02



 平日のファミリーレストランだなんて、客層が知れている。しかも夕方、夕飯を少し前ともなると、なおさら。
 「狭間木さん、すこし良いですか?」
 水商売から足を洗って約半年。
 ファミリーレストランのアルバイトだけに絞って生活すること約半年。
 退院してから約半年。
 きっとここで働いている人たちには、「前の私」の事なんて知れ渡っているのだろうと思っていた私は、入ってまだ日の浅い新人女子高校生から声をかけられ、持っていたお盆をしっかりと握りしめた。
 「どうしたの?」
 「これの操作が分からなくて」
 すっと新人女子高校生ちゃんが差し出したのは、お客様から商品の注文をいただいた時に、厨房とホールを無線でやり取りする小さな機械。お店によっては注文をいただいた時に伝票に手書きで行うところもあるみたいだけれど、私が働いているところは機械を扱う。運が悪いことに、この新人女子高校生ちゃんは機械操作が苦手のようだと思っていた。
 「注文、変わりに行こうか?」
 大方、あとでしっかりと教えればいいと思っていた。生憎今日は平日。新人女子高校生ちゃんには、悪いけれど商品の運び役をしていただこうと思っていた私は、
 「あの、習っていないんです」
 下を俯き、申し訳なさそうに言う女子高校生ちゃんの顔は、とても赤かった。なにを、なんて言おうとした私は、もう一度時間を確認する。
 この新人女子高校生ちゃんは定時制の学校に通っていて、しかも夜間学校。なので、朝のパートの人たちの時々時間がかぶる。加えてときどき私の耳にまで入ってくる、朝のパートの人たちの噂として代表的なものが「教えてもいないことをできて当然の顔をされる。出来ない、習っていないといえば怒られる」だ。
 おそらくはこの新人女子高校生ちゃんも同じ目にあって、機械を持たされたはいいもの、扱い方が分からないのだろう。
 だからまだ若くて頼りになる店長ではなく、大方店長よりも年齢差が無くて聞きやすい私に言ってくるのだろう。そういえば国立大学に入学した男子学生君も、同じようなことを言っていたと思いだし、
 「おいで、教えてあげるから」
 仕方がないとため息をこぼす。
 今度、店長さんにでも相談してみようか?

