可視の不可避


 たとえばの話だ。女子生徒がやや緊張した様子の男子生徒に呼び出され、人気のない空き教室へと案内されたとあれば大体の人間が愛の告白でもされるのかもしれないと浮き足立つかもしれない。女子生徒側は何を話されるのだろう、と期待すらしてしまうかもしれない。だって、恐らく、きっと、あえて自分を選び、自分を呼び出し、連れていくことには何かしらの意味があるに違いないのだから。間違いなく大事な話であるに違いないのだから。
 しかし、その例え話と同じ状況に陥った少女・依里は違った。少なくとも呼び出された時は陰鬱な表情を浮かべていたし廊下を歩いている最中は足が鉄になったのかと思うほどに重く、さらに空き教室へ入るその瞬間にでも知り合いが自分に声をかけてくれやしないかとどれほど願ったことだろう。そして教室へ入った瞬間始まるソレに、やっぱりかとうなだれるのだった。こればかりはいくら相手がどれだけ顔が良くとも、どれだけ人気があったとしてもその寄越された視線一つで何となく気付いてしまうものなのである。

「だからさ、俺とどう?お前、今フリーなの分かってるし」
「……」

 ずらずらと並び立てられたのは決して歯の浮くような甘い言葉ではない。依里を見初めた、とか依里のことを褒める言葉は一切その口から紡がれることはない。……そうであった方が良かったのかと問われればきっとそれはそれで腹立たしかったのだから結局正しい方法なんて分からなかったのだけど。
 名前、学歴、親、個性。自分を選んだ時のメリット、最低限の情報と長所。何だか面接をしているような気分にもなったが別に彼が特別オカシイ訳ではない。自分に話しかけてくる人間なんて9割がこの関連である。故に高校生だとあっても依里はそういう意味では格別、人を見る力は備わっていたのであった。とはいえ、自分のことを道具として見ているかそうでないかの違いぐらい誰だってわかるものなのだろうが。
 男は依里がそんなことを思っているだなんて気付いてはいなさそうで、まるで依里がそれを受諾するのが当然であるかのような気軽さで話しかけていた。もっともそれは今まで声をかけてきたどの人間もまた同じだったので心の中でため息をついたとしても仕方の無いことだったのかもしれない。

(親がヒーローで、家が資産家で、…か)

 その後なんちゃら財閥と取引があるだとか自身もこれから起業する予定であるだとかそういう話にまで発展していたがこの時既に依里に覚える気も聞く耳も一切なかった。確かに聞いた感じ、相手のステータスは申し分ないだろう。至って一般家系出の依里にとっては雲の上の存在とでも言っても過言ではなく、彼と話す機会なんて滅多になかったに違いない。しかし、そうではない。求めているのはそうではないのだ。

「お断りします」
「…はあ?」
「結構です、と言っているんです」

 格下の人間に対し親身になって話しかけてやっているのに、自分の話をさえぎり、あまつさえ断る。それはプライドが高い人間には非常に不愉快な行為であると依里は重々理解している。分かった上でそうしていた。
 もちろん依里にとって相手は今さっき初めて話しかけられた、知らない人間である。こちらも少し失礼だったかもしれないが、それはお互い様ではないか。普通に考えれば依里の選択は極めて当然だと言うのにまるで意外だと目を丸くしているその姿は正直笑えてしまう。がそんな事をしてしまえば最後、自分がどうなるかということもまた分かっているので依里はただただ相手の事を見据えていた。お断りします、と心の中で5、6回ほど唱えながらだ。

「こ…ンのっ!」

 力が無いものとはこういう時に不遇である。ならば鍛えればよかったではないかと常々思いはしているのだが身体能力も勉学も並の人間には努力しても限界があった。
 断られるとは思ってもいなかったのだろうが相手の笑顔がぴしりと固まる様子を見てああ、またやってしまったと他人事のように考えた。それから、湧いて出る悪意に眉根を寄せ。確実に受け入れられるとでも思い込んでいたのか握手を求めるよう伸ばされた左手がグッと堅く握られ、人を傷つける手段へと変わっていくさまを依里は見た。殴られて終わるだけならまだ良い。そうではないということもまた、自分は知っているので。

