その日、骸さんのご機嫌は私が出会ってからのこの1ヶ月の中で一番悪かった。

 話している分にはあまり感じさせないような雰囲気を醸し出しながら、それでいてピリピリとしているものだから尚更始末が悪い。一人にして欲しいのかとお昼休みに会いに行かなかったら夕方にはゲッソリした犬くんが救いを求めるかのように私の教室までお迎えに来る有様で、私は隠すことなく盛大にため息をついた。チョコレートケーキを片手にやって来るのは流石にずるいと思わない?

「ろうしたらいいと思います?」
「うーん‥‥」
「ユウ、ちょっと骸さんと手合わせとかしてくれびょん」
「嫌よ!手加減はしてくれるかもしれないけれどあんな状態で小突かれたら私の清やかな身体が穴だらけじゃない!」
「――――嗚呼、」

 今この時ほど犬くんのほっぺたをびよーんってしてやろうと思わなかったことはない。
 どうして彼はここまで気配を隠すのが上手いのかしら。いえそもそも教室で待っていればいいものをどうして此処に。犬くんと話しながら階段を上っていた私はその声にぎくりと身体を強ばらせて見上げると、

「それは楽しそうなアイデアですね」

 ねぇ、犬。
 とてもとてもご機嫌そうなその声に抗える犬くんではなく、それでもってその声に含まれた意図に何も気がつかない頭の弱さが私にはとてもとても羨ましく思った。…あんたも何嬉しそうにハイ!って頷いてるのよ。削れるのは私だっていうのに!

 最後の頼みだ。骸さんの後ろに控える千種くんにどうにかして欲しいと目線で合図するとその場で私から目を逸らし、何と彼は手を合わせたのだ。

 ( ご 愁 傷 様 ! )



 とは言うものの、手合わせをするのが反対なのではなくむしろ私としては大歓迎な訳だ。だって敵を知るにはやっぱりこうやって戦ってしまうのが一番だもの。
 流石に校内でナイフを振り回したりして器物損壊するのは私の趣味ではないし、何と言ってもここは真人くんがどんな手段を用いても守りたかった場所だし私としても変わり果てたとは言えここで戦闘を行うほど野暮ではない。それは流石に骸さんにも理解してもらえたのか、場所を移してもらえたのが…此処、彼らが根城にしているという黒曜ヘルシーランド。

 何処かで見たことのあるようなそんな感覚に陥って辺りを見回すと私の記憶のほんの片鱗に引っかかるところがあった。ただ、当時一緒に来ていた人とここを訪れることはもう出来ないのだけれど。

「ここ、電気とかつくの?」

 荒廃した建物の中は、やっぱりお世辞でも綺麗なところとは言い難く。案内された通路通りに歩いてもかつてここが栄えていた時の残骸しか見つかることもなく、彼らの生活感というものはまったく感じられることもなかった。
 「当たり前らろ!」といつもの舌っ足らずな様子で犬くんが返事をする。申し訳ないけど私だって一応は女の身であるし、今まで一緒に生きてきた住処だって綺麗なお屋敷だったもので…何というかとても野性味溢れる人達なのねと少しだけ感心した。そんな私の疑問に答え、犬くんは嬉しそうに電気のスイッチをカチカチと動かす。どうやら水道、電気の類は調達できているらしい。

「そんな小さいナイフで良いんれすか?」
「うーん、まさか日本に戻ってきて武器を使用するとは思わなかったからなあ。有り合わせで用意はしたんだけど」
「‥普段は何を使ってるの」
「もう少し刃渡りのあるナイフよ。特注で高いから置いてきちゃった」

 犬くん千種くんと雑談を交えながら背後で物憂げに座る骸さんを一瞥。果たして本当に手合わせをしてくれるのかと思いきやその手にはしっかりと例の武器が握られていて、今日は流血も免れないかもしれないわねと自分の悪運を嘆いた。

 正直な話、骸さんの力というものは一切が不明。
 勿論、あの犬くんや千種くんが崇拝しているぐらいなのだから強いというのは間違いないだろうけども彼ら2人なら私は互角以上に戦う自信だってあるけれど私の一番謎で、恐れているところはそこじゃない。

 ――…ランチア。

 私の、拠り所だった人。恐らく当時の私と同じぐらいの年齢で、あの彼を自身が愛していたファミリーに対して攻撃させるように仕向けた何かを持っている事だけが怖くて仕方ない。
 それが何か特殊な力なのかもしれないし、ただの話術だったのかもしれない。今、未知のものが自分の前にいる恐怖と私は戦わなくちゃならない。

「さて、」

 準備はよろしいですか?
 ナイフを構えながら私はぼんやりとこの人と会った日のことを思い出していた。


『支配者をも飼ってやろうじゃないの』


 ……果たして、私はそれが可能なのかしら?

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