五体満足では帰さない




 最近はめっきり術士と相対することがなかったと思っていたがまさかここでこんな変わった人間と会うなどと誰が想像出来ただろう。
 自分が指名したはずであった女も確かに変わってはいたのだ。しかし彼女は既にこのマフィアの世界を抜け出ていると大々的に噂にもなっていたと言う。だが実際彼女は居た。当然かのように所属し続け、存在していたのだ。だからこそちょっとした暇つぶしの相手にと彼女をわざわざ指名したというのに結局のところその彼女は現れず、その代わりに大層面白い変わり種がやって来てしまったらしい。

 骸の腕の中、既に自分の事など見えていないのであろう彼女の目は自分と同じ血の色をした瞳であった。そしてその鋭いまなざしは骸ではなく現れた敵に向けられ、また彼女の意志により現れるのはリングの力を借りずとも創造が可能であったのだろうと分かる極上の幻覚の数々。
 まるで魔女だと骸は思わずにはいられなかった。それは彼女の黒髪を、その白い肌を、赤い目の事を指しているのではない。


「ギャアア!」

 既に武器を手放し早々に命乞いをしている者も居ればあまりの衝撃に精神が崩壊している様子も見て取れる。
 耐性がない人間がコレを見れば確かにわからないでもない、と骸も確かにその時思わずにはいられなかった。敵ながら同情するところもある。

 目の前で繰り広げられているのは見るもおぞましき悪意の塊でしかない幻術の数々であった。有幻覚と幻覚を切り替えるということは簡単なことではない。術士が全員習得できる訳でもないのだが、彼女はそれをいとも容易くやってのける。


「やめろ!来るな!っ来るなァア!!」

 あちらこちらから現れるのは首のない貴族風の衣装を着飾った血まみれの女性、大鎌を持った黒いマントの人外の者。現れるあらゆる数の処刑道具はすべて彼女の思いの通りに動き、男達を捕らえていく。
 ある者は十字架に磔にされたまま火で炙られ、ある者は銀の鋸を以て生きたまま裂かれる、その他にも煮え立った湯釜に突き落とされた者、四肢を引き裂かれる者、――…生み出されたものは全て有幻覚であり、その攻撃は、受けている痛みはもちろん全てが本物である。

 惨劇とはこの事か。

 以前もとある街で”血の惨劇”と呼ばれる大抗争が起きたことがあったのだが、恐らくはそれと同様に、或いはそれ以上に酷い。これではまるで一方的な虐殺。そうとしか言えないものである。


「私は小夜。クラリッサファミリー次世代の魔女よ。お姉さまほど甘くないからお気をつけ遊ばせ!」

 最早彼女の自己紹介は男達の悲鳴によりかき消されていたが彼女はそれに対し憤慨する様子もみられなかった。どうやら聞かせたいという訳でもなかったらしく、それすら楽しかったのかこれまたひどく楽しげに笑う。

 顔を青ざめさせながら逃げ惑う男達は気付いていなかったが”お姉さまほど甘くない”攻撃手段は魔女狩りで行われたと言われていた処刑法の数々であった。まるで阿鼻叫喚地獄絵図。苦しみ、もがき、赦されることはないというのに繰り返し紡がれる謝罪、泡を吹いて倒れる輩。
 彼らを一瞬の間に地獄に突き落としたのは骸ではない。この、自分の腕の中でケタケタと笑うこの女だった。楽しくて楽しくて仕方がないと言わんばかりに笑うそれは既に狂気の沙汰。

 唖然、そう、骸は骸らしからぬ様子でその一連を見続けていたのである。


「はーっ、おっかしいの」

 一体それからどれぐらい経ったのだろうか。
 ようやく小夜と名乗った女の笑いが収まったと同時に、幻覚は全て消え去った。どうやらもうこの辺りで勘弁してやろうという魂胆だったのかもしれないが既に敵側はほとんど虫の息状態で戦意など既に無く、白かった部屋は赤く染め上げられている。
 天井を見やればそこには首の無い肢体がボタボタと血液を垂らし、またドアには本来身体の内部に収まっていなければならないものが付着している。得も言えぬ血臭が部屋の中に立ち込め、それでも彼女の白いドレスは一切汚れることはなく美しいままであった。


「…やりすぎですよ」
「あらそう?私の邪魔をしたんだもの、別に当然だわ」

 ぞんざいで傲慢、赤の瞳をした女は骸の言葉を聞くと唇をにぃと三日月に細めながら返した。久し振りに他人の術を目の前にしたが心地良いほどの狂気に満ちた創造。骸もあまり術士としてはいい趣味をしているとは言い難いものを創り出してきた自覚はあったがここまでのものは考えついたこともない。

 …しかし、小夜とは。
 聞いたことのない名前ではあるがそれでも彼女が名乗った通りクラリッサファミリーであるのならば彼女は代役だったのだろうか。骸の指名した女はどうしたのか。これはどう言った事なのかと気まぐれに問いかけてみようかと思ったが、気がつけば彼女は骸が手渡した匣を片手にそのまま此方を見返すことなく割れた窓を開け放ち、バルコニーの手すりへと足をかけている最中だった。
 何とも軽快。彼女にはまるで羽根が生えているようである。


「待、」

 骸の声に気がついた彼女はそこで振り返る。
 先程と変わらぬ黒い髪、赤い瞳。細められたそれは先程とは違いニヒ、と無邪気な子供のように心の底から楽しげに笑いかけた。

 「ではごきげんよう!」骸がかけた言葉を聞くはずもなく小夜は軽やかにそこから飛び降りた。そのまま追うように骸もバルコニーへと駆け走り下を見たが、その瞬間ぶわりと階下から舞い上がるのは大量の鴉の羽根。
 視界を覆うそれが幻術だとすぐに判断し同じく打ち消すかのように風で違う方向へと飛ばしてみせたが時、既に遅し。彼女の姿は忽然と消え去っていたのである。


「……とんだお転婆が来たようですね」

 追いかけようともあらゆる場所から幻覚が飛び出し―恐らくどこかに仲間がいたのだろう―あまりにも息の合った見事な手腕に流石の骸も手出しすることもできずその場に1人、残されたのだった。クフフと笑った声は誰にも聞かれずその場に響き渡る。

  
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