感情を持つことは人間の運命。
 けれどボスは教えてくれた、感情を表すことは消耗でしかないのだと。それを行っていいのは戦闘に身を置かない一般人か強い者だけだと。

『お前のように弱ェ奴はな、ユウ』

 私の自慢の黒髪を撫でてボスは楽しそうにくつりと笑う。
 あの時の私は全てのことが億劫になっていて自分がどうやって生きていくかそればかり焦って、怖がることはあってもそんなに何か強く思うことがなかったから…有り得ないことだろうなと半ば他人事のように聞いていたんだっけ。それでもあの時の言葉が蘇る程度に、私は今、昂ぶっている。

『感情を昂らせても、己の中に収縮せよ』

――――Sì, capo。

 怒りに身を委ねるだけで力が倍増されるなんてどこかの漫画の主人公じゃあるまいし、
私はこの怒りを放つことなくコントロールし、勝利を飾ってみせましょう。


 何度も近付き火花を飛ばしながら己の獲物をぶつけ合い、距離を取る。
 近付く瞬間には反応できない骸さんも私が攻撃を繰り出す頃には体勢を立て直して反撃し、それを私が弾いての繰り返し。外から見ていれば同じことを…と思うも知れないけれど彼の弱点を衝くことが出来るまではこれが精一杯の私の攻撃だった。腕力は骸さんが、そして敏捷性は私がやや有利と言ったところだろう。

 体力の疲弊だけはどうにも頂けないけれどそれでも武力だけで言えばそこまで愕然とした差があるわけでもないと理解した。
 傷は、お互いに無し。私の初手で骸さんの首筋に僅かな切り傷が入った程度で、後は彼の槍をギリギリのところで避け続けていた。もう終わりにしませんかという言葉を待っているのだけれど楽しんでいる彼からその言葉を聞けることになるのはまだまだ先になりそうね。

「ユウってすげーのな、柿ピー」
「‥‥骸様ほどではない」
「俺、勝てる気しねーびょん」

 どうしてだろう。幻術で周りの景色が変わってから犬くんと千種くんの声は聞こえるのに姿が見えない…これもそういう幻術をかけられているのかしら。

「余所見はいただけませんね」
「っぐ、!」

 三叉槍の突きが顔面に飛んできて慌てて構えたナイフを弾かれる。カランカランと遠くの方に投げられるその音に残念ながら私の負けと思わされ‥かけたのだけれど。
 どうにも彼はまだまだ止めるつもりがないみたいで、槍の構えを解くこともなくこちらを見ていた。

「僕はね、ユウ。君が欲しいんです」
「…私を認めたのかしら」
「ええ。ですので、契約してくれませんか――――ねっ!」

 繰り出される鋭い突きに私はなんとなく、本当に何の根拠もなくこの三叉槍こそがすべての違和感なのではないかと確信した。だから執拗に彼はこの武器を私に…何らかの方法を用いる為に向けているのではないかと。
 あくまでも彼の攻撃は私の武器を弾きこの手合わせを終わらせるためじゃなくて、私本体に攻撃をするために行われているのだもの。

『もう少しで僕のものだったんですけどね』

 その時に彼は何をしようとしたのか。あの槍の柄の長さを調節して私がいた場所に向けていて。勿論私がそこにいたのならば深々と刺さっていたに違いない。そしてそれが刺さったことにより私が彼のものになる。それが意味するところは、

「…血か何か、かしら」
「ご名答。後は君が僕のものになったら、教えてさしあげましょう」

 背中を向けて逃げるわけにも、かと言って大人しく攻撃され続けわけにもいかない。何か策は無いか。どうするべきだ。
 そもそも手合わせだと言うのにこの覇気は一体‥いや、元々学校でとの軽いものだった筈が、帰り際に何度か尾行しようとして失敗させられたぐらいあの用心深い骸さんのテリトリーまで連れて来たぐらいだもの。つまりは最初から彼の思惑通りと言ったところか。そこまで読み取れなかった私の失態だ。
 ふふ、と自虐的に笑う私の意図に気がつかなかったのか骸さんは不思議そうに此方を見た。

「君が本気を出せるよう、手筈は整えたはずですが‥」
「じゃあ勝ったら何かちょうだい」
「クフフ、ユウのその強欲なところ嫌いじゃないですよ」

 さて、と骸さんはこの私が99%負けるこの状態の中、その長い指で自分の顎を掴み思案する。その間に私も後ろに下がり、弾き飛ばされたナイフを拾う。
 痛いぐらいに握っても潰れたりしないこの幻術は一体どういうことなのだろう。こういったスキルは向き不向きがあって私みたいな単細胞にはきっと理解出来ないねとちびっ子に言われたことを思い出した。

 ナイフをよく良く見ればお前はよく無くすからと頭文字を彫ってもらったそれまであって。気のせいか、彼の匂いがする気がするし刃に舌を這わせると苦い鉄の錆びた味までして。視覚どころか、感覚も、味覚も全ては私の記憶通り。…じゃあ、もしかして。

「…そうですね、僕のこの幻術を突破することが出来たならランチアにあわせてあげましょう」

 私は今、一つだけ私を褒め称えたいことがある。
 骸さんの幻術で私の記憶から呼んだものが、ナイフとこのネックレスであることだ。そうだ、例えばこの状況が怖くて仕方がなくてボスや仲間を求めていたらもしかしたらこの場はボスが現れて一瞬でケリがついていたかもしれない…それだけは絶対にあってはいけないの。

 私は拾われたあの頃から、ボスに飼われた、自分で動ける忠犬でなければならないのだから。

「約束は守りなさいね!」

 声高々に叫びながら私は首から下げていたネックレスを引きちぎり――
 厚みのある紋章のところをタップするとそこから出てきた記憶通りの白い固形物を確認することなく飲んだ。

「!っ、待」

 骸さんの静止の声が、自分の心臓音に負ける。
 口に入り喉を通った瞬間から急激な体温上昇と体内で響く何かが構成される音を確認…そうだ、間違いなく私の欲したものだ。

 久々の痛みに前かがみになりながら私は骸さんを睨み付けた。彼はこれをどう思っているのだろう。まさかと思ったに違いない。これはただのネックレスなんかじゃない。そんなただのお飾りに私は興味はない。痛みに目元から涙が溢れる私にはそれを確認することが出来なかった。綺麗な顔が歪んでいるだろうに、惜しいことをした、本当に。

 これは使用者の生命を蝕み一時的に飛躍的な身体能力を得ることのできる、ヴァリアーの秘薬…の、プロトタイプ。小さい頃にこのネックレスを渡されて説明を受けた以来だけど、彼の声でそれが今再生される。

『暗殺部隊たるもの、捕虜になる事を禁ず。』

 即ち守れずに己の隊に不利な状況になってしまったら迷うことなく死ねというわけ。
 ただの自害薬ではなく、能力の開放までも用意してるあたり流石だと思う。どうせ死ぬなら何でも良いから道連れにして少しでも負担を減らさなければ意味がないのだから。

 ――――生命がギリギリ保証されるその効果は、5分。

「参ります」

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