まばたきの猶予


 心に秘めていたものを人に話すという行為は自分で思っていたよりも身体を軽くさせるものなのだと依里は驚きを隠せない。
 結局、爆豪には過去何があったのか具体的に話すことはなかった。小学生の頃に起きた例の事件は、友人だった人間やその母親の行ったことがあまりにも非常識であったものの、自分の行動もまた喜ばしいものではなかったからだ。もちろん依里に傷つけてやろうという意識はなかった。あの頃は自分の個性というものは人を幸せにするだけのもの、人に運を少しだけあげるものだと思っていただけで、対照的に自分が不運だったのはそれは個性云々・人を幸運にさせた為の代償ではなくただ自分の運がなかっただけだと思っていたのである。怪我を負ったあと、はらはらと涙を流し自身の心配をしてくれた母に個性の詳細を聞いたことで個性使用の危機感はいっそう強く深まったのだった。だが無自覚であろうとなかろうと、依里がしてしまったあの行為もまた許されざること。彼女たちがどうなったのか調べる勇気もないまま、その記憶はただ忘れたいが決して忘れてはならぬものと戒めている、依里の根底に巣喰い続けている事件であった。
 …ともあれ。

「昨日はありがとう、爆豪くん」
「あ?」

 本人に自覚はないだろうが救われたと感じたのは確かなのだ。できるだけ苦しんでいる姿は見られたくなかったことではあるのだけれど。そして全貌を明かすこともないたかだか一言ではあったが感情の吐露の相手が爆豪で良かったなと依里は素直に思う。見たくもない夢だった、恐ろしい夢だった、…恐ろしい、過去であった。普段は大人しいしそこまで感情が揺らぐことはなかった依里の、唯一の恐怖。トラウマと置きかえたって大差ないだろう。何かあったのか問うこともなく、ただ依里がそれ以上何も言うこともなかったあの状態で『そうかよ』とそれだけで済まされたこと。冷たい人間かと思いきや、そもそも依里のことに興味がなければ自分が眠り続けている間にさっさと帰ればいいし、姿を見せる必要はない。なんとも矛盾と言うべきか、天邪鬼と言うべきか…それでも依里にとって彼の判断は新鮮ではあったし、ありがたかった。
 この男とはそう長い期間の付き合いではないが人のことを嘲笑うこともなければ、個性だけを見ることはない。また人の過去を探るような人間でもなかったことも今回の件で明らかになり、最初に抱いていた印象が印象だっただけに爆豪への信頼は深まるばかりだ。彼があの教室に居なかったなら一番関わることのない人間であっただろう。そうなると爆豪という男のことなど見た目や普段の言動の通りに捉え、卒業するまで言葉を交わすこともなかったに違いない。
 とにかく、依里は礼が言いたかった。感謝していることを伝えたかった。だからこうやって言葉に出しているというのに肝心の本人ときたら何でこんなことを言われているのかさっぱり理解していないようで訝しげにこちらを見返してくるばかりだ。それが愉快で仕方がない。何故この男はこんなに面白いのだろう。依里は依里で爆豪の言動が全然理解できなくて、それが新鮮で、楽しくて仕方がなかったのであった。良い人に出会えたのだな、とも思う。この雄英に入学するまで、彼と出会うまでに自分の個性を目的に近付いてきた連中のことを忘れてもいいと思えるほどだ。

