15
「願い、何でも良いの?」
突然現れた人は、そう言った。
「ああ、もちろん対価としてもらう物はもらうけどな。基本的には何でもいい」
真っ黒な髪と瞳は、異国の人ではないことがわかるけれど、どこか違うと、直感が言った。なにが違うのかは具体的にわからないけれど、この人は異国の人間ではない。けれど、同じ国の人間とは思えなかった。
「対価ってなに? お金ならないから無理だよ」
お昼ご飯のお弁当に入れた卵焼きを食べる。ああ、ちょっと甘いな、なんて。
「金は要らん。依頼内容によって、対価のモノは違ってくる。依頼内容は科学的にも医学的にも不可能なことでいい。死者を蘇らせる事や億万長者はできないが、たとえば医学的にも完治不可能、あるいは手術失敗となれば切断は余儀無しとされるような病の完治とか、不老不死とかな。内容が非実現的なことや大きくなってくるにつれて、対価の量が大きくなる」
「…………魂を取られる、なんてことは?」
「そりゃあ、よっぽどだから、まずない、と思ってくれ」
お弁当の中に入れたウインナーを口の中に入れる。
「それじゃあ、対価ってなんなの?」
最初はどうだってよかった。「君の願いをなんだってかなえてあげる」だなんて、インチキくさい。何かの詐欺じゃないのかと思うぐらい。
「たとえば君が『不老不死』を願おう。すると僕は君を不老不死にすることが出来る」
「…………マジですか?」
冗談だと思った。そんなおとぎ話のようなことがあり得るはずがないと。
「本当だよ、僕は確かに君を不老不死にすることはできる。けれど事故で早死にしてしまうとか、病気である日ぽっくり死んでしまう、とは言っていないからね…………あとは億万長者とかかな。なれたは良いけれど、身に覚えのない請求書やら強盗未遂やらがっぽがっぽきたりね」
それはもう、ほとんど詐欺師のようなものなのでは、なんてことを思いながらご飯の上に乗っていた小さな梅干を一口食べる。今日の梅干は、なぜだか一段と酸っぱく感じた。
「けれど、対価が少ない願いだってあるんだ」
ぴたりと、私の口が止まった。
「どういうこと?」
「つまりは願いがごく小さなものであれば、見合った対価はとても小さなものだっていうことだよ。君たちの世界ではたとえちっぽけな数十円単位のモノであっても、大枚を払うというのかい?」
「そんなわけないけど」
「だったらいっしょさ」
なるほど、と思えて、ふと、姉の姿が浮かんだ。
もしも、と思う。願いが小さく済むのであれば、対価も当然小さくなる。
ならば、と思えた。
「願いは、なんだっていいのよね?」
「ああ、なんだっていいよ。どんな願いだってかなえてあげるよ」
どんな願いでも、なんだってかなえてくれる。ならばとしか、思えなかった。
翌日、私はいつものように家を出た。
「それじゃあ、戸締りお願いね? お弁当は作ったから、残さずしっかり食べること! 水筒は自分で用意できるはずだから、机の上にあるのは空っぽだからね」
「了解」
朝の七時、ずいぶんと早口で鈴に伝える。
言い洩らしたことはないだろうか? ごみ出しは私がやるから別にいい。まだ寝ぼけ顔の鈴は、のんきにパンを食べている。
ふと、思った。
「鈴?」
「なんでしょうか?」
「何かあったの?」
ほんの少しだけ、鈴の様子がおかしいと思えた。気にさわることのない、おおよそわずかな変化。
けれど、いつもとどこか様子が違うような気がした。
「なにも」と小さく言って、またパンを一口食べる。
気のせいであればいい、どことなく違うような気がしてならなかった。
ふと、時計を見る。七時を五分ほど過ぎていた。このまま「何かを隠している」と問うこともできるけれど、生憎それをしてしまえば、私が遅刻をしてしまう。
「…………遅刻せずに行くのよ」
どこか嫌な予感がしつつ、戸を閉める。きっとあの子は遅刻をしない。寸前になってから動く子だから。
マンションを出て、大きく息を吸い込む。
きっと今日も急患がどかどかと来るのだろう。体内のスイッチを仕事モードに切り替える。
ふと、思い出した。時間があれば「やもめ」先生に頼まれていた物を作らなければならないと。
「流石は姉妹だと思うよ」
空を飛ぶことは、この人にとっては、何の変哲もない、ごく普通のことらしい。私たちが呼吸をするように、何気なく二本足で歩くように、この人は空を飛ぶ。
「絶対に気がつかない自信があったのに、君の姉さん、時間がないの理由だけで僕の式神を見放したよ…………あの姉さんにもう少し余裕があったら絶対に見破ってたよ。だから、もうこの術は使えないね」
「当たり前よ、何年一緒にいると思ってるの?」
本心では「私の妹をどこへやったんだ」と、怒ってほしかった。
けれど、仕方がないと思う。いつもより時間が遅かったから。「それで?」と、横にいる人が言った。
「お前さんはどうしたいんだ?」
「どうって」
横にいる人がにやりと笑う。駐車場へ向かい、車に乗ってエンジンをかける姉の姿を、上からじっくりと眺める。
どうしたいか?
