地軸も君に折れ曲がる


 それから依里の生活が突然変わるということはなかったのだが精神的な面での疲労は格段に軽減された。というのも依里の個性は爆豪に説明した通り彼の指に巻き付けたものは誰にも見えないものだったのだがそれはあくまでかけられた側である爆豪側だけの話であり、依里の手には誰の目にもわかるような赤い糸が括り付けられていたからだ。つまり個性発動中であるとあからさまに分かるのである。どういった仕組みなのかこればかりは依里にも分からないが、そのおかげで呼び出される回数が減ったのであった。
 そもそも爆豪以外に自分からこの個性を誰かに伝えたことはない。しかし噂が巡りに巡り、中には尾ひれまでついて今に至る。また依里の父親が界隈では有名な、絶大な幸運の所有者とまで呼ばれるヒーローであるのも影響しているのだろう。ある時は敵に銃を向けられたはずが弾詰まりを起こし不発に終えただとか、ある時は火災事故が起きたのに無傷で救助活動をしただとか。父親の個性や努力の賜物でもあるのだが結局すべて運が異様に良かったで片付けられることに彼は否定しなかったのであった。

 ――そう、この個性は母の遺伝である。

 そして、父親は母の個性の、いわゆる契約者でもあった。
 つまり依里の母の個性は絶大で、そして子であり同じ個性を継いだ依里の恩恵を得られればヒーローも夢ではない。依里の恩恵をあやかることが出来れば自分の求めたものを得ることができる。そんな風に思っている連中が現れてしまったのだ。実質そんな大それたことをできるとは自分でも思ってもいないので自分と個性の契約を結びたがる人間を見ても結局は過大評価なんだよなあとむしろ申し訳なく感じているところもある。内容の分かり切った呼び出しにわざわざ応じ、きちんと断ってきたのはそういうわけだったのだ。 
 ちょうどさっき呼び出してきた人物は割と有名な人物だった。柔らかな物言いで人も好さそうだったのだが依里の小指を見て青ざめ、去ってしまった。今頃自分の取り巻きや同じく依里の個性の恩恵を得ようとしている人間に詰め寄っているのかもしれない。あの意固地にも誰に対し個性を使わなかった女を誰が懐柔したのかと。
 どうでもいいことだ。
 依里はほくそ笑む。今きっと自分は敵顔負けのあくどい顔をしているに違いない。爆豪のことを売るつもりはないし誰にも教えるつもりはないがもし教えたとして、もし周りにバレたとして彼に真っ向から喧嘩を売る人間なんて誰も居ない。そう考えたら今の自分は最強のボディーガードを手に入れたといっても差し支えないのだ。もっともそれも彼が守ってくれているのではなく名前を借りただけのことなのだが。

「おい」

 爆豪に呼び出されたのはそれから数日経過してからだ。もうあれから用済みだと言わんばかりに依里は普通の学生生活を満喫しており、彼と偶然出会うことはなくなっている。授業が終わればさっさと帰るし登校時間もチャイムが鳴るギリギリを狙っているからだ。
 この空いた教室に来るのもおおよそ一週間ぶりぐらいのはずなのに随分久々のような気がする。爆豪が帰りがけの依里の腕を掴まなければこのままずっと来ることはなかっただろう。

「あれ、爆豪くんお久しぶり」
「てめえ俺から逃げてんだろが」
「そういうつもりじゃなかったんだけどなあ」

 爆豪に対し感謝することはあれど恨むことは何ひとつない。初めて顔を合わせた時は確かにそんなことを思ったし踏み込まれたくないところをつつかれたことに苛立ったことはあったが自分の個性のパートナーとなってくれた今、すべては帳消しだ。よく続けてくれた方だと思う。彼の短気な性格は深く関わらずとも何となく分かっていたので全てがありがたかった。
 だから依里はいつまでもニコニコと笑みを浮かべ続けるし、爆豪が聞きたいことがあるならば喜んで答えようと思っていた。個性を解除しろと言ってくることはないだろう…ということは直感的に分かったからだ。じゃなければ皆の前であっても早く解除しろと怒っていただろうから。こんな空き教室にわざわざ連れてきてグチグチ言うような相手には思えなかったからだ。