「最近、怪我はねえんか」
「……え?」

 放課後、爆豪はたまに依里を例の空き教室へ呼び出しこうやって話をする。元々特定の仲のいい友人を持たない依里は今となっては爆豪の姿が廊下で見えたら自分からすぐに移動するようにもなっていた。強制ではないだろうがもしあれで逃げる姿勢を見せたならそれはそれで追いかけてくるだろうとは思いつつ実行に移さないのは爆豪と話したい気持ちが確かに依里の中に芽生えたからであった。
 会話に疲れないというのが何よりも大きい。お互い自分のことを自分から話す気質ではないらしいが、聞かれれば答えるスタンスと言うのも同じであった。加えて、無言も苦にならないようで。話と話のあいだに時間があっても平気なのはありがたいことだ、と依里は思う。
 ただ、爆豪は依里よりも自分の考えを話すことはない。依里に話をさせ、そこに相槌を打ったり打たなかったり。別にそこにこだわっているわけでもないし答えたくないことは濁しているので依里も気にはしていないのだが、――そう、彼はその性格に見合わず細やかなことに気付く節がある。頭の回転が恐ろしく早いのだろう。なので、彼から問われることはいつも裏があるのではないか……などと逆にいちいち考えるようになってしまったのだった。

 さて、今の質問はどう言う意味なのだろうか。

 これまで依里の個性を目当てにしてきた人間からの発言であれば簡単だ。最近自分が幸運ごとに恵まれていないが個性はしっかり作用しているのか? と言っているのである。あまり褒められたことではないが相手に幸運が来るたび、また、依里が怪我を負うたびに何かと物をくれる人間だって少なからず存在したのだ。金銭はさすがにまずいと思っているだけこのやり取りは限りなく黒に近いものなのだが、これを受け取らなかった場合どうなるか依里は知っているのである程度のものならば受け取ることにしている。あと、やはりこの個性の恩恵をあやかるにあたって依里が裏切ること――この場合は依里に幸運が来るように比率を変更することを意味する――のないように、という意味合いが強い。信頼関係が築けていない状態で個性を結んだ場合、そうやって疑われることが多いのである。
 だがきっと爆豪はそうではないのだ、と、思う。なんとなくでしかないのだが。

「何もないよ」
「…そういう風にもできンのか」
「一応ね。爆豪くんに不幸が起きないように設定はしているんだけど、こうやって何事もないように相殺するようにもできるの。あ、それが嫌ならいつでも変えるけどね」

 爆豪と組んだことにより自分が不幸になることは構わないと依里はごく自然にそう思っている。なので怪我をすることも別に今さらのことだし構わないとすら思うのだが、何しろ前回のことがある。あえて自分が怪我をして彼に幸運を贈っていたことを知られたあの時の不快だと言わんばかりの表情がなぜだか忘れることができず、一応今は何もないようにしているのだが。それがまた何か気に触ったのだろうか。

「…爆豪くんが思ったようにするけど、」

 ともかく、依里はこれまでの契約者の中では爆豪のことを一番といっても過言ではないほど気に入っている。かなり好意的なつもりである。彼が要望を言うのであれば応えようと思っているぐらいには、だ。今更だが自分に幸運を寄越せと言うのであればそれに従うつもりだった。
 しかし爆豪は依里の望み通りに動いてはくれない。いつだってそうだ、この男は、爆豪勝己という男はいつだって依里の周囲にいた人間と違う行動をとる。それが至って普通のことなのだと誰かに言われたとしても、それを信じることができないほどに依里の周りにはろくな人間が居なかったのであった。例の凶悪そうな顔でもなければ怒った表情でもなく。ただ爆豪は満足した、とでも言うような表情を浮かべ口元をゆがめ、依里を見る。

「これからもそうしてろ」

 この人は自分に期待していないのだ。
 個性を信じる、信じていない、という問題ではなく、そもそも依里の個性を頼らずにいられる強さと、それがなくったって構わないのだ――そんな気持ちが節々で感じとれる。それが、依里が彼をまばゆいと感じる最たる理由であった。
 だから依里はこの男の前では普通にいられるのだと思う。ただの一生徒として。一人の人間として。一人の、なんともないただの女生徒として。自分のことをツールとして見ていない爆豪の隣はどうしてこうも居心地が良いものなのか。

「分かった。これからもそうするね」

 ありがとう、と今度は心の中で呟いた。
 この男は多分、自分がどれだけ感謝していようとも気にはしないだろうと思えたから。また、これ以上礼を言うといつものように眉間に皺を寄せて睨みつけてくるに違いないと分かっているからだ。


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