 本日の八時間労働一時間休憩が無事に終わり、やっと一息つく。
 「ごめんね、狭間木ちゃん」
 一番のピーク時に上がるのは申し訳ないけれど、時間が時間だ。これ以上の労働をしてしまうと、残業代の発生により、逆に店長さんに気を使わせてしまう。本日のお仕事が終了し、一息ついたと同時に言われた店長さんからの言葉に、私は固まってしまった。
 「なにが、でしょうか?」
 少なくとも店長さんから謝られるほどのことを、私はした記憶がない。むしろ謝らなければならないのは、私の方だ。
 「シノちゃんのこと、ほんとうにごめんね?」
 シノちゃん、と言われても、ぱっと顔が浮かばなかった私は、数秒してからやっとわかった。新人女子高校生ちゃんこと篠柳真(しのやなぎまこと)ちゃんのことだ、と。凛としている名前のわりには、どこか抜けている子。けれど、しっかりと根を持っているから成長の見込みあり、と私と店長さんは踏んでいる。
 店長さんの言う「シノちゃんのこと」とは、おそらく「正社員でもない私が、シノちゃんにつきっきりで機械操作を教えたこと」だろう。
 「いえ、これぐらいどうってことないですから。むしろ間違って覚えたら大変ですし。これぐらいだったらやりますよ」
 実際に、国立大学に一発合格した男子高校生君も同じだった。朝のパートの人たちからの「最近の子なんだから機械操作は教えずにできて当然」との無茶ぶりを受け、結果的に数千円もの損失を出してしまった。怒り狂う朝のパートの人たちは、自分は関係ないとの顔をしていて、あの時、私はちょうど休みだった。
 だから何も出来なかったけれど、今回新人女子高校生ちゃんがしっかりと言ってくれたから助かった。私はあの機械操作には慣れているし、教えるのも決して苦ではない。問題は「間違ったまま覚えてしまい、結果的にお店にも、わざわざ来てくださったお客様にもご迷惑をおかけしてしまうこと」だから。
 わからないのであれば、わからないとしっかりと言えばいい。出来ないのであれば、出来ないといえばいい。そのための古参連中だ、フルに活用してくれて、少なくとも私は困らない。
 けれど、朝のパートの人たちは私と同じ考えをしていないようで。
 出来ないは言わせない。
 わからないなんて弱音。
 弱音を吐くなら辞めてしまえ。
 だから朝の人たちはきつい、一緒に仕事をしたくないと学生からの悩みが多いんだ。
 「狭間木ちゃん、教え方うまかったってシノちゃん言ってたよ? 狭間木ちゃんまさかとは思うけど、教育大学とか、教員免許とか持ってないよね?」
 なんじゃそりゃ?
 「持ってるわけないでしょ、私高校中退ですし」
 別にコンプレックスだなんてない。高校中退で何が悪い。
 高校中退だから、当然教育大学にも行っていない。高校卒業資格だなんて持ってもいないし、教員免許だなんて、論外だ。
 高校の途中まではすこぶる頭がよかったし、何もかもが順調だったけれど、それは父親の借金が発覚するまでのお話。今は「父親の借金を半ば強制的に肩代わりし、悪質業者に捕まり、挙句の果てには自殺未遂まで経験したことのある、元水商売のお嬢」だ。いくらなんでも人様に物事を教えるだなんて、とまで考えて、突然少年の顔が浮かんだ。
 ああ、そうだ。私、過去に少年に勉強を教えた経験があったんだっけ、なんてぼんやりと思っていた。
 「高校中退っ?」と声を裏返しながらいった店長さんだけれど、次第に「ああ、なんだか前に言っていたわね」と落ち着いた。
 やっぱり店長さんにまで「前の私」の話が広まっているんだ。嫌な気持ちではないけれど、決していい気持ではない。
 けれど、いつかは知られてしまう。このことがはやいか遅いかのどちらかというだけであって、なのにどうして私は「やめてくれ」と言いたいのかが分からなかった。
 高校中退のことも、父親の借金のことも、悪質な業者に捕まったことも、自殺未遂をしたことも、すべて、全部本当の事なのに、どうして「知られたくない」と思ってしまうのだろうか?
 「だったら通信制でもいいから高校卒業資格を取って、ついでだから教員免許でもとってみたら?」
 優しく笑いながら言った店長さんの顔を、思わずじっと見つめてしまった。脱ぎかけのエプロンが、肩からだらしなく落ちていく。
 「はっ?」
 めったにこんな言葉つかわない。けれど、あんまりの驚きに私の脳内がパンクした。
 「シノちゃんもミドリくんも言ってたけれど、狭間木ちゃん、教えるのかなり上手だし、どうやら頭いいみたいだし、いっそのこと教員免許取ったらどう?」
 朝のパートの人たち以上の無茶ぶりを笑顔で言いきった店長さんに、私は手にしていた名札を、とうとう床に落としてしまった。
 店長さんの言う「ミドリくん」とは、家庭の事情により国立大学しか行くことが出来なくなり、バイトの日数を少なくした結果、見事、第一志望の国立大学に合格した緑川優矢(みどりかわゆうや)くんのこと。朝のパートの人たちの「最近の子であれば機械操作は慣れているはずだから、教えなくてもできて当然」との無茶ぶりを受け、結果的に数千円単位の損失を出した男子学生君でもある。
 私はミドリくんとの面識もあるし、何度も話したことがあるけれど、シノちゃん同様にミドリくんも同じ考えだったのかと、床に落とした名札を拾う。
 だったとしても、だ。もう三十路を過ぎた人間が、今から高校卒業の資格を取って、さらには教育大学へ行き、教員免許を取るなんて、いくらなんでも無謀すぎると思う。決して小さな子供は嫌いではないし、むしろ好きなぐらいだ。人に物事を教えるのも、決して苦痛ではない。
 だとしても、だ。私はもう三十路を過ぎている。あと十年ぐらい前であれば考えていたかもしれないけれど、年齢的に考えてキツイと思う。





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