微睡みに沈む静謐さ




「小夜、これやばいかも」

 脳をじわじわと侵食されていくような感覚に陥ったのはいつぶりだっただろう。嗚呼そうだ、これはきっと始まりの日だ。死炎印で契約したクラリッサファミリー所属のあの日以来となる。
 経験したことはなかったのだが恐らく自分の身に何らかの投薬がなされたのだろう。ゆっくりと浮上していく意識に内心溜息を禁じえず、しかし身体が自身の言う通り動くこともなくただその若い言葉を聞き流す。

 ”CDI”は本来であれば情報を傍受するだけのシステムではない。
 受信者と送信者、双方に聞かせよう、聞こうという意志があり初めて機能するのだがその中でも特例中の特例がある。即ちどちらかが自身の意思ではなく強制的に意識を失わせられた場合などが挙げられる。
 例えば任務中に気絶させられた場合や投薬された場合などがそれに当てはまるのだが、そう言った時のみ更に特殊な緊急回線に切り替えられ受信側へと一方的に伝えることが可能となる。そういうシステムであれば漏らす訳にはいかない情報が他者に漏えいすることはなくなるし何より前後不覚にさせられた受信者を周りの人間に悟られることなく起こすことが出来る。

 実際受けてわかったが頭の中で大音量に響く仲間の声はもう二度と受けたくないなと素直に思う。何しろ起こすことが目的なのだからその喧しいこと喧しいこと。
 しかしそのお陰で確かに、小夜は目を覚ました。受けてきた訓練通りそのまま目を開くことはなく神経を尖らせ耳に集中する。ゆっくりと周りの状況を把握し、あまり宜しくないというところまで理解すると通常回線へと切り替え、彼らへと呼びかける。


『了解。悪いけど切ってくれる?』
『本当にいいのか』
『…仕方ないでしょう』
『だって』
『気にしないの。あんた達も振り回して悪かった。そっちに危害が加わる前に逃げなさいな』
『…勘弁してくれよ、俺たちもうシャルレの時で十分懲りてんだけど』

 悲しきかなこういったときの訓練もまた、受けている。
 チームメイトの返事を最後にブチン、と切れるそれは死炎印により契約された”CDI”の回線。もしも何かが起きて回線を追跡され、近場にいる彼らに危害が及ぶということは何としても避けなければならない事象であった。緊急回線もそれと同時に切られ、『元気でな』と聞こえたそれに返答することは出来なかった。結局彼らもまた、自分が振り回したのだ。その自覚はあるし先ほど彼が言った通りこの辛い思いは自分の前にも1度ある。彼女のことを慕っていた自分が同じことをするだなんて非情にも程があるではないか。

 彼らの間で行われたのは”CDI”の回線切断。
 文字通り、彼らとのやり取りを今後不可能とする最終手段だ。
 今まであればクラリッサファミリーから脱退の際にしか行われないことであったがシャルレが脱退した時から少しずつ在り方が変わってきていたのである。もうこれ以上悲しい犠牲者が現れないように、新たに自分達へ義務付けられたルールだ。
 こちらから”CDI”の接続を切ることも可能なのだがそうなればただならぬ炎を消費する。自分の中に残る炎は普段よりも随分消費され正直あまり動きたくないレベルで疲弊していたのだが今はまだ倒れている場合ではない。使うべきことがある。


『…ごめん』

 誰も聞こえないと分かっていても、謝罪の言葉を紡がずにはいられない。
 それでいて完全に彼らとの繋がりがなくなったことを感じ取ると心の中でどこかわだかまっていたものがもするすると溶けていく。

 クラリッサファミリーは大好きな場所だった。
 クラリッサファミリーは大好きな仲間達であった。

 だけどそれよりも大事にしていたものがあった。大事に、大切に、何よりも譲れないものがあった。ただそれだけを見詰めるには些か、唯一の心残りであったものは小夜の後ろ髪を引っ張り続けていたもので。


 ―――さて、

 そこから切り離された今、何も怖いものなどあるものか。猪突猛進、そう骸が例えたように彼女は止まることなど、加減することなど知らなかった。鎖を放たれた獣、そうなぞらえても異論を唱える者は居るまい。
 自分のすべきことは決まっている。やりたいことも決まっている。あとはそのタイミングであるのだがその辺りも残念ながら今回なし崩しについてきた男は理解しているのだろう。何もするなと言っておきながらおそらくこの事態になれば少しは動くに違いない。

