崩したい壁


「ナマエー!」
「えっ」

 放課後、今日も今日とて特に仕事はなかったけれど数学の課題をやってしまおうと向かっていたところだった。
 日辻くんがいなくなってからは誰もあそこに足を踏み入れる人はいなくなった。…いや、あの直後から樺根くんが来たんだっけ。彼が驚くほど律儀に毎日通うものだから何となく一人にした方がいいのかと思って暫く行かなかったんだけどその選択は間違いだったらしい。「何故来ないのですか」と言われてしまえば私も出来るだけ通うことになる。
 別に、本気で嫌なら断ればいいことだ。それをしないということは、まあそういうわけで。

 怖いけど気になる人。私の中で彼は、六道くんはそんな感じだった。だからといって今の距離が心地良いのは確かなことでこれ以上を別に望みはしない。向こうも同じ感じなんじゃないかなとこれは自意識過剰なのかもしれないけど、それでも一緒に住んでいるという噂の城島くんや柿本くんを先に帰してここへ寄って私と他愛もない雑談を交わして帰るという日々を過ごしているということは日課にする程度には気に入ってくれているのかなと思っていた。
 とまあそんな事を考えつつ教科書を鞄から取り出し、生徒会室のドアを開けた瞬間だった。

「ぐえっ」

 視界が一気に赤く染まる。何事かと思ったけど今度は顔面にのめり込む何か。意外と柔らかい。痛くはないけど突然の事に何も出来ず思わず身体が固まった。
 あの時の記憶、再び。この赤いものは林檎で、…林檎の被り物で。そして残念なことに私はこれに見覚えがある。

「ナマエ、会いたかったですー」
「…何でフランがここにいるの」

 いつからここは託児所になったんだ。
 どう見ても学生には…小学生には見えるものの中学生には申し訳ないけど見ることはできなかった。どうやって入り込んだのか。正直言ってこの学校と、学校周りの治安は最強に悪い。そんな中でこの子が何も咎められることなくこの生徒会室に来れる可能性なんて低いというのに。

「六道くんに連れてきてもらったの?」
「違いますーミーが一人で来たんですー」
「誰にも怒られなかったの?」
「ミーの幻術で皆ちょちょいのちょいですー」
「…ゲンジュツ?」

 そういえば六道くんも不思議な力があるっていってたし、師匠というのはそういうことなのだろうか。ということは六道くんもその幻術とやらが使えるということで。…有り得ないことじゃない、か。樺根くん=六道くんというこの等式がこの黒曜中学には浸透していないのはその所為なのかもしれない。
 「こんな感じですー」この生徒会室には私とフランだけのはずだった。だというのに突然、1トーン低くなる声。びっくりしてその声の方へ向くとそこには何故だか大人びたフランの姿があった。いや、フランのお兄ちゃんなのだろうか。あまりにもそっくりで、将来はこんな感じになるのかなと思ってはみたけど今度はフランの姿がない。

「…フラン、なの」
「幻術でこうすればミーを子どもだと思わないですよねー」

 これが幻術。いやいや本当に、魔法みたいだった。
 どうやってこうなったのか分からないけど確かに今の姿を見ればフランを子どもだと思って止める人はいないだろう。ただその毛色と言い整いすぎてる容姿と言いある意味目立ってしまいそうではあるけども。

「!」

 ふと伸ばされる腕。私に触れることなくそのままトン、と私の隣を通って壁につきフランの顔が目の前にあった。反射的に後ろへ下がるものの私の頭も壁にこつんと当たる。いわゆる壁ドンというヤツを初体験してしまった。
 先日の公園の時と同様見下される形になっているけどあの時と容姿が、纏っている雰囲気が全然違って思わずドキンと心臓が跳ねる。逃げ場がない。あの時みたいに六道くんが声をかけてくれるんじゃないかと思ったけどその様子も、ない。ここに先生方が来られることはないけどこの現場を見られるのは非常にやばいのでは。そう思っているのに見据えるフランの瞳から逃れることはできず。

「師匠がナマエを気に入った理由、分かる気がしますー」
「…へ」

 額に唇を押し付けられたかと思うと、次の瞬間にはフランは私の知っている小さな子どもへと戻っていた。ぎゅうぎゅうと私を抱きしめるその様子にほんの少し安堵する。…こっちが本物なんだよ、ね。危険な道を歩んでしまうところだった。よしよしと頭を撫でるとどことなく嬉しそうに笑っているこの子とさっきのアダルトな人が同一人物だなんて到底思えなかった。将来が非常に恐ろしい。さっきの技もどこで覚えたのか。師匠からか。…今度六道くんに聞いてみよう。

「ところで六道くんが此処に来ていないってことはもしかしたら今日はここに寄らないかもしれないよ」
「今日はナマエに会いにきたので良いんですー」
「…私に?」

 兄弟が居たらこんな感じなのだろうか。素直に甘えられて可愛いと思わない訳がない。椅子に座らせてから鞄からお菓子を取り出しフランに差し出すと喜んで受け取り美味しそうにパクついた。私もその隣で座ってお菓子を口に含む。
 勉強をする気はとっくに失せていた。
 それよりもフランを一人で帰すのも危険だし六道くんが迎えにくるのを待つべきなのか。…今まで何も思った事はなかったけど彼の連絡先でも聞いておけばよかった。結構長い期間この生徒会室で雑談する仲を築いていたというのにそういえば学校以外の話題を、自分の事をお互い話すことはなかったな。

「そういえばフラン、一人で帰れるの?」
「無理ですー」
「…行きはどうやって来たの」
「犬兄さんに連れて来てもらいましたー」

 六道くんが師匠で、城島くんがお兄さん。複雑な関係なのか。ぱっと時計を見れば間もなく17時。そろそろ帰らなければ。フランだって親御さんが心配するだろう。だけど一人で帰られないってなれば連れて行ってあげる必要がある。

「家は分かる?」
「黒曜センターですー」
「…もう一回」
「黒曜センターですー」

 聞き間違いじゃなかった。あの廃園した黒曜センター?あそこにフランが住んでいるのか。…いや、あんな場所もう私だって小さい頃に行って以来だったしもしかすると名前こそそのまま引き継いで、住宅街に変わっているのかもしれない。
 今日は遅刻しかけたことだしちょうどタイミング良く自転車通学だ。フランほど軽ければ後ろに乗せてあげることだってできるだろう。

「よし、じゃあ私が送ってあげるね」
「わーいナマエとデートですー」

 きっと世渡り上手なんだろうな。なんて自転車の後ろに乗せながら勢い良くペダルに足をかけた。



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