※「溶けあう温度」→「崩れゆく空間」→この話 
の順に読むと話がわかりやすいと思います

××

どうしよう。どうしようどうしよう。
私は最低だ。マサキくんの気持ちを知って浮かれていたからこうなったんだ。マサキくんとした後、ヒロトさんと、・・・なんて。あの二人にどんな顔を向けたらいいんだろう。もうすぐマサキくんが学校から帰ってくる時間だ。もしヒロトさんがマサキくんに今朝のことを言ったりしたら、「なまえ」「・・・っ!」振り向くと、そこには満面の笑みを浮かべたヒロトさんが居た。

「ヒロト、さん・・・」
「ふふ、どうしたの?そんなに怯えて」

私の顔をみて嬉しそうににやりと笑うヒロトさん。ゆっくりと距離が縮まり、なんの抵抗も出来ずに抱き寄せられてしまった。いけないとわかっているのに、触れられただけで疼く体。「今朝つけたの、目立つなあ」ちゅ、とわざとらしく音をたててキスを落とす。「ぅ、・・・っあ」思わず声を出すと、それを待っていた、というようにヒロトさんの左手が胸に触れる。「マサキがつけたのに上書きしただけなんだけど、ね」ヒロトさんの整った顔がゆっくりと近づき、キスを「ただいまー」しようとした瞬間。玄関のほうからマサキくんの声がした。

「ッ!!」

どん、と思わずヒロトさんを突き飛ばしてしまった。「・・・」ヒロトさんがほんの一瞬だけ、悲しい顔をしていたような気がするけど、そのまま背を向けてマサキくんのほうへと足を進めた。「マサキくん、おかえ・・・っ!」言葉を遮られ、目の前が真っ暗になる。ふんわりと広がるマサキくんの香り。

「ただいま、なまえさん」

耳元で、低く声変わりしたマサキくんの声が響く。「マサキくん・・・!」思い切り抱きしめられた。「学校いる間、なまえさんのことが頭から離れなかった」ずきん、何故かその言葉に胸が痛む。「・・・おかえり、マサキ」ふいに後ろから聞こえる、ヒロトさんの声。思わずびくりと肩が震える。

「ほんと二人は仲いいんだね、恋人みたいだ」

マサキくんの腕から逃れ、振り向くと、氷のように冷たい目でこちらを見るヒロトさんが居た。口元にだけは、かろうじて笑みを残している。「あの、ご飯・・・作ってきます」刺さるような視線を振り切り、そそくさとその場を後にした。キッチンへ着いた瞬間、その場にへたへたと座り込んでしまった。

「どう、しよう・・・」


××

オレがなまえと離れて暮らしていた間、マサキはずっとなまえと一緒だったんだ。オレよりもマサキを選ぶっていうのは想定済みだったじゃないか。なまえを抱いた今朝、こんな事はもうやめようと決めたじゃないか。なのに、なぜオレはこんなにも意地が悪いんだろう。

なまえを諦めることが出来ない。オレのせいでなまえを困らせているなんてことはわかっているんだ。・・・でも、マサキの声が聞こえた瞬間にオレから離れてしまったなまえ。そのなまえの顔を見た瞬間、どうしてもなまえをマサキには譲れない、なんていう子供じみた気持ちが溢れてしまった。だから、なまえとマサキが抱き合っているのを見たとき、わざと邪魔をしてやったんだ。我ながら最低な奴だよなあ。

「ヒロトさん、帰ってたんですか」
「うん、今日は仕事がなかったからね」

笑顔という仮面を携え、マサキを見つめる。一瞬の沈黙の後、口を開いたのはマサキだった。「ヒロトさん、なまえさんが好きなんですか」・・・これはこれは。随分と今のオレの気持ちを考慮しない質問だ。まあオレの気持ちを察しろ、とは言わないけどね。マサキがいつもとなく真剣な目をしてオレの答えを待っている。

「さあね」
「・・・ちゃんと答えて、」
「でもマサキがなまえのことを好きっていうのは知ってるよ」

なんだかマサキの目が険しくなった。あー怖い。「俺はヒロトさんの事を聞いてるんです」そんなこと聞いてどうするんだろうね、もうわかってるくせに。でもここでライバル宣言するっていうのもおもしろいかな?「好きだよ、俺も・・・なまえのこと」「・・・やっぱり」あー、でもさ。「手を出すつもりはないよ、だって犯罪になるもん、年齢的な問題で」ちょっと嘘ついてみるのもおもしろいかもね。


