epilogue



「狭間木ちゃん、弁護士さんと付き合ってるの?」
 私が病院を退院して約半年。水商売から足を洗ってからも半年が過ぎようとしていたころのことだった。例の男子高校生君が「無事に第一志望の国立大学に受かりました!」との報告が来て早一週間。働いていた人間全員でケーキワンホールを男子高校生君にプレゼントしたのも、案外新しい記憶。
 あれだけ忙しかったゴールデンウィークも過ぎて、もうすぐ梅雨に入る時期になるから、髪がぱさぱさになって嫌になるな、なんて考えていた。
 「私、弁護士さんと付き合ってるなんて言ったことありましたっけ?」
 私がバイトをしているファミリーレストランは、意外と若い人が多い。値段をかなり安く設定しているから、ということもあるけれど、意外とまだ二十代のお母さんお父さんたちが小さな子供たちを連れては、ご飯を食べにくる。前に働いていたお店はどうしても四十代や六十代のオジサマ連中と、客層が偏っていたから、店内で走り回る子供を見るのは、新鮮。
 ファミリーレストランとなると、時間によってはお客さんの数がものすごいことになる。土日祝日のお昼時や夕食時間帯にもなると、感覚的には「今日はちょっと豪華に」などといった感覚でファミレスに入るのだろう。あるいはまだ高校生や中学生ぐらいの子たちが、休日に近くのショッピングセンターに入って、お昼ご飯はここで良いよね、の感覚で大勢やってくる。
 だからこそ、ゴールデンウィークは血反吐を吐くほど忙しかった。メインメニューのグラタンは、飛ぶように売れた。小さな子供たちをつれた若いご夫婦もたくさんいらしてくださった。若い高校生ぐらいの人たちも、たくさんいらしてくださった。アルバイトで入っていた子たちは、文句ひとつ言わずに「ゴールデンウィークですから仕方ないです」と、休憩時間一時間の労働時間七時間というロングタイムを連勤で頑張ってくれた。正社員の人たちはゴールデンウィークはずっと出勤だった。
 本当に忙しかった連休も終わり、今日は平日。お店にはちょっと立ち寄っただけといったサラリーマン風のおじさまや、ちょっとおしゃべりをするために入らせていただきましたと言わんばかりのおばさま方。あるいはテスト前のはずなのに学校をさぼっている高校生や、大学生がちらほらいる程度。
 しかも今はお客さんのピーク時ではない。
 だから私と店長二人が同時に休憩に入って、アルバイトの子たち数人で回すことができる。今日の休憩時間のご飯は「特盛ぶっかけうどん」だったから、店長から急に「弁護士さんと付き合ってる」なんて言われて、思わず口からうどんの麺を吹き出してしまうところだった。行儀悪い上に汚いことこの上ない。
 「いやあ、ねえ? この前狭間木ちゃんがいない時によ? 弁護士のピンバッチをつけた男の子が来てね? 名前は垣本君って言うの。その子が『狭間木さんと将来は結婚を考えていますので、もしかしたらそちらの営業や業務に何らかの支障をきたしてしまう可能性があるかもしれません。前もって言わせていただきます、申し訳ございません』って。すっごく丁寧にお辞儀もして、挨拶も丁寧だったから、私びっくりしたわ! すっごい好青年じゃないの! しかも狭間木ちゃん、あなたよりも彼のほうが年下なんじゃないの?」
 思わず口からうどんの面を吹き出してしまうこと、本日二度目。あの少年は一体人が働いているお店で、人がいない時に一体何を言っているんだ?
 それで、と店長さんが身を乗り出して言ってきた。
 「どこであんな最良物件を見つけてきたのよ?」
 店長さんの目はキラキラと輝いている。ここのお店の店長さんは年齢がまだ三二歳。高校を卒業後本社勤務で、本当だったら時間の融通がよく聞く、もう少し下の地位を希望していたところを、当時の上司から抜擢され、現在店長になった。このお店で働く人間は知らない者はいないといっても過言ではないほどのお人よしで、断りを入れることが苦手。家庭の事情でやむを得ず私立の大学から国立大学へ受験し、合格した彼のときだってそうだった。ちゃんとご飯は食べているのか、受験勉強をしっかりしないといけないのはわかってるけど、睡眠時間の確保だって必要だと、毎日言っていた。
 こんな人なんだ。きっと「前の私」のことだって知っているはずだ。だから退院してから、本当はお店として出してはいけない「まかない」が、私に提供されたり、最近は「ちゃんと寝てる?」なんて聞いてきた。
 「最良物件って、別にそんなことないと思いますよ?」
 ふと、少年のことを頭に浮かべる。
 けれど、出てきたのは真っ黒のランドセルに「もらわれっこ」や「いみのこ」などといった落書きをチョークで書かれて、公園の水道水で頑張って消そうとしている、あの時の少年の姿だけだった。
 「あんな最良物件どこにいんのよ!」と鼻息を荒くして、頬を赤く染めながら言った。
 「公立の進学高校を卒業後、国公立の法学部を首席卒業。さらには弁護士の試験もたった一回で合格。さらにはあの遊ばなさそうな真面目な顔立ちと、かっこよくもかわいくもなく、逆もない、ど真ん中の顔。そしてあの物腰柔らかそうな態度! 決め手はあの黒縁メガネでしょ! わたし、三二年間生きてきたけど、あれだけの最良物件、見たことないわ!」
 なんとなく、なんとなくだけれど、この人の中で少年はかなり美化されていると思った。私の中では少年はまだ「少年」なんだ。
 「狭間木ちゃん、あんな人とどこで知り合ったの? ネット?」
 ぶっかけうどんを口から出しそうになること、本日三度目。二度あることはなんとやら、だ。
 「聴きたいですか?」とぶっかけうどんを半分ほど食べ終わってから言う。
 「ぜひとも!」
 瞳をキラキラと輝かせながら言う店長さん。
 さて、どこから話そうか?





―僕のことを少年とよぶおねえさん end―



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