白い手は君にのばされる


「懲りねェな、糸巻依里」
「……」

 いや、どうしてこうなってしまったのか。そして自分は何と運が悪いことなのか。
 全く同じ時間帯、全く同じ場所。相手は違えど同様に呼び出されたとなれば結局同じような事態になるに違いないと読み、適当な理由をつけてそそくさと退場してやろうかと思っていたのに呼び出された相手はそれを許すことはなかった。ならば早く終わってくれと諦め半分で聞く姿勢をとってみれば先日と同様、謎の長ったらしい自己紹介が始まり、そして己の売り込みが続く。覚えるつもりはさらさらないのだがこんな無駄な時間を過ごすならあらかじめ手紙か何かで箇条書きにして書いてくれと強く言いたい気持ちでもある。
 どうしてこう自分を呼び出す相手というものはこういった人間たちばかりなのだろうと絶望半分、どうせフリーだろうとまた言われてしまった事に対してどうせそうですよと言い返したくなる苛立ち半分で聞いている途中、そういえばここにこの前は良き妨害者がいたような…とふと視線を教室の隅に巡らせてみれば当然のように彼が居たではないか。ヒュッと思わず喉から声が漏れ、その動揺が依里を呼び出した相手にも伝わったのか視線を辿ったかと思えばまたもや「ゲッ」と明らかに嫌そうな声を発し、やはりと言うかその男と関わりたくない気持ちの方が圧倒してしまったようで依里の答えを待つこともなく教室から出ていってしまったのである。そこで依里も相手について行く形で逃げることができればよかったのだ、と思った頃には時すでに遅し。

「……また、会ったね」

 何だかんだ都合をつけて出て行けばよかったのだが、やはりその存在に助けられたのは違いなかったので律儀に声をかける程度には依里は真面目な性格をしていたのであった。
 しかしながら、そうしたところで依里はこの件について誰かと関わるつもりは毛頭ない。そう確固とした意志があったにも関わらずこの爆豪勝己という男は大して面白くもなさそうといった顔つきで、手を頭の後ろで組んだままふんぞり返りつつ依里を睨むのであった。ご丁寧にも逃げたところでお前のことは知っているんだぞと言わんばかりに自分の名前を呼びながら。先日は上手く逃げ仰せたと思っていたのにそうはいかなかったらしいと今更ながら失敗していたことに気付きガックリ項垂れると依里はそのまま手前にある机に腰掛けアハハと力なく笑ってみせた。

「呼び出しには応じないと後で怖いんだよ」
「どうせ断ンのにか。随分余裕ぶっかましてんだな」
「……」
「そんなにお前の個性ってのはすげえンか」

 この時、依里が抱いたのは強烈な苛立ちである。もしも当初から一貫していた通り、誰とも関わらないでいようと言った気持ちを持ち続けていたのであれば彼との縁はここまでであったはずであった。しかし感情と言うものは厄介で一度抱いてしまった以上そう簡単に変わることはない。

 何故何も知らぬ男にそう言われなければならないのか。
 何故何も知らぬ男に踏み込まれなければならないのか。

 普段からできるだけ感情任せの行動は慎むようにと言われていたのだがこの時ばかりは怒りが全てを大きく上回った。自分が悪いとは一切思ってもおらず、何なら被害者であると強く感じているが故に。常日頃から冷静にと両親から言われていたのだがそれを忘れる程度に。後にこの時の行動は心の底から悔いることになるのだが、後悔先に立たず。
 無言のままキッと爆豪のことを睨みつけた女はかつて居たのだろうかと思いつつもズンズンと椅子にふんぞり返ったままの爆豪を目指し歩きだした。こちらは少し殺気立っていたはずだがどうせ依里みたいな普通科の女子が何か大それたことなどできないだろうと思っているのか爆豪は身動きひとつすることはない。赤い目は薄らと細められ、ただそれだけだ。自分の行動が見透かされているようでそれが余計苛立たしい。確かに自分は戦うことだってできないし運動だって苦手だ。だけど許されないことは許されない。許さないものは許さないのだ。