 まったく、何から何まで嫌な男だった。

 口惜しいことに、だからこそこのような時には頼りになる。
 そもそも六道骸のことは知らなかった。どのような人間であるかということはクラリッサに入っている以上、契約しているボンゴレの守護者のひとりとして理解はしている。
 とは言っても所詮データ上のみだ。
 霧の術士なんて碌でもない人間に違いないと自分やクラリッサの人間をすっかり棚に上げて思っていた訳だが、やはりそれも自分の想像通り。どこまでも小馬鹿にしたような雰囲気が否めず、しかしこちらを見る視線は真摯で非常に扱いにくい。

 だからこそ彼女は待つ。投薬された薬がじわりじわりと馴染んできたが意識さえあればそのようなものに負けるような情報屋などいるものか。もう怖いものなど何もないのだから。


『小夜、早くしないと僕は約束を反故しますよ』

 クハハハ!と響き渡る笑い声がその合図。
 自分に話しかけたそれが、最上のタイミング。

 尤もシャルレの約束を持ち出した件に関しては許し難いのだがそれは後々、彼にたっぷり嫌味をぶつけるとして。


 パチッと目を開く。
 格好つけてみようかと思ったが如何せん先行したのは頭部の痛みと寒さ。
 いつの間にか自分の衣服は剥ぎ取られ下着のみとなっていたし、金属質の棒で殴られた場所はヒリヒリと痛む。いつ襲撃されても致命傷にならぬよう常々自身の身体の上には透明の強固な結界のようなものを張っていたのだがそれでも殴打された痛みは回避出来ていなかったしそれを考えると湧き上がるのはやはり怒りでしかない。
 小夜の力の源は怒り。本来であれば最早力さえなかったはずなのだがこればかりはやはり天賦の才能とも言えよう。


「……ハア、」

 完全に自分の中の力を使い切った頃にはその建物に居た人間達は全員死屍累々といった有様である。

 元々自分の力は然程強いといったものではない。
 どちらかというと先程六道骸と術のぶつけ合いをした通り、幻術により自己強化を得意とする戦闘スタイルであったしこの建物に入った時点で随分と疲弊していたのである。
 殺すつもりはさらさらなかった。彼らは自分のために、シャルレのために生きていてもらわなければならないのだから。
 銀髪の魔女よりも恐ろしい魔女が存在していたのだと、何よりも恐ろしいその女は例のヘルリングを破壊し今もなお何処かで生きているのだと彼女のことを消してしまうほどの凶器を孕んだ噂で塗りつぶしてもらわなければ困るのだ。

 辺りはいつの間にか静かになっていた。時折聞こえる男達の呻き声はどうでもいい。怒りの眼差しの先はもう彼らに向かっていないのだ。


「笑えるんだけど」
「…何がです?」

 確かに骸に対して何もするなと言った。
 自分がすべてやり遂げてみせるから、それを見ているだけであれば同行を許可すると。しかしだからと言って無抵抗のままこのような姿を晒されることを六道骸が受け入れたということが小夜にとって驚くべきことである。確かに自分との約束は守られた。この男は守ったのだ。


「…意外と馬鹿なのね」
「しおらしい君も悪くありませんね」

 責めたくもなったが悪いのは全部自分だ。それは認めざるを得ない。壊れたリングは拾い上げ確認した。自身の手の上に置かれた破片は瞞しではなく本物。これでとりあえずは自分の目的は全て達せられのだ。

 クフフと笑う男は未だ尚怪しげな格好をしていたままであった。まるで自分が悪いようなそんな感覚にまで陥るのはこの状態だからなのか。まさかの天下の六道骸が椅子に手足を括り付けられ黒い布を被せられてるなどと誰が思おう。この場で”CDI”があれば静止画として誰かに送りつけられでもしたが今となっては何も記録するものはない。ならば精々自分だけは覚えていよう。その愉快な格好を。愉快で、尚且つ自分との約束を守った男の姿を。


「眠い」

 男の拘束を解いてやらねばとは思うのだが如何せん体力は消耗しきっている。せめて彼の視界ぐらいはどうにかしてやろうと朦朧としながら被せられた布を取り払ってやると眩しげといった様子で男の目が開かれる。そこにあるのは相も変わらず小夜と同じ赤色の瞳。
 きっと視界が塞がれていたとあってもどんな状況であったのかは想像していたのだろう。周りを見渡した後でも大して驚く様子もなく男は再度楽しげに笑った。だがもう相手はしていられない。非常に疲れた。非常に、眠い。

 「小夜」骸の声が聞こえたのが最後、身体から力が抜けるのを確認しながら小夜は目を瞑る。
 ぱさりと何かがかけられる音を、自身に触れる温かな手の感触を感じながら、やはり彼は自分の言う通り手を出さずにただ見ていたのであろうと。その気になればこんな拘束1人でどうにかなったのだと思うと悔しい気分にもなる。


「…ゆっくり、休みなさい」

 相変わらず嫌な男だ。
 そう思わずには、いられない。

  
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