続篇はこのてのひらから




「いやー少しは申し訳ないと思っているのよ」

 先程までの空気はどこへやら、ケタケタと楽しげに笑う女は反省の色を見せることなくそう言い切った。
 敵地で気を失ったのかのように眠ってしまった小夜を抱きかかえひとまず見つからないようにと近くで休めるような場所を探したのだが如何せんいつ増援がやって来るのかまでは分からず、結局契約の場所…つまりクラリッサファミリーの名義で借りているあの部屋ではあったのだが本日午前、骸と小夜の幻術のぶつけ合いにより大破されているのをすっかりと忘れていた。今はまだ骸の有幻覚により形は留められてあるがこれもいずれきちんと修繕しなければならないだろう。

 ともあれ骸も珍しく非常に疲れていた。
 いつもであれば気に入った女に対し甲斐甲斐しく世話をしたのかもしれなかったのだがそうする余裕すらなく元々あった一つのベッドを彼女に譲り、己は何とかソファへと身を沈めたまま深い眠りへとつく。しばしの休息を取れば小夜の身じろぎする音が聞こえ、そろりと目を開いた。

 「水」「どうも」互いに疲弊しきった力と体力が回復しきったところでようやく口を開く。そこに甘やかさなど欠片もなく、その時まで展開されていた寝顔は年相応であどけなく庇護欲をそそるものであったのに目を開き骸の右目と同じ赤の目が合った瞬間からそれは霧のように崩れ去る。


「…悪かったわね」
「僕が好きでしたことに君が気を咎めることはない」
「じゃあお言葉に甘えて、そういうことにしておくわ」

 途中からわかっていたのだが小夜の目的はリングを取り戻すことではなかった。初めて彼女に会った際、オッサ・インプレッショーネが入った匣を見た瞬間の顔は喜び、安堵、そしてあの複雑そうな表情が示していたのは憎悪。彼女はこの上なく姉と慕った女を、シャルレを敬愛していた。だからこそ彼女を、彼女のクラリッサファミリーで過ごすはずであった人生を不意にした原因を壊すことだったのだ。自分の手で。
 念願が叶いリングを自身の手で壊した彼女にもう恐れるものはない。向こうは小夜を言いなりにさせるためにリングを人質ならぬモノ質として突き出したつもりだったろうがそれが誤算だった。小夜としては狙いやすいよう目の前に出してもらえたのだ、好都合だったに違いない。


「さて、」

 気を取り直したかのように、赤い目を細め小夜は骸へと向かい合う。
 そうだ、まだこれで終わりというわけではない。そもそも自分が付いて行くと決めたことは殆ど反射的なものであったが自分の目的は一応これで達せらた今、次は彼女の望みを叶えなければならないという契約が残っている。彼女の求めている情報、それを告げればこれで完全に終わりだろう。
 小夜はクラリッサファミリー、そして自分はボンゴレ。別段だからどうということもないが間違いなく今生の別れに近しいものがある。


「そうですね、約束ですから」

 ここで手を伸ばすべきなのだと分かってはいるのだ。気に入っているのであれば、今後を考えるのであれば。
 しかしながら今回、始まりが始まりだったが故に嫌われていることもまた十二分に知っていた。それを我慢してまででも知りたい情報。それが骸の手の内にある。まだ余裕がある。

 考えろ。
 何か考えつけ。

 元々頭の回転が早い方ではあったのたがしかしだからと言ってこの数秒でそのような事を思いつくはずもなく。ただの女であればそれこそ舌先三寸で騙すことも可能であったが何しろ彼女はクラリッサファミリー。自分に負けず劣らず頭も回り、それでいて目的のためであれば己の身がどうなっても構わないとすら思える相手にどう立ち向かえばいい。
 結果的にそれらを回避する言葉など考えつかず逡巡していると小夜はニヤリと楽しげに口元を緩めた。


「シャルレお姉様のいるヴァリアー、案内してもらうわよ」
「…知ってたのですか」
「当たり前よ。だけど私はまだ下っ端だし、コネがない。だけど貴方なら少しは繋がりがあるでしょう」

 どうにもクラリッサファミリーを、否、彼女のことを読み誤っていたらしい。その話した通り、そもそも彼女の目的の人物がヴァリアーに居たことなど知っていたのだろう。それでいて骸の提案を受けたのはその先を読んでいたということ。確かに彼女だけであれば場所を知っていても1人向かうことは出来なかったに違いない。あそこはボンゴレであってボンゴレではない場所。かつての所属していたファミリーの人間であっても部外者は排除される傾向にあるということは重々分かっていた。骸も未だその場所に訪れたことはない。
 だが、…恐らく骸がつけば話は別だ。
 もちろん邪険にされることは分かりきってはいるが一応これでもフランを預けた身である。それなりの理由をつけてかこつけることも、また彼女を匿った人間に直接話をすることが可能であれば色々と制約はあるだろうが話すことぐらいは許されるであろう。そこまで見越していたのであれば大したものだ。