「その傷は何だ」

 ぴたり。依里の笑顔はそこで凍り付く。

「…何のことかな?」
「腕、怪我してンだろ」
「あ、そうそう。これはこの前家で転んだんだよね」
「足は」
「この前の体育で」

 …よく、見ている。
 そしてこの質問の仕方は間違いなく自分のドジっぷりを笑うためのものではないとすぐに気付き降参と言わんばかりに依里は両手を挙げた。

「もう気付いたの? 早くない? 爆豪くんったら天才だね」
「当たり前だろ」

 声は恐ろしく低い。怒っているのは聞かずともわかる。この個性の本質を理解したと捉えていいのだろう。
 まあいいか、と依里は軽く考えた。どうせ怒っているのは自分がきちんと個性の説明をしていなかったからだ。前回はアレで満足してくれたようだったけど今回はそう簡単にはいかない。ならばもう全部説明しておいた方が良いだろう。

「ちなみにこれは確認なんだけど爆豪くん、最近ちょっとしたラッキーはあった?」
「あ?」
「確認だってば。ほんの小さなことでもいいよ」
「……」

 爆豪が嫌々ながら依里の質問に答える。それはほんの小さな幸運であり、これぐらいをラッキーだと思っているなんて自分に思われるのは屈辱でしかないだろう。爆豪の性格ならきっとそうだ。
 聞いて答えられたそれは、確かに小さなことであった。
 例えばくじ付きの自販機で当たりが連続で出たりだとか、遅刻かと思ったら電車が遅延で間に合っただとか。教科書を忘れたかと思ったらその授業が自習になっただとか。転びかけて足を止めたと思ったら、その先でちょうど上から物が落ちてきたりだとか。
 話している内容は確かに幸運ではあったのだが決して有り得ないことばかりではない。そういうことはたまにあるものなのだ。だがこれが連日続くとなれば話は別になる。そして依里を見れば怪我を負っている。そこからこれが個性による出来事であると直結させたのだろう。想像力が豊かというべきなのか、頭が良いというべきなのか。

「お前の個性は”運の共有”。そういったよな」
「…はい」
「俺がちょっとした幸運を得るたびにお前が怪我を負う。間違いねェな?」

 もはやそれは確認である。こくんとひとつ頷き、そのまま爆豪の様子をちらりと伺った。腕を組み、黙ったまま。だけどこのまま帰してくれる様子もなくそれが不思議で仕方ない。
 爆豪の導き出した答えは間違いではない。個性である赤い糸の実態は前にも話した通り”運の共有”である。極端に言えば爆豪の不運を自分のものにすることができる。そしてその逆もしかり。何もそう難しいものではない。ただ、やはりこの個性は呪いだとも思えるのだ。空を飛びたいと誰かが願ったから誰かが翼を生やし、空を飛ぶ。強い力が欲しいと誰かが願ったから怪力個性の誰かが現れた。もしそういう風に個性が誰かの願いによって生まれたものなのであれば依里の個性の根底は『誰かの幸せを願った』なのだと思う。祝いは呪いへ。使い方によっては人を傷付ける個性となってしまった。

 ――ああ、そうか。

 そこまで考え、依里は爆豪が自分を呼び出した理由をようやく考え付いた。なるほど、それなら合点がいく。だから依里は物分かりが良いでしょうとばかりににっこりと笑みを浮かべ爆豪を見返した。対して彼は胡散臭そうな表情を浮かべている。

「大丈夫だよ。この個性、割合は私が決められるから! だから爆豪くんは契約を結んでくれている間不運にならないよ、私がお願いしたことだしね。大丈夫、この個性の所為で巻き込んだりはしないから安心して! 爆豪くんの邪魔にはならないようにするから」

 爆豪は一瞬黙り、あ、やっぱりこのことだったのかと依里は安堵する。勝手に巻き込まれた上に、勝手に他人の不運を負わせられるなんて絶対に嫌だろう。それぐらい分からないわけがない。依里だってそれぐらい理解しているつもりだった。

「そういう問題じゃねェわ!」

 だから爆豪が怒声をあげたことには驚いた。驚いた上で、「え、何で?」と聞くのは当然のことで。どうして怒られなければならないのだろう。どうして声を荒げ、こちらを睨みつけているのだろう。依里の返答が気に食わなかった理由が到底思いつかず、依里は静かに爆豪を見返した。理由を述べてくれるのであればそれに従うつもりだった。原因を教えてくれるのであれば、自分が相手に対して失礼だと思われる言動をしていたと認識したならば素直に謝るつもりだった。
 しかし彼がその疑問に返すことはない。それ以上は何も言うことなく教室を出て行ってしまった爆豪を見てまた依里は途方に暮れるのだ。

「…難しいお年頃だなあ」

 本人の耳に入れば更に怒られるであろうことを呟き、ただ依里は小首を小さく傾げるのだった。


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