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「…意外に、せっかちな人なのね」
「照れます」
「褒めてないわ」
2度目の夢の逢瀬はその日の夜、私の就寝時だった。
ベルもマーモンも出て行ってしまったから夜はボスと2人で食事をして、お酌をして少々私もお酒をもらって。そして朝と同様変わらずにフラフラと部屋に帰ってきたというそんな情けない訳。
私にもっと色気があれば、熱っぽさにボスの身体にしなだれかかって夜の誘惑だなんて出来たかもしれないけれど残念な事にお酒を飲んで気持ち悪くなって嘔吐しかけてボスに失笑されるという醜態を晒したわ。ああ、死にたい。一応女の身体なんだからそういう技も身につけておくべきでしょうかとボスに聞いたら「お前に出来るわけねーだろ」の一蹴。悲しい。
「…飲酒、ですか」
「ここはイタリアよ。何か文句でもあるの?」
「いえ、そういうつもりでは」
「ならばよろしい」
幸か不幸か、夢の中までは流石に身体の気持ち悪さを持ち込まずに済んだけれど気分がハイになっているのは否めない。相変わらず広大な自然の夢を前に寝転がる私と、その隣で座る骸さん。いやはや眼福眼福。
「ふー、でも良かった。ボスと2人で雑談って意外と緊張するからこれはこれで落ち着くわね」
「…ほう」
「あ、でもね、ボスに強くなったって褒められて嬉しかったなあ…それと今朝はスクアーロにも勝てたし、ベルからは相変わらず厳しい言葉をもらったけど。ねえ骸さん、日本に帰ったら槍の使い方教、」
こうやって誰かに私の自慢の人達を話すことはとても楽しい。本当は彼にだって話しちゃいけないんだろうけど名前ぐらいだったらどうせ皆聞き覚えもあるだろうし別にいいかなあって。そんなことを思いながらベラベラと話していると不意に此方を見てきて、何事かと彼を見返し口を噤んだ。
その一瞬だけ、手合わせの時に感じた冷えた視線を受けて身体がゾクリと強ばる。反射的に距離をとろうと身を起こそうとすれば骸さんの大きな手に腕を取られてしまって。
「あまり」
「っ」
近付く骸さんの身体に驚き身体を堅くしているとさらりとインディゴの髪が私の頬にかかる。耳元で呟かれるその深い声はいつもより少し低めで、そして擽ったい。鼓膜が震えて身体が思わず跳ねた。夢だというのに何ってリアルなのだろう。
「あまり、僕を妬かせないでください」
「…むく、」
「言った筈ですよ。君は、僕のものだと」
離れ際、耳朶に柔らかいものが押し付けられた。
それが彼の唇だってことはそこに目がなくなってすぐわかって、突然の事に顔が赤くなってしまうのが自分でも分かる。クフフといつものように笑う彼の表情はあくまで楽しそうで、からかわれていることに気付く。
「初心な反応の君も可愛いですね」
「…この場にナイフが無いことを感謝してなさい」
怖い怖いと微笑む骸さんに大した攻撃にならないと分かってハァとため息。この人にはどうにも勝てる気がしない。本心も悟らせない、何を考えているのかも分かりはしない。幻術使いって人は大体こんな感じなのかしら。
それに、と私は彼の言葉の中で一番腑に落ちない言葉を頭の中で反復しながら決して悟られないようにして思う。
―――妬くだなんてそんな感情、彼の中にあるわけがないじゃないと。
根拠なんてなく、本当に何となくそう思ったけれど口にはしなかった。
だって、今の状況でそんなことをいったら私がまるで彼に妬いてほしかったみたいに聞こえるじゃない?
「僕はねユウ。君の事は結構気に入っているのですよ」
「…遊ばれているようにしか思えないけれど」
「まさか。そうでなくては僕のものの証なんてつけませんよ」
そんな、私の思っていることなんて知る由もない骸さんはそのまま話を続けていた。つ、と伸ばされた細い指が私の首に絡みつく。綺麗な顔だな、なんて思いながらいつもその後にくる痛みに耐えようとしたけれど今回はそれは来なかった。こういうことを考えてしまう辺り、スクアーロと同種なのじゃないかと思うけれど決してそんなことはない。決して。
いやもしかしたらボスに殴られるぐらいなら耐えられるかもしれないけれどそんなことはない。
触れる指は私の首筋を撫で、そして上へとゆっくりとのぼっていき頬へと。その触り方が何とも言えずぞわりぞわりと身を震わせた。
「…この鈴は、貴方のものの証?」
「ええ。そして君を守るためのもの」
それは唐突で、初めて見る表情だった。
笑い飛ばそうとしたのに私の頬にかかるその手も、その顔からも冗談の類は見られずに思わず固まる。どうしてそんな、顔をするのだろうこの人は。
何か話さなければ囚われてしまいそうなそのオッドアイから逃げるように視線を外す。
「…なあに、それ。貴方は敵だというのに守られるっていうの?」
「クフフ。僕は敵だなんてそう思ってはいませんが」
敵として見てはくれないほど私は弱いということかしら。これはちょっといただけないわね。むすりとしながら骸さんを見ると先程の雰囲気はどこへ行ったのやら穏やかな表情で見返してくるものだから言葉も失ってしまう。
「それでは勝手に約束しましょう。
…君を守れなければ、僕にその刃を突き立てなさい」
本当に勝手な約束なことで。
ずしりと手に重みを感じてちらりと視線をやればいつものナイフが私の手の中にあった。
幻術使いっていうのは本当にすごいのね、とありきたりな感想しか抱けないけれどナイフの感覚を確かめてから私は優雅に座る骸さんの膝に乗りかかるような形で素早く移動した。おやおやと細められるオッドアイからは驚きすら見いだせない。これでもまだ守られるような弱さを持っているのかしら?真面目な顔をして彼を見ているというのに、骸さんから発せられる雰囲気は変わらないままだ。
「君は猫のようですねえ」
「…引っかいて欲しいのかしら」
この、ナイフで。切っ先は彼の喉元へ。
少しでも私が力を入れれば骸さんの白い首は赤に染まるだろう。圧倒的有利なのは私だ。
「クフフ、君は本当に面白い」
唐突に太腿に彼の手が置かれ驚きに離れようとするもいつの間にか腰にも腕をがっちりと回され身動きの取れない状態になっていたことに気付く。やられた!
逃げる事に意識を向けているうちに唯一の抵抗手段であるナイフまで消えてしまって、この世界はこれだから嫌なのよと世の中の幻術使いに呪いの言葉を吐きかけた。
引き寄せられ私の視界は骸さんの丹精な顔でいっぱいになる。
「んっ、」
徐に唇が重なった。
彼との口付けはこれが初めてという訳では無いのにどうしてこうも胸がざわつくのかしら。ただ触れるだけのそれは、私が驚いて固まっているうちにすぐに離れた。
「…早く帰ってきてくれないと退屈で退屈で仕方がない」
「分かっ…たわよ。だから早く離しなさい」
「クフフ、それでは今度こそ本当に引っかかれる前に退散しましょう…Arrivederci」
そして私は骸さんの顔を見て…自分の身体に返される、とでもいうのかしら。
急に強く身体が引っ張られるようなそんな不思議な感覚に陥り、くたりと力が抜けて私の意識は闇の中。
完全に意識がなくなる前、何かが遠くで聞こえたような気がした。