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 とりあえず勝山さんの点滴を取ろうと思ってナースステーションに戻る。大丈夫、ちゃんとカルテが入ったファイルも持っているから、点滴を間違えるなんてことはないはずなんだ。担当の先生がミスをしなければ、の話だけれど。ナースステーションへ戻り、奥の棚を視界がキャッチをしてくれた。あそこの中に一六階の患者さんの点滴が置いてある。
 「よかった」
 もしも万が一にでも何かあれば、場所が移動していたらと思って私は点滴を取ろうと棚の扉を開け、絶句した。
 「………………えっ?」
 一つも、なかったんだ。嘘だろ、と血の気が引いていくのを感じだ。どうして、と思い朝礼で何か言われていたかを思い出す。棚の中に入っていた点滴が、袋が、一つもない状態。
 「源さん、貴女何か知らない?」
 後ろから困惑したオニナガの声に、はっと振り返った。
 「…………あの、一体何が」
 震えるからだが、止まらなかった。これ以上、何も起こらないでくれ。そう願うしか、他なかった。
 「わたしね、宮本さんの指導を兼ねて点滴をさせようと思ってたの。患者さんも『ああ、それぐらいだったら自分を実験台に使っていいですよ、まだ自分は元気なんで』なんて言ってくれて、本当に助かってたのよ。でもいざ点滴をしようと思ったらね、触った瞬間に漏れたのよ、中の液体が」
 ナースステーションの中央に位置する机の上には、おおよそ棚の中に入っていたと思わしき点滴袋が、ずらりと並んでいた。どれもがバスタオルを二重にした状態のモノを下に置いている。つまりは、これらすべてが全滅ということ。
 「わ、わたし、最初自分が何かとんでもない間違いをしてしまったのかと思ったんです」と言ったのは、顔面真っ青な宮本麻友子ちゃん。
 「でも、オニナガ婦長さんが『これはおかしいから、ちょっと貸してみなさい』って渡したんです。そしたら、小さな穴があって、そこから中の液体がこぼれるように仕掛けられているんじゃないのかって」
 「誰がそんなことを…………?」
 医療従事者でそんなことをする人間なんて、いないと信じたい。第一に人を助ける側に立つ人間が、ヒトを困惑させたりして、一体何が目的なのだろうかと考えてしまう。ましてや、この点滴の中には補液類のモノだけであればまだ楽なのだけれど、中には抗がん剤や強力な薬もある。輸血用の袋を別で保管しておいてよかった、もしも輸血用のまで一緒に保管していたら、大ごとだ。こっぴどく怒られるのは当然だけれど、叱りに来る人間は、赤十字あたりだろう。
 「…………源さん、あなた心当たりなんてないわよね?」
 オニナガが不安そうに言う。
 「どうして私なんですか? そりゃあ私はもう点滴扱える人間ですけど」
 点滴が扱える人間イコール、点滴を保管している場所も分かるということになるこの病院。
 「あなた、今日変なミスをしすぎじゃないのかって…………でも、貴女に限ってそんなことをするような人間じゃないって信じたいのよ、そりゃあ、新人時代はとてもひどかったけれど、あれは井原さんに問題があったわけだし。あれからあなたも随分と成長したでしょう? だから疑いたくはないのだけれど」
 オニナガの横で「井原さんとはどちらさまでしょうか」と言わんばかりの顔をしている麻友子ちゃん。そりゃあ、麻友子ちゃんは知らない。彼女が入る前に井原さんはどこかへ行ってしまったから。
 「違いますよ! 第一に私は今日朝一番に来て、オニナガ婦長に捕まって、それから学会の資料を作成するために地下の資料庫に行ったり、担当の患者さんの診断したりで。万が一何らかの恨みがあってそんなことをしたとしても、お昼ご飯ぐらいは食べてからにしますよ」
 オニナガ婦長の気持ちもわかる。誰が、どうして、いつこんなことをしたのか。これらを早くわからなければならない。
 だからこそ、手短に私に聞いたのだろうけれど、私はやっていない。というか、こんなことをするぐらいだったら、ネットの掲示板でこの病院が人手が足らなさすぎて労働時間を守るだのなんだのをしないことを、みっちり書いてやる。
 だからわたしだったらこんなことはしない。ましてや点滴。しかも抗がん剤も入ったもの。弁償代なんて、到底払えるものではない。
 「そうよね」と何かを考えながら言ったオニナガ婦長に、私はほっと一息つき、けれどいち早く気がついたのは私ではなく、たまたまお昼ご飯をモリモリと食べていた三日月舞華ちゃんだった。
 「でも大丈夫なんですか?」
 ひょっこり裏から顔を出しながらお弁当を頬張る舞華ちゃん。あなた、本当はまだ未成年なんじゃないの、と言わんばかりの童顔っぷりだ。
 「なにがよ、三日月さん」
 「その使えなくなった点滴、今日使う分も入ってたんじゃないんですか? 代用とかあるんですか?」
 美味しそうな唐揚げを頬張りながら喋る三日月ちゃん。「行儀が悪いからやめなさい」なんてことは言えない。基本早食いとなってしまうこの職なんだ。もうこの件に関しては何も言えないし、こればっかりは仕方ない、今はどうだっていい。
 はっと気がついたのは、私だけではなかった。「宮本さん」と、冷静にオニナガ婦長が言った。
 「あなた、陸上経験あるのよね」
 「ええ、長距離、短距離両方とも経験ありますし、両方とも得意です」
 「大会での成績とか聞いてもいいかしら?」
 「中学二年でインターハイ準優勝、中学三年の頃に県大会地方大会ともに優勝、全国大会は風邪をひいてしまい棄権しました。高校一年の頃にインターハイ高校生の部で優勝、レギュラー入りをして、二年の頃に念願の全国大会優勝しました」
 どうしてプロを目指さなかったのかと言いたくなるほどの好成績っぷりだ。というか、どうして看護師を目指そうと思ったのが謎なほどの麻友子ちゃんの優秀さに、口が開いてしまった。
 「前に教えた地下倉庫の場所はわかる? 点滴が置いてあるの、源さん、あなた教えてあげて頂戴、これ鍵を渡しておくから」
 「えっ…………でもわたし、新棟の一六二三号室の勝山さんがまだ終わっていませんが」
 「私が何とかするから、こっちが先よ!」
 私に任せなさいと言わんばかりの顔で言ったオニナガ婦長。この人はなんだかんだで信頼における人だから大丈夫だと思いたい。
 「宮本さん、私足そんなに速くないけど、案内するからついてきて」
 オニナガ婦長はさらさらとメモ紙にペンを走らせ、やがて私に鍵とメモ紙を渡した。
 「これ全部お願いね! 間は私が何とかするから」
 ざっとメモ紙を見て、ぎょっとした。これ、二人で持てる量じゃないです。







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