「下手に出りゃいい気になりやがって」
「……るせェな」

 しかし、緊張の時間は数秒で終わることになる。その代わり空き教室にはもっと温度の冷える事になったのだが。
 無人かと思われたその教室には先客が居たのである。椅子をいくつか並べ寝そべっていたので気が付かなかったのだろう。そういった能力には優れていない依里はともかく自分を連れてきた男はその程度にも気づかなかったのか、それとも依里の事で頭がいっぱいになって居たのか。やがて不機嫌な声を出した相手はむくりと身体を起こし、その姿を現す。
 残念ながら、その人物に見覚えは確かにあった。そうしてまたこの目の前の男もそうだったのだろう、「ゲッ」と明らかに嫌そうな声を漏らし相手を睨みつけた。

(……爆豪、勝己)

 ヒーロー科の人間が何故ここに、と言う気持ち半分、近付くことは避けた方がいいと打算的な男は思ったのだろうか。目を据わらせ依里を睨む目は今まで話しかけていた時と様子は寧ろ正反対ではあったがそれこそが本性なのだろう。
 結果的に男はこの状況を不利と見たようだった。依里のことを凄まじい形相で睨んだかと思うと、教室のドアを開け放ちバシンと大きな音をたててまた閉じられる。八つ当たられた不運なドアを見ながら助かったと思う反面、以降背を気にしなければ夜道で刺されそうだなと苦笑いしつつ、後ろを振り返った。
 どうにもならないかと諦めていたけれどどうにかなった。もっとも本人は騒音に苛立って声を掛けてきただけで特に何も考えていなかっただろうが確かに助かったのだ。訝しげな表情を浮かべる爆豪とはもちろん初対面であり誰だお前とその目が言っていた。

「お前、何モンだ」
「…え」
「普通じゃねーだろ今の」

 ヒーロー科の人間なのにちっともヒーローらしからぬ目付きと言ったところだろう。間違いなく人を目で殺す能力だって持っているに違いない。たじろぎ、逃げようとしてもまさに蛇に睨まれた蛙とはこのことで、目線を合わせながら一歩一歩ゆっくり後ろへ歩み寄る。
 ああ、しかし聞かれてしまったのか。出来るだけ周りにはこう言ったことがわからないように徹底はしていたのだが。ちらりと視線を落とし、自分の左手を少しだけ見た後、依里はそのままヘラリと笑みを浮かべてみせる。

「君には関係ない」
「あ?」

 その反応は妥当といったところだろう。質問に答えることもなく拒絶されてしまえば相手が不快になるのは分かる。だがしかし、これもまた依里の狙いだった。人が好ましいと感じるより不愉快だと感じる態度を敢えて取るのは正直自分も好きではないのだが、こうでもしなければ後々厄介なことが起きる。喧嘩を売っているのではない。これでも自衛しているつもりなのだ。とはいえ同い年だと言うのにこの気迫。住んでいる世界が違うのだと改めて思わずにはいられない。
 だけどこの空気に飲まれてしまうわけにはいかないのだ。平穏な生活を続けるためにもそれはどうしても必要な、最低限の勇気だった。

「彼は私の個性に興味があった。それだけだよ」
「…」
「でも君のおかげで助かった。邪魔してくれてありがとう、バクゴウくん」

 言った。言い切った。
 相手は自分の言葉の意味が理解出来ていないだろう。だから動かれる前に、その意図を問われる前にと依里はそのまま扉を開き全力疾走でその場から退散したのであった。そして依里の後押しをするかのように丁度タイミングよく鳴るチャイム。

(助かった……!)

 教室に入りようやく息をついた依里は気付くこともなかった。爆豪勝己というその男の異常なほどの身体能力を。安堵し、いつもの日常に溶け込む彼女の事をジッと射殺さんとばかりに睨みつけていたことを。


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