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 『ねえ、なにしてるの?』
 今から何年も前、彼は私を見下すように言った。
 『ここで死ぬのを待っているの』
 ぼろぼろの水色のワンピースに、右肩からぐるぐると巻かれた包帯。所々赤く染まっているのは、私が医療機関で治療を受けられるだけのお金と権限がないから。
 『両親はどうしたの?』と彼は当然のように言った。
 だから私も当たり前のように言った。
 『先に逝ってしまったわ、黒髪天使を産んだこと、とても後悔していたもの』
 雨が強くなる中、何度も見慣れた自分の髪を見る。
 魔界では、トップが魔王陛下となり、ここから順番に軍部の階級順に加え、黒髪悪魔、黒髪以外の悪魔となる。この者たちは、基本的に戸籍を与えられ、学問を学び、医療機関で治療を受けることもできる。
 けれど、これだけの者がいる世界を魔界とは言わない。魔界には天使がいる。階級では黒髪以外の悪魔の下に天使がいて、これのさらに下が黒髪の天使となる。私はこの一番下の黒髪天使だった。
 『死ぬのを待つのは、楽しいの?』
 彼は不思議そうに言った。
 『…………楽しくはない、わね。けど、私ね、疲れたの』
 母親は私に言った、黒髪の天使であれば必要なかったと。私の目の前で涙を流し、肩を震わせながら言った。父親は狂ったようにお酒におぼれ、母親はお前のような子供を望んではいなかったと、先に逝った母親の後を追うように、ぽっくりと最期を迎えた。
 黒髪天使なんて悲惨だ。蹴飛ばされ、殴られ、けれど訴えようとも「天使だろう、黒髪なんだろう? だったら自力で頑張りなさい」の一言で終わってしまう。
 お金なんてない。空腹は何度も訪れてきては、栄養失調がひどすぎて、お腹が膨れてきた。親族は、私のことを「他家の子」と扱った。自分の親戚に、血筋の中に「黒髪天使がいる」とわかれば、周囲の目がよほど気になったのだろう。
 『死ぬのは、怖くないのか?』
 『…………これから生きていく方が怖いわ』
 想像するだけでおぞましいと思えた。
 殴られ蹴飛ばされ、文句の一つも言えず、明日のご飯があるかどうかも怪しい。文字の読み書きをもできず、使えるはずの魔力の使い方すらわからない。親切に拾ってくれるのは、拾った子が悪魔だったという状態のみであって、どれほどのモノ好きが、どれほどの悲惨なことになったとしても、黒髪天使であれば、見てみぬふりをする。
 ああ、いつだったか。
 魔界で商売がうまくいっている豪商宅の地下から黒髪天使の亡骸が出てきたのは。殺めたのはたしかにそこの家主だったのに、今でもこの家主が表に立っていると思うと、つくづく黒髪天使が魔界で下位であることがわかる。
 『だったら生かしてやるよ』
 一瞬、何を言っているのかが分からなかった。
 『飯もうんと食わしてやる、魔法だって教えてやるよ。城で一番のやつに頼んでみる。文字の読み書きだってちゃんと俺が教えてやる。生きていることが怖いなんて、絶対に言わせないようにしてやる。だから生きろ』
 『なに、を、言って』
 意味が分からなかった。
 文字の読み書き? 魔法の使い方? ご飯? これから死のうとする天使に与えるものではない。
 『俺はじいちゃんが死んだら次期魔王陛下だ。でも親父もじいちゃんも、現状をなんとかしようなんて、これっぽっちも思ってねえ。自分が裕福であればいいとしか思ってねえ。魔王陛下なのにこれからの魔界のことなんて、ましてや天使や悪魔のことなんて、これっぽっちも考えてねえ。だから賭けだ。もしもお前さんが人生つまらなくて、もう嫌だ、投げ出したい、死にたい思うなら、俺に本来だったらあるはずのお前さんの残りの人生を預けてほしい』
 すっとさしのばされた手の主は、とても輝いていた。
 『俺は魔王陛下になったら絶対に今の魔界をよくしてやる。そして、お前さんが生きててよかった、あの時死なないで本当に良かったって言えるほど、立派な魔界にしてやる。だから生きろ』
 ざあざあと降り続ける雨の音と、彼の言葉が信じられなくて、私はどうしようもなかった。
 けれど、と思えた。
 『…………わたし、このままは、嫌なの』
 言っていいのかすらわからない言葉が、自然と口からあふれていた。
 『わたし、天使だけど、魔力はあるし、文字は読めないし、でも、もっと、いろんなことを知りたいの。本当は、わたしみたいな子、いてほしくなくて、だから』
 気がつけば、ふんわりとした温かな温度が、私を包み込んでくれた。
 『気がつけなくて、ごめんな』
 枯れてしまったはずの涙が、ぼろぼろとあふれて、わたしは気がつけば彼に抱きついた状態で、ずっと泣いていた。





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