二足歩行の死神




「――…さて」

 その日がきたとしても別段何も気構えることもない。
 言質をとってしまえばこちらのもので、この手にある物をとある人間に渡せば暫くは休暇をくれるというのであればさっさと実行ししばしそれこそ霧隠れしてしまうのも一つの手である。

 元々骸はマフィアというものを厭っていた。
 それが何故この天下のボンゴレにと思う者も多かっただろうが此処に所属さえしていればあらゆるものが自由で、正義という大義名分下に粗方の事が許された。それの一つがマフィアを潰すということである。強大なマフィアというものはここ数年で随分と壊滅に追いやりそこそこ楽しい日々を送っていたということはあながち間違いではない。
 ただひとつ、自分が所属しているこのボンゴレファミリーというこの組織もマフィアであるということからいずれは此処も壊してしまう予定ではあるがそんな考えも正直随分と薄れているところではある。
 活動内容が随分と庶民的、且つ自警団と化しておりボンゴレファミリーというもの自体既に所謂ところの一般的な”マフィアらしさ”からとうに離れているからだ。

 しかしながら腐ってもマフィアではある。
 当然付き合いもマフィアばかりになるし、ボンゴレの幾百、幾千とある傘下のどこかにはそんなボンゴレの動きを気に食わないと思っているところもある。そういう輩を壊して堕としていくことが精々最近の骸の楽しみの一つであったが。


「お待ち申し上げておりました、六道骸様」
「僕はこれを返しに来ただけですのでお構いなく」
「ええ、それでは此方にて暫くお待ちくださいませ」

 沢田綱吉によって依頼されたのは血で血を流すような戦いではなかった。寧ろ何もなければ1時間以内に終わるであろうしこのところ自分に課せられた任務の中では一番拍子抜けしてしまう程に簡単なものである。

 では何故骸もなかなかこの任務を受け入れなかったか。何が気に食わなかったか。それはこの骸の手にある匣の中にあった。
 全面共インディゴに染まるシンプルなそれは保管匣であり、これは見た通り、霧の炎を灯した霧属性のリングでないと開くことはできない。敢えてそこに入れる事により、またそれを強い霧の炎で施錠することによりそこそこ精製度のあるリングの、しかも多大な霧属性の力が必要となるこの仕組みはある種その辺の金庫での持ち運びよりも頑丈でセキュリティも万全だと言えよう。問題はその匣の中身だ。骸自身が入れたものなのだから何が入っているのかは知っている。だからこそ少しばかり憂鬱ではあったのだ。
 小さな手のひらサイズのそれを弄びながら骸は早く終わらないかと不機嫌を隠すことなくその時を待つ。


「お待たせ致しました」

 鈴を転がすような耳通りの良い声がその部屋に響いたのはその時で、ギイと重苦しい扉が開きそこから姿を現したのは銀髪の美しい女であった。

 背は骸を基準としても高い方だろうか。白のドレスを身にまとい、物静かにこちらへ歩み寄る女はまるで貴族。柔らかな雰囲気を醸し出したその女は骸の姿を目でとらえるとふんわりと微笑み、骸はそのまま小さく会釈する。これが目当ての女だ。取引先の、女である。

 骸はその顔に、非常に見覚えがあった。
 しかし…何だろうか、この違和感は。抱いたそれは直感的なものに近い。その感情のままに今すぐボンゴレ匣を開くなり三叉槍で目の前の女を突き刺したい気にもなったがここで余計なことをして面倒事を起こすのはよろしくない。自分に危害が及ばぬのであればそれでいいではないか。自分はこれから休暇を満喫するのだ、他者の事など構っていられるか。

 女がこちらへ近寄る数秒もの間にそう決め、にこりとわざとらしい微笑みを貼り付けながら立ち上がる。形式ばったものはもう不要だった。この手にあるものを渡してしまえばもう用はない。
 女もまた同じ考えだったのだろう。大人しく手を伸ばしてきた彼女のその小さな手に、匣をポンと無造作に置く。一瞬触れるその手は冷え冷えとしている。その垣間見える華奢な手指は一度も得物を持ったこともなさそうな、柔らかげで匣など到底似つかわしくない守られてきた手であった。

