こすぱに!

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 どんなに重傷を負っていたりしても音が鳴りさえすれば意識はゆっくりと浮上する。近くで誰かが戦っているらしい。
 ゆうの言う通り”その時”がやってきたのだろう。なら望み通り、僕は動かなければ。

 目を開き、様子を探る。この部屋にまだ異変は起きていない。
 ゆうは僕に膝を貸したまま壁に背中を預け、瞳はしっかりと閉じられていた。穏やかな呼吸、寝顔にほんの少しだけ安心する。
 今更だけど彼女は私服だった。やはり昨夜から囚われていたのだろう、もしかしたらあまり眠れていなかったのかもしれない。眼鏡は…そこにあるか。残念ながら割れてるけどそれが別に度入りじゃないのも知っているし大した問題じゃないだろう。


「……」

 ゆうが居なくなった時、それから此処に来るまで、何故この人が連れ去られたのかずっと考えていた。最初は僕に対する当てつけだと思っていた。
 僕を誘致するための、囮。だけどあいつと話して分かったんだ。あいつの狙いは2つだと。
 あの男は誰かを探していて、だけど僕はハズレだったらしい。
 風紀委員ばかり狙われていたから僕達の中の誰かかと思ったがそれも違った。だから翌日には、今日の朝も一般生徒が狙われ始めた。僕と同様、並盛にもたらされた被害に憤りこんなところに来るような輩があいつの狙い。そんなヤツ、他にいるとは思えないけどね。

 そしてもう一つの狙い、これがゆうだ。
 女神なんて仰々しい名前をつけてまで欲している。あいつの目的が何だか分からないけどもう片方が達成した暁にはゆうを連れていくつもりのようにも見えた。
 わざわざ僕と再会させた意図はいまいちよく分からないけど、恐らくはゆうを安心させる為か。

 …煩わしいと思っている反面、彼女がこの先を知っていることに僕は少し安堵している。
 何も知らない人間がこんなことに巻き込まれたらゆうみたいに構えることなんて出来なかっただろう。こんなところで眠っているような余裕もなかっただろう。
 だけど怖かったのには違いない。
 決してゆうは言わなかったけれどここで再会した時彼女は怯えていた。
 何か言われたのかもしれない。傷つくような、逃げ出したくなるような何かを。怯えているその様子はゆうが帰ってしまったあの日にとても、似ていた。頬に残っている涙の跡が、彼女は認めやしないだろうけどそれが悠然と語っている。だけど何も言わないのは、我慢するのは、彼女は、…僕よりも年上の大人だからだ。

 見れば見るほど危うい、曖昧なアンバランスさがある。中学生の身体の中に大人が入っているなんて不思議は、だけど彼女だからこそ信じることが出来た。でも変な所で子供なのは知っている。さっきの行為だってよく分かっていなかったに違いない。
 それでもいい。まだ、この人はその意味が分からなくたって。


『でも君のものでもないでしょう』

「…うるさい」

 あいつの声をかき消すように口に出す。
 全てが僕の邪魔をする。
 彼女が全ての秘密を僕に話した時、あの時の答えを聞かせてくれると思っていたのにそれが出来ないのはここにいる奴らの所為。…いいよ、途中途中で邪魔されるのも面倒だ。全部が終わるまで待っていてあげる。それまで帰ることは絶対に許さないから。

 起き上がりゆうの頬に触れる。服に汚れも殆どなくこの汚い部屋に連れて来られるまでは客人として扱われていたのかもしれない。頬には赤い一筋の切り傷があったもののそれ以外に大きな怪我はない。

 …その首にある赤黒い傷は、とても嫌だけど。

 首筋に転々と、隠すことなくつけられてあるそれは怪我じゃないんだろ?
 ゆうだって気がついていない可能性だってある。ならば、つけたのはあの男だ。僕への当てつけのつもりならば、煽る算段だったのならば僕はまんまと引っかかったわけだ。
何もかもが腹立たしい。こんなモノをつけたところでゆうはあげない。この人は連れて帰るし、女神なんて大役からは引きずり下ろす。
 頬の傷はまだ小さいしすぐに治るだろう。だけどその首元の傷ばかりは不快で仕方がない。思わずそこに手をやると流石に気付いたのか身じろぎし、目を開く。


「…きょうや?」
「もうすぐだと思う」
「……そう」

 段々と遠かったはずの戦闘の音が大きくなってきていた。誰かが戦いながら近付いてきているのだろう。
 ズダダダダと何かが落ちてくるような音が響き、彼女は一気に覚醒したようでピクリと身を強張らせたもののすぐに大丈夫、とぎこちない笑みを浮かべた後、僕と共にその音の方向を見据える。

 そういえばいつのまにかあの黄色の鳥は何処かに行っていたらしい。
 羽音が聞こえてきたかと思うと僕の位置からはちょうどパタパタと通気口に止まっているのが見え、さっきまで戦っていた奴らが近寄ってきたのが分かる。
 合図者はこの、鳥だった。
 部屋の内側に対し背中を向け、「ヤラレタ」と複数回、それと並盛の校歌。…そう、これが合図。


「待ってるから」
「うん」

 前回の時と言い、ゆうにたくさんの試練を与えているのは何のつもりなのか。この人は何の罪があってこんなことに巻き込まれているのか。
 分からないことだらけだったけれどたった一つ、この世界はどうにもゆうを嫌っているらしいということだけは分かった。
 君を元の世界に戻るべく世界は動いているのかもしれないけれど、だけど僕はそれに加担することはない。
 …いつか、君のその逃げ腰も、しみったれた思考も僕が壊してあげる。だから、


 部屋の隅で大人しく静かに座るゆうに最後、目配せを。気をつけて、と掛けられた小さな声に頷き騒がしい音のする方の壁の前へ移動する。

 途端、揺れる地面。崩れていく壁。


「!」

 粉塵が巻き上がり今ならまだ平気だろうと思わずゆうの方を向いたけどあちら側まで何の被害もないようだった。身体を震わせ、唇をかみしめながら声を漏らすまいとしていた。ゆうも闘っている。相変わらず頑固だけどその意気だけは認めるよ。
 君は弱くて、強いから。


「もしかしてこの死に損ないが助っ人かー!?」

 煩いな。
 こっちの部屋に誰も来ないよう早々と歩み、状況を確認する。あいつと同じ黒曜中の服の2人。それから倒れているのは獄寺隼人。なるほど、壁を破壊したのはこっちか。

 突然見た目を変化させた片割れがこちらに走りかかってくる。とにかくこれを、咬み殺せばいいんだ。
 「行きな」僕の肩に止まった鳥は言いたい事を直ぐに判断したのかゆうの方へと飛んでいく。…僕はもう、彼女の傍には居ちゃいけないらしいから。今だけは僕の代わりに彼女を頼んだよ。
 落ちていたトンファーを足で拾い上げ子犬を殴りつける。遠心力を利用すれば多少怪我をしていたって大差ない。顔面に当てるとそのまま勢い良く押し付け、建物の外へと飛ばすと残り1人を見据えた。
 立ち止まっている暇はない。早く行かなくちゃ。君の帰ってくる場所は安全でないとね。


「…君、獄寺隼人だっけ」
「ああ!?気持ち悪いな何だよヒバリ」

 もう一人も所詮は怪我人、すぐに同じ目に合わせるとだらしなく倒れている獄寺隼人の腕を仕方なく掴みあげ無理矢理立たせた。
 どうせ目的は一緒だろうし、あいつらの事を知っているんだろうし…何より、僕の後ろ側に行かれたら困るから。
未だ静かなままの向こうの部屋が気になったけどあの人は今、こちらに気付かれまいと今も息を殺しているに違いない。…本当に、何もかも厄介だ。

 獄寺、隼人。威勢だけは良いこの人間の名前は知っていた。
 ゆうのクラスメイトだったし、彼女が消えた時に僕のところへゆうのノートを持ってきた人間だ。僕と同じく、彼女を1度忘れた人間。
 それに、…随分と、名前を呼び合うほどに仲がいいらしいね。


「……あの子はあげない」
「!」

 全ての苛立ちをその一言に詰め込み呟いた。何の事か分かったのか分からなかったのかは知らない。何か言いたそうだったけどもう言わない。それが何だと答えるつもりはない。
 僕は、ただ前を向いて進むだけだ。
 それが彼女の知っている結末へ向かっているのだとしても、彼女が知らない未来のために。求められているならそれに応えるために。君のない明日は、…僕は興味ないな。

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