 ガタンと音を立て、爆豪の座っている椅子の前へと立つ。
 座りっぱなしの彼を見下ろす形になったが実際立たれた場合はずいぶんと見上げることになるだろうと分かるぐらいの良い体格をしているのがよく分かる。そして頭もまた、そう悪くはないのだろう。ヒーローを目指したこともないので分からないがかなりの倍率を勝ち抜いた優秀な学科生だ、多少なりとも努力した人間であるということも理解できているしその辺りは尊敬すらできる。が、それとこれとは話が別であった。そうして依里は右手を彼に向けて差し出した。

「あ?」
「手、貸して」
「何で俺がンなことしなくちゃなんねェんだ」
「…個性を見せてあげるよ」

 さて、ここに至るまでにいくつかの岐路が存在していた。
 まずは爆豪勝己という人間が1度ならず2度、この教室へと訪れたということ。また依里も同じく期間をそう空けずにこの教室に2度も呼び出されたこと。爆豪が依里のことに対して口を挟んだということ。そして、――依里が怒り、行動に移したということだ。さらに言えばこの依里の言葉に対して爆豪が素直に言うことを聞くか聞かないか、その選択肢によって未来は変わることになったであろう。もっとも最後の岐路については依里も自分の言うことを聞くとは思ってもいなかった。何故こんな見知らぬ人間―もちろん依里のことだ―の言うことを聞いてやらねばならないのだ、とそう思うに違いないと確信していたからだ。それこそ怒ったり、呆れたりするなりして教室から出ていくことも考えていた。…と、これは依里の希望でもあったのだが。

 はたして、依里の予想は見事に裏切られることになる。爆豪勝己はまったく怯えもせず、苛立ちを覚えてもおらぬといった様子ですっと依里に向かって手を出したのだ。よりによって左手を―もちろん本人には他意はなかっただろうが―である。
 依里の予想は外れた。
 爆豪は自分の言うことを聞いてしまった。
 どうせ大したことのない個性だとかそういった思いの上での行動だったのだろうがこうなってしまえば逃げ場はない。言い出しっぺはこちらなのだ。

「……手、触るよ」

 ハア、と息を吐いた後、自分の左手を爆豪の手の上に重ねてみる。大きく、厚い手だ。触れればわかる鍛えられた手。自分とは全然違う、戦う人間の手であった。
 とんでもない人に喧嘩を売ってしまったものだと早くも悔いながら、しかし彼のご所望の通り個性を発揮すべく口を開く。

「これは呪いだよ、爆豪くん」

 結ばれ、絡み合う縁。奇跡と言う者もいれば呪いだと言う人間もいるだろう。依里は少なくとも後者であると思っている。願わくばこの思考をいずれ変えたいとは思っているもののその機会には未だ恵まれていない。
 グッとさらに強く握りしめ、個性を使用する。
 これまでの人生にして数度しか使用したことはなかったのだが個性は自分の生まれ持った力だ、難しいことを考えなくとも失敗することはない。しゅるり、この音を聞くのはまだ数度目であったがこれほど憂鬱になる時間はない。

 自分を見ていた視線がふ、と弱まったなと感じたときには個性は無事に扱えた後である。その証拠に爆豪は意識を失っていたからであった。申し訳ないなと思ったがそれこそが完了の合図。ほんの数秒、人によれば1、2分程度の気絶であるということも知っているので大して依里は驚くこともなくそれを見届けた。投げ出された大きな手を傷付けることのないよう静かに机の上に戻して、一度だけ「ごめん」と小さく呟いて。
 そうして、彼が目を覚ます前にさっさと教室を出たのである。
 己の左手の小指には先程までなかった赤い糸が出現していることを確認しながら。

 恐らくもう少しして目覚めるであろう彼にも同じ位置にそれがあるのだろうと確信しながら。


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