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 ユウの異変に気付いたのはコンラードの方が先で、行動に移したのは骸が先だった。
骸にとっては全てが予測不能の事であり、コンラードにとっては全て己が仕組んであることなのだから当然だろう。
 その、漏れ出る悲鳴に近い声を聞いたことがあるのかないのか。2人の差はそれだった。素早く距離をとる骸と、その場に立ち尽くす研究者。
力のなかった赤の瞳が輝きを取り戻しつつあり、彼女が自分の意思で動いたのがわかる。ユウの中でなにか変化が起きているのだ。

 馬鹿な。男は見るからに狼狽えていた。

「Morte frettolosaだと…ばかな!自分の意思でそれを体内に精製できるほど綿密な幻術が」
「余程僕達のことが嫌いみたいですねえ」

 その成分の詳細はわからないが人を殺す為に作られた劇薬を己の中に作り出す。確かにこれは厄介な力だ。彼女さえいればその薬をわざわざ作らなくて済むのだから。

 手合わせの時に垣間見た、戦闘を楽しむ化物がまさに今、本来の形で目の前にいた。
どうやら幻覚を使えるらしいユウは昔から馴染みのあるMorte frettolosaをその口内に精製し搾取したらしい。
 初めてならば上手く行かなかっただろうが、幻覚により身近なものを有幻覚とする術は覚えがあるだろう。一度きりのあれで会得するとは術士としての才も限りない。今はまだ未熟だとしても恐ろしい力だ。

 楽しげに細められる双眸、ぺろりと唇を舐めるその舌は艶めかしく対峙している今でも無意識にごくりと喉が鳴る。いつかの彼女を思い出すその様。
 もしかすると無意識に、あの幼き日も似通った力を使ったのかもしれない。

「ユウ、君は本当に素晴らしいよ」

 彼は興奮していた。だから、だろう。
 楽しげに近寄るコンラードに笑みを浮かべるユウの異変に、気が付かなかったのは。

 ――――ザンッ!

「……は」

 伸ばされた指は、ころりと音を立て床に転がっていく。カツン、と硬い音が鳴りその指に嵌められていた指輪は闇の向こうへと消えた。

「……ユウ。君は僕に牙をむくんだね」

 返事はない。
 先ほどから一声たりとも発声していないユウは未だ彼による支配下から抜けきれていないのだろう。それでも己の内に眠る術士としての力を発揮し骸には手を出さず親であり主である彼に武器を向けた。
 ――奪還は可能かと思えた。全くもって、予想のできない娘だ。無意識に口端があがる。
 それとは対照的に刃を向けられたコンラードは飛ばされた指輪の方を向いてそう、と小さく呟いた。

 とても冷えた声だった。

「じゃあお前はもういらないね」

 白衣から何かキラリと輝くものがユウに向けられた。注射器だと分かったがそれを弾くほど彼女に残された力は無い。その白い細腕に何を注入されたか分からないが、ユウの瞳が再び力をなくしていくことだけはわかった。
 声を出すこともなくカクン、と膝をつく彼女を見届けると黒髪を引っ掴み無理やり骸と目を合わさせた。再び濁りゆく彼女の瞳はそれでも薬の仕様なのか破壊すべきターゲットを捕捉したことを確認すると手を離すとユウはゆらりと力なく立ち上がった。
 簡易版のマインドコントロールだよと男は笑う。

「瞳の子。君ともここまでだ。またいつか会おう」
「待てっ!」
「化物と化物の戦闘を見届けられないことは残念だけど、死体は回収しにくるよ」

 Morte frettolosaの液を混ぜておいたからさ。
 笑い声と共に去り行く気配を追いかける術はなく、残されたのは疲弊した骸と、彼女の2人。この場を脱したのは傷付けられたことにより自分の身が惜しくなったのか、はたまたこれから死闘が予想されたからこその脱出なのか骸には想像もつかなかった。

 それでも、追いかけるほどの余力はない。彼らを逃してしまったが目前に迫る問題はあとひとつ。目の前の彼女を、救うこと。
 ピリピリと身が引き締まるような殺意が向けられているがユウに動く気配がない。自分の身を抑制しているようにも見えるし身体が限界を迎えているようにも見える。どちらにせよ、この場は早く治めなければユウが危険だ。

「…ユウ、聞こえますか」

 骸自身も術士だ、マインドコントロールなのであればそれを解く方法は知っている。
 ただ、彼女の望む言葉を言い当てればいいのだ。心を揺さぶる言葉を、手段を骸は知っていた。

「辛かったでしょう、ユウ」

 濁った瞳は、骸を映し出しているのだろうか。

「君を不幸にさせた元凶は僕です。分かりますね、悪夢から目覚める方法を」

 誘導する自分の声は震えてはいないだろうか。
 ユウがいやいやと力なく首を振る辺り、彼女の意識はもうすぐそこまで浮上しているのだろうか。
 その小さく震える刃先に込められているものは、5年の恨み。
 
 この手だけはあまり使いたくなかったが、仕方ありませんねえ。苦く笑いながら骸はゆうへと声をかける。彼女に再び出会い、手放さなかった指輪を持ち帰るよう暗示をかけた時に覚悟はできていた。
 なのに彼女は未だコンラードの呪縛から解き放たれないでいる。そのきっかけは何だ。彼を殺すことか、自分が死ぬことか。…それとも両方か。

「君の母親の今際の際に、受け取ったものです。お返ししましょう」

 彼女の目の前に落とすそれの、意味を知らないほど愚かな子供ではないだろう。5年前その役割を果たしたのはランチアだったが。
 見開いたユウの赤い瞳は怯えと、そして怒りがこめられていた。口を開けば声ならぬ声。

「―――ッ!」

 さあ、夢から醒める時ですよ。愛しい娘。

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