秘密のままで教えてほしい


「俺に何しやがった」

 思ったよりも、と言えば本人に失礼なのだろうが、これは文字通りなので仕方がない。般若のような顔をしてやってくるかと思えば今回はいつもと同じような、確かに仏頂面ではあるのだがこれはまあ言うなれば普段通りの表情で依里を呼び出した爆豪は、これまたいつものように依里の歩幅を気にすることなくずんずんと先に進み、共に空き教室へと移動した。もはや恒例行事。他の生徒達にとっても見慣れた光景になってしまったのか誰一人騒ぐ様子すらない。あとから囃し立ててくるような生徒もいないので助かっているのだが。
 ちなみに初めて呼び出された日から変わったことといえば依里のいる教室から空き教室までの移動中、逃げれると思うなよと言わんばかりに時々鋭い眼差しでこちらを振り向くことがなくなったことだろうか。信じられていると言うよりは逃げられるはずがないと確信している方に近いのだと思う。身体能力は至って一般人の依里が逃れられることなど万に一つも有り得ないのは確かなのだから。
 ともかく通常運転である爆豪はいつもと変わらない様子のまま依里にそう問うた。そんな風に聞かれたのは自分の個性を彼にかけた時以来だろうか。

(懐かしいなあ…)

 あの時にはすでに個性を解く覚悟はしていたのにいつの間にやら最長記録だ。売り言葉に買い言葉、個性を使ってみろと煽られ実際実行してしまった身としては後悔した一日だったのだが、結果的にまさかこんなに長く相手してもらう人物が現れると思ってもみなかったし、さらに言えばこの個性の恩恵を受けることを厭っているだなんて夢のようである。
 現在、依里の周りは平穏だ。自分の手を見ればすぐに分かることだが、すでに契約した相手がいるのだと他者に理解されており、一切の手出しをされずにいる。これまで自分と契約しようとする人間がこぞって恵まれた立場の人間であったことから牽制し合い、探りあっているというところなのかもしれない。何にせよ現状、依里に直接話しかけてくることもないので結果的には対価なく身を守られているだけの状態というわけだ。
 この関係だけを見れば爆豪は聖人のようなものなのであるが、おそらく本人にそのような意図はない。人の助力を得て幸せになることを望んでいないだけなのである。他人の力など借りたくないだけなのである。そういうことは彼と出会ってから十分に理解したつもりの依里はできるだけ彼を怒らせることのないよう慎重に言葉を選ぶ。

「…あの、怒らずに聞いて欲しいんだけど」
「あ゛?」
「分からないの」
「……ああ!?」

 怒ってる。非常に、怒っている。大失敗である。
 この言い方も適切ではなかったようだ。目の前で着々と怒りを募らせている男をどう落ち着かせようかと依里は冷静に考えてみるのだが如何せん適切な言葉が見つからずに二の句を次げずにいる。

 本当に、分からないのだ。

 なぜ自分しか触れないはずの個性が爆豪にも触れるようになったのか。何かきっかけがあったのか。もしかして個性に何か異常をきたしてしまっているのか。その何もかもが分からない。理解していたつもりなのに自分の個性の事ながら分からなくなってしまったのだ。
 個性で作り上げた糸を互いに引っ張りあうことはできなかった、と言うのが依里がこれまで生きてきた十数年間で得た体験であり情報である。正解かどうかは誰も教えてくれないので分からない。あくまで経験則だ。
 個性の持ち主側である依里はこれを解除する時に相手の糸にも触れる必要がある。なのでその糸に触れられるのは当然なのだが、かけられた側である爆豪はそうではない。本人からすれば自分の指に巻きついてある赤い糸を見ることだけはできるのに実際は触ることができないし、さらに言えば他の人間にも見ることはできないというヘンテコな代物。そういう風に思っていたはずなのだ。これまでの相手だって大なり小なり似たような感想をぶつけてきたのでそう言うものだと思っていたのだ、が。
 しかし、現に彼は今、目の前で怒りながらこれをピッと引っ張ってくるのである。どういうことなんだ、と怒りながら。教えてほしいのは依里の方なのに。弛んだ糸がピンと張り、依里の指先に振動が走る。依里も引っ張ってみるとやはり爆豪の指に巻き付いた糸がクイッと引っ張られる形になり「遊ぶんじゃねえ」と怒られてしまった。実際目の前にしてみると不思議なので、せっかくだからもう少し試してみたいと思ったのに。

「こんな風に爆豪くんが触れられることは、考えてもみなかったの」
「……お前の仕業じゃねえんか」
「違うよ!…いや、私の個性だから私の仕業といえばそうなるんだけど」

 言い淀む。
 そう、だってこれは依里の個性の話だ。自身の個性を把握し、使いこなし、ヒーロー科に入学している爆豪には理解できないことかもしれない。―――なぜ、自分の個性なのに知らないのか、と。
 個性を見せてあげるよと豪語した結果がこれなら何と情けないことか。
 そう、依里は今まさに困惑し、混乱し、それから少しだけ自己嫌悪に陥っている最中だった。しかしそれは爆豪の質問に答えていないことになると言うのはよくよく分かっているので一旦切り替え、自身の考えを述べる。

「……長い間、組んでたらそうなる仕組みだったのかもしれない」

 理由は分からないままではあるが、長期による糸の変化かもしれないという仮定を立てるしか方法はあるまい。
 そもそも爆豪と組む期間はこれまで掛けてきた誰よりも長く、また、糸を結んでいる最中にも彼と会うことは多かった。さらに最近では幸運を分け与えたりすることはなかったが最初の方は積極的に細々とした運を贈っていたという実績もある。結果、依里の個性が少し変質化したのではないだろうか。もしくは、本来そういう個性であったのだがそれまでに個性解除することになっていて気付くことができなかったのか、だ。

「これまでそういうことはなかったんか」
「爆豪くんとが一番長いんだよね……ごめんね、分からなくて」

 長期の契約者といえば依里が継いだ母の相手である父親にあたるが、彼は糸を触れていただろうか。あまり気にしていない様子だったことぐらいしか覚えてはいないがこんな風に触れ合うことはできていたのだろうか。最近は仕事が忙しくあまり会えていないのだがこれは確認する必要があるだろう。
 爆豪は依里の返答をどうとらえたのだろうか。誠実であるために自分にとって不都合なことでも答えるつもりにはしていたのに、答えられない自分が不甲斐ない。誠実さが足りないと思われたくはないのに今の状況はどうしようもない。

「分かったら直ぐに教えろ」
「え、」
「いいな!?」
「あ、うん。……わかった」

 到底納得できる答えではないのだが、現状はそこで話題が止まることを許されたらしい。特に責められるでもなくやや強引に依里から是の言葉を引き出すと爆豪はこれまたいつものようにさっさと空き教室から去っていくのであった。後ろ姿からはそう怒りを感じられなかったのが不幸中の幸いか。
 助かったといえば助かったのだが、本当に、彼のことは分からない。
 やはりいつものように残された依里はどうしたものだかと肩をすくめるのである。


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