわ、あの子だって中途半端に仕事を仕上げるのは嫌だろうからね………そうね、彼のペースだとあと一時間もすれば終わるわ」
 時計を見ながらくすくすと笑う浅木弁護士先生。口元に手を当てて笑っているだけなのに、どうしてか、上品に見えた。紺色のストライプのスーツに、上を紺色のシュシュで軽く結い、さらに口元に手を当てて笑う。髪の色だって真っ黒なんだけれど、ゆるく円を描いているのは、たぶんヘアーアイロンで巻いているからなんだろう。だとしても、浅木弁護士先生が「下品」というか、あのお店の女の子たちのように見えないのは、先生が「弁護士」という立場だからなのか。あるいは先生ご自身のオーラなのか。










[ 16/48 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -