009



 気がつけば、私は病院のベットの上で横になっていた。
 「こ、こは……………?」
 横には点滴代が一つ。どうやら私は気を失ったようで。
 まだ自分は生きているのだと知らせるのには十分すぎる布団の温もり。
 そういえばここ数日はずっと風俗店で働きながら、近くのファミリーレストランでアルバイトをしていた。こうでもしなければ億単位の借金返済は不可能だと思っていたから。当然削られていた睡眠時間。
 もしも過労で倒れたとすれば、朝から次の日の朝まで働いていたから当然ともいえるべきかもしれない。病院のベットの上でため息を一つこぼす。
 自分は何をやっているのだろうか、いまだに連絡の取れない父親が残した億単位の借金返済の為に、朝から次の日の朝まで働かなければならないというのに。
 はっと気がついた。
 こんなところで寝ている場合ではない。慌てて体を起き上がらせる。今日は朝の一〇時から夕方の一八時までファミリーレストランでのアルバイトが入っていた。一緒に働いている男子高校生君が「家の事情で私立の大学に行けなくなった。国公立の大学を目指すからシフトを少なくしてほしい」と店長にお願いしたところ、断ることがへたくそな店長は二つ返事をし、彼のツケはすべて私に回ってきた。
 給料が増えるから良い。彼の受験もどうか成功してほしい。私は結局大学進学が出来なかったから、ぜひとも彼には第一の志望校に合格してほしい。だからシフト表に私の名前がみっちり入ることになっても、文句の一つも言わなかった。
 今は何時だと病室内を見まわすけれど、当然のように設置されていない時計に、苛立ちを覚える。もう一度よく見まわし、時刻のわかるものがないかを確認し、
 「あっ、まだ寝てないとだめですよ?」
 ビン底メガネにスーツの若い男性が私のカバンと、おそらくは彼自身のバックを持って、静かに病室に入ってきた。あの時は暗くてよくわからなかったけれど、彼が胸元に着けているピンバッチは、彼が弁護士だという証拠だ。
 黄金色のひまわりに、中心は銀色の天秤。私は六十代の弁護士さんを相手にしたことはあったけれど、二十代のまだ若い弁護士さんを相手にしたことは一度たりともない。ましてや、彼のように全身からあふれる真面目オーラを出す人間を客として相手したことなど、一度もない。
 「けど!」
 「おねえさん、ご自分が過労で倒れたって自覚してます?」
 「それは借金返済の為であって!」
 「残り金額三百万の為、ですか」
 「だから、こんなところで」
 『ゆっくりと休むわけにはいかない』と言いかけて、妙な違和感で口を閉ざした。
 どうして私が残り金額を知らないのに、目の前にいる若い弁護士さんは知っているのだろうか?
 ふと、脳裏に浮かんだ。
 おねえさん、とはにかむ小学校高学年ぐらいのかわいらしい男の子。むかし、公園で、ほんの数日間だけだけれど会っていた。ご両親がいなくて祖父母に育てられてて、周りからは「もらわれっこ」とランドセルに落書きをされたり、体操着をびりびりのぼろぼろにされたりと、酷いいじめを受けていた男の子。
 「あっ………公園の少年?」
 たしかにあの少年は字も丁寧で、教えればすぐに習得した。まるでスポンジのような吸収力を持っていた少年のことは、私は売れてからのことを知らない。あのあとの学校生活はどうだとか、中学校はどうだとか。
 「やっと思い出してくれましたか?」
 ビン底メガネを取って、優しく笑った彼は、間違いなくあの時の少年だった。面影がどこかあって、逆に私は今までどうして思い出せなかったのだろうかと悔しくなるほどだ。
 「思い出してくれたところで本題です………まず、勝手におねえさんの家の事、そして借金のことを調べさせていただいたことをお許しください。『ハザマキ』という名前の女性に、出身高校が地元の北高だったことから、まさかと思い勝手に調べさせていただきました。借金の残高のことも、この時にほんのついで感覚です」
 ほんのついで感覚で少年は、人の借金の残高まで調べるのだろうか? 人差し指を立てながら言う少年の言葉に、私はベッドの上に座り、ゆっくりと耳を傾ける。
 「この残り金額三百万についてですが」
 ここで一度言葉を切らせ、大きく深呼吸をして、
 「僕に、おねえさんの借金残額三百万の返済をさせていただきはしませんでしょうか?」
 私の目を見て言った少年。一瞬、気が狂っているのかと思った。
 私の父親が作った億単位の借金の残高を、私が高校生の時に知り合った年下の男の子、しかも今は弁護士さんに返済をしてもらう? 
 「なんでっ?」
 意味が分からないとでも言わんばかりに身を乗り出す。実際に全く意味が分からない。
 「僕のわがままですよ」
 困ったように笑う少年。あの時に比べて笑えるようになったな、なんて思う暇はない。
 だって金額が三百万だ。三百円じゃないんだ。残り金額が分かればわたしだって希望が見えてくる。あんな馬鹿な真似をしようとは思えない。頑張って返済しようと、未来が見えてくる。
 「その代り、条件付きです」
 私の手をしっかりと握った少年。なんとなく、少年の手がやたらと暑く感じられた。
 「僕のお嫁さんになってくれませんか?」
 もう一度、頭の中が考えることをやめた。




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