 面倒くさい案件であったというのに目の前でその約定を破棄することは不思議と骸は考えてはいなかった。
 まだ彼女と行動する機会があるのだと思えたのが第1で、沢田綱吉によって約束された暫くの休暇があったからというのが次点である。ここから用意すればそれなりに長い期間を要してくるだろう。ならばその間に未だ、挽回の余地はある。しかしそこまで考えるにあたり、1つ気になることがある。


「良いですが、君、仕事は?」

 情報屋ファミリーであるクラリッサは有能な人物ばかりであったが常に問題が1つある。それが圧倒的な人員不足。今となっては有名となりつつあるがクラリッサは規模も小さく術士のみで構成された情報を主として取り扱う組織である。1度他のマフィアに依頼されればそのファミリーと契約をしクラリッサファミリー全員でその任務に臨むというやや特殊な体制を敷いていた。そして現段階、彼らが長期契約を結んでいるのは自分の所属するボンゴレであり骸もまた何度か彼らの情報を利用したこともある。
 ただでさえオッサ・インプレッショーネの件で1人の事務員を手放している今彼女にその時間はあるのか。短時間で済むような話ではなく―むしろこちらとしては長引いた方がありがたいのだが―彼女はその日数をどれぐらいと見積もっているのかはただ純粋に疑問として持ち上がる。が、


「ああ、うん。辞めた」
「……は?」

 いつだって小夜は自分の予想を上回る。その返答に対し思わずぽかんとさせられた骸の顔を見、彼女はただただ楽しそうに笑って話を続けていく。

 ――だってお姉様のいないファミリーなんて興味がないしもの。あ、いやそれなら少し語弊があるかしら?ファミリーの皆は大好きだけどそれとこれとは話が別というか、ね。だから昨日でファミリーは抜けてたのよ。”CDI”に関してはボスにお願いをして今日のためにチームメイトとだけ回線を繋がったままにしていたけどまあそれもさっき切ったしこれで後腐れなくキレイさっぱりっていうワケ。あ、でも安心して。オッサ・インプレッショーネを欲したのはクラリッサじゃなくて私だったし、ボスには既にどう扱っていいかっていうのも聞いているしあなたが取引に応じ渡してくれたことはちゃんと最後の時に報告してあるから。あ、それとあなたにお願いしたいのはほんの1時間程度でいいの。お姉様のところで居座るつもりもないし、ただ一目見たら帰るつもりよ。それから私は沢田さんのところに行こうと思「――待ってください」

 聞き捨てのならない言葉が聞こえてきて慌てて彼女の言葉を止めるとキョトンと小首を傾げてこちらを見遣る。


「ボンゴレに?」
「あら、聞いてなかったの?何だかそっちも人手不足だって言うし沢田さんのところならってうちのボスも喜んで送ってくれたし」

 聞いてなかったんだと今更問われるそれには知りませんでしたと正直に返し、頭痛を感じずにはいられなかった。兎にも角にも帰ったら一暴れぐらいはしてやろうと骸は心中決意する。結局のところあの男に騙されたようなものではないか。
 骸が指定した女を呼んでおいたと言っておきながら当然小夜であることを知っていた。そして、…不愉快なことにこれまた自分が彼女のことを気に入るとでも踏んだのだろう。確かに使える駒、それも術士が欲しいと言ったことはあったがこれはこれで使えるようで使うことが出来ない。彼女を駒だのと扱っているのがバレたら最後、例の拳が飛んでくるのは必至ではないか。それに小夜としてはそれらを知った上でこちらに対峙していたのであれば、…とんだじゃじゃ馬にも程がある。これは大層骨が折れそうであるし、これならばと考えたがフランと並べるのはどちらかというとあの愚弟子に失礼なのかもしれないと思えるほどに手がかかりそうなわけで。


「これからもよろしくね」

 まったく、彼女には敵いそうにない。そう思いながらも自然と笑みを浮かぶのはやはりこの心に新たに宿った感情の所為だろう。半ば諦めを覚えながら手を伸ばし、やがて彼女はその意図を知り友好の、否、約束を違えるなという心情を込めてまた力強く握り返される。
 到底女の握力ではないそれにやはり頬をひくりと引きつらせながらさてこれからヴァリアーに向かい、ボンゴレ本部に返った暁には何をしでかしてやろう、なんてそんなことを考えつつ彼らは共に例の部屋をあとにする。1人の新たな霧の術士を伴い帰還した暁にはやはり獄寺隼人の絶叫がボンゴレ本部に響き渡ることとなるのであるが骸にそのような温情などある訳がないのだ。

彼と彼女の幻術戦争

END.

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