××

やっぱり、ヒロトさんはなまえさんの事が好きだったんだ。しかも、俺の気持ちにも気づいてた。あなどれないな、この人は。「・・・なまえさんは、俺のです」「ふーん」おもしろい、とでも言いたげな表情でにやりと笑うヒロトさん。「・・・べつに俺はヒロトさんと敵になりたいわけじゃ、ないですから」「わかってるよ」にこ、いつもの笑顔がヒロトさんを取り巻く雰囲気を温かくする。

「・・・あー腹減った!」
「オレもまだなんだ、晩飯」
「じゃあ俺、着替えてから行きます」
「先食堂行っとくよ」

3人でメシ、なんて久しぶりだな。ヒロトさんがここを出てからずっとなまえさんと2人きりだったから。最初の頃はヒロトさんがいないだけですごく寂しかったけど。なまえさんへの気持ちに気づいてからは、2人で、っていうのが嬉しいような、寂しいような。思春期ながらなかなか複雑な気持ちだった。

ユニフォームを脱ぎ捨て、着替えを手にとる。・・・ふいに、頭の中にめぐる思考。もし、・・・もしも。ヒロトさんがなまえさんに迫ったり、したら。・・・なまえさんはどうするんだろうか。俺とヒロトさん、どっちを選ぶんだろうか。ヒロトさんは、なまえさんが昔から本当の兄のように慕ってきた相手だ。俺がここへ来る少し前から、なまえさんとヒロトさんは一緒にいたんだ。

「なまえさんが、ヒロトさんを選んだら、・・・俺は」

どうしたらいいんだ。


××

「マサキくん、遅いですね」
「そうだね」

食堂で、ヒロトさんと二人きり。着替えると言って自分の部屋に行ったマサキくんは未だ姿を見せず。正直、この空間が気まずい。少し様子を見に行った方がいいかな。「あの、私・・・」「マサキの部屋に行くの?」見事に思考を読み取られ、驚く。ヒロトさんの方を見ると、その顔は真剣そのものだった。

「・・・ご飯が出来たって、言ってきます」
「待って」

立ち上がると、ヒロトさんの言葉によって行動が停止する。「行くんなら、オレにキスして」「え、・・・っ」ヒロトさんが何を考えているか、解らない。なんでいきなりそんな事言うの。「・・・嫌なら、行かないで」「でも、・・・!」ヒロトさんは先刻と同じような、とても悲しい顔をしていた。どうして、そんな顔・・・「なまえ」

「オレを一人に、・・・しないで」
「ヒロト、さん・・・?」
「好きなんだよ、なまえが・・・どうしようもないくらい」
「・・・ッ」

ちゅ、と。触れるだけのキスをヒロトさんにする。瞬間、思い切り引き寄せられ、抱きしめられた。「・・・なまえ、好きだ、・・・っ好きなんだよ」ヒロトさんの言葉が、私の胸に傷を作る。きゅうきゅうと締め付けられる胸。「なまえ・・・っ」「ひ、ろと・・・さん・・・」どうして、ヒロトさんはこんなに寂しそうな声で私を呼ぶんだろう。

「・・・ごめん」
「・・・、」
「いいよ、行って」

いつものように優しく笑うヒロトさんの笑顔を見ているとなんだかとても苦しくて。気づけば私はヒロトさんに背を向け、走り出していた。・・・こんなに心臓がばくばくと蠢き胸が苦しいのは、階段をかけあがったせいだ。きっとそうに違いない。「はあ、・・・はっ」呼吸を整え、マサキくんの部屋のドアをノックする。・・・が、返事がない。

「・・・マサキくん?」

どうしたんだろう。恐る恐る扉を開くと、部屋の中は真っ暗だった。そして、上半身裸でベッドに横たわる、マサキくん。「ま・・・マサキくん?!」思わずマサキくんのほうへ駆け寄り、体を揺さぶる。「・・・なまえ、さん」「どうしたの、もうご飯できた・・・」ぼすんという音が聞こえたかと思うと、視界が反転。目の前に見えるのはマサキくんの顔と、光を灯していない蛍光灯に、真っ暗な天井。

「俺、なまえさんが好きだ」
「そんな、急に・・・」
「ねえ、なまえさん」
「・・・どうしたの、?」
「俺とヒロトさん、・・・どっちのほうが好き?」
「え、・・・?」

なんで、こんな質問。・・・まさか今朝のこと、ヒロトさんがマサキくんに・・・?真っ暗な部屋とは対照的に、真っ白になる頭の中。「ヒロトさんがなまえさんのこと好きだ、って・・・手は出さないけど、なまえさんのことが好きなんだって、そう言った・・・!」・・・どういうこと、だろう。・・・"手は出さない"?

ヒロトさんは、・・・何を考えているの?



リビドーの暴走
(リビドー/強い欲望)

20120829
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