 その匣の感触を確かめるかのように女はそれを両の手で包み込み、ほう、とそこでようやく小さく息を吐く。どうやら彼女は緊張していたらしい。


「…本当に、これが」

 含まれているのは安堵と期待と。何が彼女にそう言わしめたのは分からなかったが…深入りはやめておこう。これで自分の役割は果たしたのだ。
 この辺鄙な場所からとっとと離れてしまおうとそう考え、離別の言葉を告げようと彼女の姿をその目にした瞬間であった。


 ――バリンッ!


「!」

 骸と彼女の隣にある大きなガラスが割れる音。
 粉々になり無防備の状態である彼女へと容赦なく降りかかるその硝子片から守るように咄嗟に骸は腕を伸ばし彼女の身体を抱きしめる形でその場を飛び退った。
 そしてその数秒後、彼女のいた場所には数発の銃痕。舞う粉塵に思わず己の袖で鼻を覆う。間違いない、狙いは骸ではなく彼女だった。匣を狙ってのことなのか、それともこの女の生命なのかは定かではないがこのままでは骸だって巻き添えを食らうことは必至なわけで。
 

「何か心当たりでも?」
「……」
 
 女は放心状態なのだろうか。何も言うことなく骸の腕の中でただ匣を握りしめたまま立ち尽くしていた。
 …しかしこのタイミング、まるで最初からこの取引が分かっていたようにも見える。彼女の所属ファミリーは知っていたがそんなことを許すような機関ではない。ではどうやって…とそこまで考えたもののすぐに首を横に振る。まあいい、実際邪魔が入ったことに違いはないのだ。


「厄介ですねえ」

 仕方があるまい、休暇前に少し運動でもしていこうか。
 そう思える程度には呆気なく終わりそうなこの任務、残念なのは自分の相手が術士ではなかったことか。閉まっていたはずの扉が再度開くとそこには見知らぬ黒ずくめの男たちが武器を構えて立っていた。彼女を護衛していた人間ではないということは、彼女に向けられた銃で理解する。裏切られたか、殺されたのか。どちらかは分からなかったが彼女とて少し不運だったに違いない。
 さて、自分の幻覚に彼女が耐えられるのかは知らないがせめてその匣は持ち帰って沢田にちゃんと受け取ったことを伝えてもらわなくては困る。

 宙より取り出した三叉槍を手に、力を振るうその前。骸の行動を止めたのはふふ、と笑う声であった。


「…愚かな」

 それは腕の中にいる女であった。さも可笑しくて仕方がないと言わんばかりに笑うその声に何事かと黒ずくめの男達は武器の照準を彼女へと合わせる。骸の腕の中で女はようやく顔を上げた。
 ゆっくりと釣り上げられる赤い唇、灰色の瞳。
 その細められた目が合うこともなかったがぐにゃりと歪んだのはその時で、次に瞬いた時には色彩が変貌している。ざわめく周囲の喧騒をものともせず骸もまた、彼女のその様子に惹きつけられていた。

 その銀の髪は闇の如く漆黒へ。
 そして灰色の瞳は血のような、骸の右目と同種の赤へ。

 気が付けば記憶の通りの彼女の顔も、声も、そして背でもなくなっていた。どちらかというと新たに現れた黒髪の女の方がやや幼く見えるのかもしれない。東洋人であるということは分かったが、つまりは先程まで見えていた彼女はまやかしだったということで。なるほど、これが先ほど自分が抱いた違和感の正体か。


「…君は、」
「強欲なマフィアめ、根絶やしにしてあげましょう」

 女は骸の疑問に答えることはなかった。
 その代わりに見えたのは楽しげに赤い唇をぺろりと舐め目を細め周りを見渡した好戦的な姿で、それは骸が指名していたはずの女ではなくなっていたのだが間違いなく数秒、彼女の姿を見続けることとなる。

  
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