16
ここだ、と言われた場所に、言葉を失った。
特別面会室。
私は、気がつかない間に医療ミスをしていたのだろうか? けれどここは、と考える時間もなかった。がちゃりと開いた扉に、やっぱりかと安堵してしまう。六畳にも満たない小さな部屋。中央には四人掛けの小さな机。左右には二人掛けの椅子。
「とりあえず座ってくれないか? 話はそれからとしたいんだ」
一つの封筒を手にしていた先生に、私は失礼しますと言って、部屋に入って右側の椅子に腰を下ろす。
私は一体、何をしたのだろうか?
今朝の手術の件だろうか? けれど、この一件に関してはもう解決したはずだし、何よりも担当の先生は今目の前の椅子に腰を下ろした党上先生ではない。もっと話しやすくておっとりとした、柔らかい印象の先生。
ならばなんだろうか? 点滴の間違いがあった、とは考え難い。名前と病室、さらにはコードを毎回しっかりと確認をしている。だったらなんだろうか? 本当に、心当たりなんてなかった。
「源さんさあ」
どくん、どくんと、緊張が増していく。
やがて堂上先生の口がゆっくりと開いて
「やもめ先生と付き合ってるの?」
あんまりにも場にあっていなくて、がっかりと肩を落としてしまった。そんなことかとさえも、思ってしまった。
「違いますよ」
新人時代、私はやもめ先生からほぼ付きっきりでご指導を承っていた。
だからこそ、よく勘違いを受けては同じようなことを何度も言われていた。
奥様を早くに亡くした医者と、まだ若い看護師が男女交際をしていると。
けれど、指導を受けているといくら言っても、怪しすぎる。本当だろうかと疑い、結果、その人たちはほぼ全員が腕のいい医療従事者として他の大きな病院へと抜かれて行った。
「わたし、前にも言いましたよね? やもめ先生とは『先生と教え子』との関係だけであって、『男女』の関係はありえないと」
私は何度だって言ってきていたし、第一に堂上先生にこのことを言うのは、今回が初めてではない。
けれど、今回は違った。いつもだったら「疑いをかけられる方が悪いんですよ」とか「あなたは女性なんだから、男性にむやみやたらに色をふりまくのはよくない」とか、とにかく嫌味のようなことを言う。
堂上先生は自分が「オトコである」ことと「医者である」ことに、絶対のプライドを持っている。
だから苦手なんだ。ミスをして自分であれば許されると思っている。医者だから、男だから。
けれど、私のような人間だったら? 言うまでもない、「女性なんだから大丈夫だと思って社会人として生きてきているのか」ぐらいは言われて当然だ。
「証拠ならあるんだよねえ」
ポケットの中からスマートフォンを取り出した堂上先生。いいのかよ、とさえ思えた。
病院内で使うのは、折り畳み式の、ずいぶんと古い携帯電話。一切アクセサリーもキーホルダーもついていない、本当に連絡をするだけのモノ。
けれど、先生がポケットの中から取り出したのは、最新機種と思わしきスマートフォンに、この人でもこういったものを持つのかとさえも思えた。
やがて、「これを見ても同じことが言えますか」と口にした堂上先生は、私にとある写真を見せてくれた。
「一体何を」
『言うつもりですか』と言いかけて、一瞬、先生が何を言いたいのかが全く分からなかった。というよりも、考える頭が、働いてくれなかった。
先生が見せてくれたスマートフォンの画面には、昨日の私とやもめ先生がいた。
特段にお洒落をしていた昨日の私は、仕事帰りと思わしきやもめ先生に抱きついているように見える。これは他人が見ればどう思うかなんて、言われなくても分かる状態。
これを一体いつ、どこで、だれが、どのようにして撮ったかなんて、私には一切わからない。
けれど、明確に言えることは一つ。
「これを見ても『何もありません』なんて言える? 仕事熱心な源さんがやもめ先生とデートをしましたなんてこと、もうみんな知ってるよ? いい加減白状でもしたどうなのさ? 私は同じ職場で働いているお医者さんとお付き合いをしています。私の方から体を使って誘惑をしました。相手が奥様をなくしていると聞いて、チャンスだと思いましたって。こう言ったほうがいっそのこと清々しいと思うけどね」
にやにやとしながら言った堂上先生。本当に、心の奥底から尊敬できるレベルだ。
伝言ゲーム、というのがある。最初の人と最後の人とでは、内容がずいぶんと異なるゲーム。おおよそ、最初の人は「源さんとやもめ先生が一緒にいる」とでも言っていたのだろう。
けれど、どんどんないものが付け加えられ、気がつけば「源さんとやもめ先生が付き合っている」となったのだろう。本当に、心の奥底から尊敬できる。
「どうしたのさ」と堂上先生が言った。まるで自分が正しいことを言っているみたいに。
「…………図星で声も出ないとか?」
本当に心の奥底から尊敬できる。
この人は医者なんだ。なのに私は呆れ返ってモノが言えない状況を、図星と推測しやがった。一体何年研修を積んで、何年医者として患者さんたちを見てきたと思っているんだ。人を小馬鹿にしているのかと、怒鳴りたくなる。
けれど、ここで怒鳴ってしまえばどうなるのかと、怯えている自分がいた。
今後の仕事に支障が出ないだろうか? 今後の手術の際に何か変なことをやられないだろうか? 相手は堂上先生。まだ、おっとりとしたヨシノブ先生だったら、私はいくらでも怒鳴っていただろうけれど、相手が「オトコとしてのプライド」と「医者としてのプライド」の二つを持っている堂上先生だ。めんどくさいことこの上ない。
だから言うのであれば控えめに、けれど何を言ってやろうか、なんて考えていた。
「源さんさあ、オンナなんだよ? わかる? ちゃあんと理解できてるの? その気がなくたって男性を惑わすことだって出来るんだよ。だからちゃんとしてないとダメなんだよ、女性で女なんだからさあ」
堂上先生は苦手だ。ことあるごとに「女性なんだよ」や「女なんだよ」を使ってくる。しまいには「女性は子供を産む機械なんだから」なんてことを、平然と口にしてくる。
だから苦手なんだ。
だからこそ、ここはガツンと思いっきり言ってやろうと思っていた。
「源さんさあ、僕には理解できないんだけどさ」
ここで一度間を置いて言った堂上先生。こういう時は相手に言いたいだけ言わせて、あとでガツンと言ってやろうと思っていた私は、
「どうやってやもめ先生を落とそうと思ってるわけ? やっぱりカラダ?」
「はっ?」
一瞬、堂上先生が何を言っているのかが全く分からなかった。セクハラ、なんて言葉が頭に浮かんだ。
「何を言うんですか?」
けれど、冷静にならなくてはダメ。たとえどれほど「この人は一体どうやって医者になったんだ」とか「馬鹿じゃないの?」と思っていても、せめて私は冷静にならなくてはダメだと、どうにかして抑えていた。
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