はてさて君の憂鬱よ


 指に違和感を抱いたのはそれから数日経ってからだった。
 最近はすっかり見慣れてしまった、自分の小指にきっちりと結ばれる赤い糸。役所に届けられた個性名も見た目の通り『糸』。周囲からは祝福とも呼ばれる一方で本人には呪いとも称されるその個性の正体は、結んだ相手との運の共有という一風変わったものとなる。その割合は個性の持ち主である依里が一方的に決めることができて、例えば爆豪が是とすれば彼の今後は豪運が約束されることだろう。代わりに依里が不幸の日々を送ることにはなる。その逆も然りであり、ちなみに数値化等はできないのでその割合を決めたとしてふんわりと曖昧なものとなる。そんな個性だ。
 だが恐らく彼と個性を結んでいる限り、そのような日は来ないのだろうなと思う。根拠はないが、やはり爆豪と過ごしてきた日々がそう思わせるのだ。彼とならば契約が結ばれている限りこの平穏が続くのだろう、と。本来どういう使い道をすれば幸せになれるのか依里は未だによく分かってはいない。相手のことを考えるのであれば多少は奉仕するべきではないかとも思ってはいるのだが、如何せん現状は相手がそれを断固お断り状態。何ならちょっと弄ればすぐに察せられ怒られる未来さえ見える。
 まったくもって、ありがたい話である。
 まさに願ったり叶ったり。向こうが本心ではどう思っているのかは定かではないが、こんな日々が続けばいいのに、と思ってしまうのも仕方の無い話なのだ。

 そんな風に思っていた昼下がり。
 クイッと小指が引っ張られたような感覚に陥ったのは特に何かがあったわけでもない、至っていつも通りの授業中である。

(……ん?)

 最初は気のせいかとその感覚を無視したのには特段意味はない。ちょっと疲れているせいで引きつったかのように感じたのだと思い込むのは至極当然のことである。なにしろ皆は授業についていくので精いっぱいであり、ここは緩く見えても進学校。たまに生徒同士が私語をすることはあれども他人にちょっかいをかけるような者はそう居ない。まして真面目だと評価される依里へ授業中に話しかけてくる猛者はこのクラスには居ないはずである。
 だが、これは確実に何かがおかしい。指を引っ張られる感覚は未だにあり、さらにそれが二度三度続くせいで流石に気のせいではないのではないかと意識を黒板から手元へと移す。

 そっと視線を落としてみる。

 いつもと変わりのない、特に目立った傷もない左手。その小指には爆豪と個性を結んだ結果、誰の目でも見えるようになった赤い糸が括り付けられていた。小指に二重三重に巻き付いたそれは十数センチほど伸びて、そこから先は見えなくなっている。これが個性を結んだ際に現れる現象だ。
 ちなみにそこから先、誰に繋がっているかは他者は当然、依里にですら肉眼で見ることはできない。現在個性を結んでいる相手は爆豪なので爆豪の左手の小指を見て改めて認識できるというわけだ。もっとも彼の方に巻き付いた糸は依里と本人である爆豪にしか見えてはいないし、さらに依里と爆豪が隣にいたとして繋がっているようには見えない。また、爆豪にはその糸を触ることすら出来ない。なのでこの個性を使って攻撃だとか、逆にあやとりのような手遊びも出来ないようになっているのである。

 ともかく、依里が知る己の個性の特質はそんなものだ。
 かつて一度結んだ相手の不幸を願ったこともあるが、その時に感じた小指の締め付けは自身の後悔やら罪悪感からだったかもしれず、しかもその一度きり。それ以外、痛みも何もかも感じたことはなかった。個性自体見えるものの誰かが触れられるわけではないのである。

 ならば、これは何なのだろうか。

 この引っ張られるような感覚はまるで実際誰かに触られているようにも思えるのだ。不規則なタイミングで、さらに若干の強弱も感じられるような気がする。

「……」

 もしかして爆豪の身に何かが起こったのではないだろうか。そんな考えにたどり着くのも当然のことと言えよう。
 かつて誰かと個性を結んだ経験は過去数度あるが、どれも自分に被害が及んだことはあれど対象者になにか不幸事が起きたことはなかったはずだ。それにあの時のような嫌な感覚はしない。もちろんそれを察せられるような特別な何かを持っているわけでもないのでただの勘としか言いようがないのだが…。
 試しに自分の小指に巻かれた糸に触れてみる。
 触ることは可能なのだが如何せん依里の場合は個性の持ち主の方だ。自分が望んでこの糸をほどけばもちろんこの関係は一瞬で終わってしまう。爆豪側にくくり付けられた紐もほどけ、床に落ち、やがて見えなくなってしまうことだろう。そんな糸は未だ頼りなげに、しかしきっちりと巻かれたままだった。触れる糸の感覚はある。爆豪側は触れられもしないので揺れ動いたのが見えたとしても違和感しかないだろうが依里にとってはこれが自身の能力だ。うっかりほどいてしまわないように結び目には触れず、糸を握る。

(別に、いつもと同じ…だよね)

 変わらない、はずだった。生活を送る上で違和感を持つでもないほどの、敢えて言うのなら華奢な指輪をつけたぐらいの装着感はある。あとは糸の色が赤いせいで何をするにも視界に入りやすいことはあるが指輪よりは断然細かいものだしそんなに気になることはない。
 ちょうどそのタイミングでまた糸が引かれるような感覚が一度、二度。今回は少し強めだった。間違いなく自身の力とは別に、小指が動かされている。それなのに、やはり嫌な感じがしないのは何故だろう…なんてあまり深く考えることはなく、依里はなんとなく、といった気持ちで同じ回数分引っ張ってみた。

 一度、二度。

 しばらくして、今度は三度引っ張られることとなる。

「あ、」
「糸巻? 体調でも悪いのか?」
「…すいません、なんでもないです」

 授業中であることを忘れ、うっかり声を出してしまった。すぐさま気付いた教師に謝るとまた授業へと戻っていく。
 三度、四度。四度、五度。
 だんだん回数が増えていき、それはまるで秘密のやり取り。それが互いに七回目の引っ張り合いになったあと、その後ぴたりと止まる。……止まりはしたのだが。

(これは放課後、来るだろうなぁ…)

 その時はしっかりと言ってやろう。これは私の個性だけど私のせいじゃないんだよ、と。
 間違いなく放課後、爆豪がやってくる。怒鳴り散らすだろうか。それとも自分に何をしたのかと問うてくるのだろうか。もちろん依里にも分からないことなので答えようはないのだが、それでもこの糸を引っ張った相手が爆豪であると何となくわかってしまった以上、そこまで恐ろしいという感情はない。むしろどんな顔でやってくるのか不安と困惑が半分ずつ、そして楽しみなのが少し含まれている分だけ厄介だと言えよう。
 向こうには伝わらぬよう糸をたゆませながら、依里はひっそりと口元を歪ませた。


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