わたしが、どうしたいか? 「くだらない質問ね」と、鼻で笑う。私がどうしたいかなんて決まっている。
「追うわよ」
私は、自分のお姉ちゃんが本当にやりたいことを、満足いくまでやってほしい。「私には妹がいるから仕方ない」なんてこと、どれだけ間違って思わないでほしい。
結構スピードを出したから、なんとか間に合った。慌てて着替えてナースステーションへと向かう。
「おはようございます!」
今日は何があっただろうかと思い出し、妙な違和感に気がついた。一応「おはよう」と返事をされるのだけれど、どことなく、煙たがれているような、気がする。気のせいであれば別にいいのだけれど、このままでは仕事に支障が出そうで、嫌な感じがした。「源さん」と、オニナガに呼ばれた。
「一八七五室の近元さん、貴女担当でしょう? 一体どうなってるの?」
どこか、オニナガから怒られているような気がした。何か重要な書類を出し忘れている時に言うような口調のオニナガに、私は心当たりなんてなかった。
「えっと、近元さん、ですよね?」
頭の中でぐるぐると検索をかける。近元さん、ちかもとさん、チカモトさんと考えてから、やっと顔が出てきた。一八七五室の近元柚奈さんは二十代後半の女性。お腹が痛いとのことで外来出来たけれど、一週間後に手術を控えることとなった。検査結果、原因は盲腸。
「『手術を先生の都合で早めることとなったから、とても急だけれど、朝一で出来るようにお願いしたい』と、あなたたちの班のリーダーにちゃんと伝えたはずよ? なのに一向に連絡は来ないし、桜葉さんは『源さんが一人でやらせてくださいと言っていました。彼女に連絡を入れたのですが、一向に連絡が来ませんので、私は知りません』としか言わないし、連絡も来ないし、一体どうなってるの?」
聞いていません、というか今初めて聞きました、とはさすがに言えなかった。
朝一の手術と聞いて、時計を見る。現在の時刻は八時を四十分ほど過ぎている。朝一の手術ともなれば九時開始。朝礼だってあるんだ、一人で何もかもを準備しなければならないともなれば、とてもではないけれど、時間が足らない。全身の血が引いていくのが分かった。
「知りません」や「きいていません」は、チームの連携が取れていない証拠。
「すみませんでしたっ、すぐに準備を」
「もうしておいたわ」
私の言葉をさえぎって言ったオニナガに、私は変な言葉が出ると思った。
「貴女にしてはめずらしいミスだったから、今回の一件だけは見逃してあげるわ。けれど、次は無いと思ってちょうだい」
念を押していったオニナガに、私はただただ「すみませんでした」や「申し訳ございませんでした」としか、言うことが出来なかった。
心の中でぐるぐると負の感情が巡る。
聞いてません、知りませんでした、連絡をもらっていないので、今初めて知りました。私は桜庭さんから連絡をいただいていないだけです。
けれど、この言葉を使ったところでどうにもならない。だからなんだと言われることを知っていた私は、何も言えなかった。
だから、どうにかしないといけないと思えた。
「桜庭さん、少し良いでしょうか?」
朝礼終了後、桜庭さんは何気ない顔でナースステーションにやってきた。荷台を押しながら着た彼女の顔には、めんどくさいと疲労の色がうかがえる。
けれど、私からしてみればそんなことどうだってよかった。
「なんでしょうか」
「なんでしょうか、はないでしょう? 私に一つ言わなくちゃいけないことがあるよね? どうして手術が一週間後になっていた患者さんのことを言ってくれなかったの? 一八七五号室の近元さんの手術、先生の都合で今日の朝一になったなんて、私オニナガに言われて初めて知ったよ? 桜庭さん、リーダーだからって、オニナガから連絡受けてたのに、私になんの一報もなかったよね? 私の連絡先ぐらいは知ってるはずだよね? なのにどうしてメールでも電話でもいいから、一言知らせてくれなかったの?」
この際、手術の準備を一人ですることについては、どうだってよかった。担当の先生にも謝罪をしなければならない。下手をすれば反省文、よくてもお叱り。
これは、あんまりだと思う。
「…………ご自分が聞いてなかったことを他人のせいにするのは、いかがなるものかと思いますが」
数秒後、ぽつりと吐き出すように言った桜庭さんに、最初は何を言っているのかが全く分からなかった。「違いますか?」同意を促すように続けて言った。
「私、これからとても忙しいので失礼させていただきます。ご自分のミスを他人のせいにするのは、いい加減にしてくださいね? 周囲がとても迷惑なので」
軽く頭を下げて私の横を通り過ぎた桜庭さん。意味が分からないのと同時に、ふつふつと怒りが募る。
馬鹿じゃないのか、と。
桜庭さんは、たまたまリーダーに慣れたんだ。能力なんてミジンコたりともない。四大卒で、ちょっと英語が使える。
ただそれだけの人間なんだ。
冗談じゃないと、思えたのとほぼ同時だった。
ナースステーションのナースコールが、一斉に鳴り響いた。はっとしてコールが鳴った部屋を確認しようとして
「源さん、ちょっといいよね?」
堂上先生が私を急に呼び出した。
私は、この人が苦手だ。
「なんでしょうか? 後でも可能ですか?」
「いや、こっちが先。ナースコールなら他にも人がいるでしょ?」
ニコニコとした顔を、まだ日の浅い新人の子に見せる。『変わりはお前がいけ』ということなのだろう。あの新人さん、まだまだ未熟なのに、何かあったらどうするつもりなんだろう?
「わかりました」
何かあればすぐに対応できるように、応援できるようにしなければならない。あの子にはまだ負担が大きすぎる。医療ミスなんてすれば、命が一つ、簡単に吹き飛ぶ。
「ここじゃあ確認しずらいからさ、悪いんだけど場所をかえさせてもらうよ。ついてきてほしいんだ」
「はい」
私は、今度は何をやらかしたのだろうか?
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