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 ユウの意識は、混濁していた。
 ゆっくりと何かが溶け合う音。かちり、かちりと何かが噛み合う音。不快なような、心地いいような。違和感があった己の中に、ぽっかりと開いたところに何かが嵌るように欠けていた半身が戻ってきている。そういう感覚に近い。

『見なくてもいい世界がある』

 それはランチアの声。
 彼は自分を危険な目に合わさないために守ろうとしてくれていた。

『君は何も出来ない、無力な子供だ』

 それは、…幼い骸の声。
 何かを決断した、ユウのような何も苦労を知らず生きてきた子供では決して出し得ない強い意志をもっていた。

『…なら、無様に這い蹲って生きるがいい!』

 それはただ泣き叫ぶ自分に対して告げられた骸の言葉。
 眼帯をした彼の、青色の瞳は激高していたというのに何故か不安げに揺れていた。

 ひたすら流れるたくさんの映像。
 過去の映像と、休みなく自分の意志とは関係の無いところから流されるコンラードによって見せられている実験の映像。増え続ける沢山の、子供の死体。ユウを追い込むように、延々と終わることなく。

 ――忘れていた訳では無い。
 親を殺されたあまりの衝撃に脳が悲鳴をあげ、そして記憶が混乱しているところにタイミング悪くMorte frettolosaを飲んだ事により完全に意識の下へ下へと追いやられた記憶。それを忘れるものかと、怒りを蓄積した結果今ユウ自身の身体を動かしている何かがいるのだろう。

 不思議と落ち着いていた。自分の身体を動かしているものは自分ではない、自分。守ってきてくれていた、もうひとつの自分なのだから。

 チリン、と音が鳴る。
 どこか水底に漂っているかのようなそんな感覚。身体を動かすのも億劫で、でも心地いい。このままここで、いずれ溶けて。そう思っていたのに聞き慣れたその音を頼りに、意識がゆっくりと浮上する。

『ごめんなさい、忘れていて。あなたは私なのに、あなたばかり負担をかけさせていたのね』

 呟くようにして声をかける。それはユウの中にだけ響くものであり、口をついて彼らに聞こえることはない。
 ただユウの身体を動かしているものはそれだけで大きく揺らいだ。


「おや、驚いた。意識はとっくに殺したと思ったのにまだ生きているのか。これは興味深い」
「…何を」
「この子はね、瞳の子。5年前のあのショックに脳が耐えきれず、恨みと絶望を切り離したんだよ。君を忘れたのではないんだ、その絶望側がよーく覚えているからね。
そして、今表面に出てきているのは絶望側。彼女を守るために彼女の中から現れた、それでいて僕の言うことを聞く道具だ」


 もう混乱することはない。
 自分の後ろにいる男は自分の父親ではない。それを知っただけでユウの中では安堵と、それから力が湧いてくるのを感じた。
 自分の父親は、既に死んでいるのだ。


「でも大丈夫。もうすぐ彼女の意識はゆっくりと一つに戻り、そうすれば最強の僕の人形になるんだ。今まで表に出ていた彼女の意識は弱っているからね、これで僕の言うことを聞くマシーンの出来上がりさ」

『もう忘れないから。あなたはゆっくり、休みなさい』

 依然としてユウ自身に、ユウの身体を返すつもりはないらしい。
 彼女を長年守ってきたはずのもう一つの小さな意識は今、コンラードの命令に従っている。それでも本来の身体の主か、もう一つの意識である彼女にとっての父親の命を聞くか迷っているのもわかった。
 自分自身のことだ、会話はない。相手からの応答もない。それでも、分かる。だからユウはゆっくりと話しかける。

『私はもう迷わない』

 湧き上がる力は今まで自分になかったものも含まれていた。
 幻術の類は一切使えないと何故かよく言い聞かせるようにマーモンが言っていた理由が分かった気がする。
 力があってもそれを何に使うかによっていとも容易く壊れてしまうのだ。彼は復讐と、恨みに満ちたあの時にユウがその力を使えばどうなるかわかっていたのだろうか。

 考えれば考えるほど、自分はたくさんの人に守られて生きてきた。ありがとう、と心の中で呟くとゆっくりと力を開放する。

 ――思い描くは、記憶を封じてしまったあの日のあの夜。
 思い返すは、それからの日々。

 自分が自分であるために、立ち上がらなくては。
 以前の骸との手合わせの時、手に現れたナイフと薬の感覚を強く思い描く。小さなものでいい、欠片でもいい。

 その薬はユウを強くさせる、慌ただしい死。



『死を恐れるな。我々に危害を成すものを殲滅せよ』

 戦士として生きる為の一歩を踏み出した、彼の声で再生されるそれ。
 銀髪の彼にはまだまだ教えてもらわなければならないことがある。


『君の憂いは僕達が取り除くよ』

 いつまでも守られる側ではいられないと誓ったではないか。

『感情を昂らせても、己の中に収縮せよ』

 お前は、その程度か。
 こんなところで終わらせいいのか。


『君を守れなければ、僕にその刃を突き立てなさい』

 敵であるはずなのにそんな約束をさせ、目の前にいる三叉の槍を掴む彼は誰の為に血を流しているというのだ。



 まだ、やり残したことが沢山あるのだ。

 己の喉下に現れる、幻術により作り出されたMorte frettolosaの欠片。
 これは幻術、ただの幻術。骸によって思い描かれたそれよりも、尚本物により近い。けれどそれは、幻の。道を切り開くための。

「っうぐ、ぁ」

 漏れる声とは呼べない音と共に、解放される力。
 己の意識が水底から強く前面に押し出されたのと同時に、長年自分の中にあった小さなもう一つの意識が安心したかのように徐々に小さくなっていき、やがて霧散した。

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