こすぱに!

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 何の音も出すべからず。
 瀕死状態だった彼のどこにそんな力があったのか不思議になるぐらいだったけど、改めて雲雀恭弥の凄さを知ることとなった。フラつきながらも私の視界から消えていく背中、数秒後には狭い通路に、この部屋に響く嫌な音。トンファーで殴る音ってあんな感じなのか。

 決して今のこの状況が怖くないわけじゃない。
 人を殴ったこともない私がこんな場面に出くわす機会なんて早々ない。だけどここで悲鳴をあげたりして台無しになる方がもっと怖い。気配の殺し方なんて知らないけど必死に口を手で抑え、呼吸も浅くして。それぐらいが私のできる精一杯。
 どうにか隼人にバレませんようにと、城島や柿本がこの部屋にいる私に呼びかけませんようにと祈らずにはいられなかった。


 ―――バリン!

 窓の割れる音が2回。それから後、声や音がもう聞こえなくなる。……戦闘は終了か。
 だけど確認しに顔を出すのはまだ早い。恭弥も隼人も怪我をしているはずで、恐らく歩く速度だってそんなに早くないはずだ。そこにいなくてもまだ通路に居て目にされてしまえば意味がない。待つこと。たったそれだけが私の今しなければならない、徹底すべきこと。
 いっそのことここで終わるまでジッとしているのも手だと思ったけどボンゴレの人間がここに来る以上歪になる可能性は消さなければならなかった。チャンスは一度きり、失敗は許されない。

 このままどうか上手く、行きますように。

 どのぐらいここに居たのか分からない。心臓がバクバクしているような状態のままパニックに陥らなかったのはヒバードが横にいてくれたからだ。空気を読んでくれたのか私の肩に止まったまま頬に擦り寄り一声も出さなかったのは正直言ってありがたい。頭の上にぽふんと移動し、この子は私から離れるつもりはないのだと知ると少しだけ元気が湧いてきた。
 ふぅ、と息を吐いて壁に手をやり立ち上がる。
 少し身体が重いけどきっと寝不足だからだろう。今は倒れるわけにはいかない。1番何もせず安全なところにいる私がそんな情けないこと許されるわけがない。


「……よし」

 帰ろう。
 城島に連れてこられた所為でこの辺りの地理は全くと言っていいほどわからないけれど外に出てとにかく歩けばきっと何とかなるはずだ。
 恭弥が帰っておいでと行ってくれたのならば私の居場所はそこにある。なら私がやれるのは早く帰って、…そうだな、自信はないけど好物を作って待っていよう。
 化け物だと呼ばれたことに動揺せずにはいられなかったけれど、私はこの世界に飛び込んできてしまった時点で異質で、化け物なのだ。今更怖がってなんていられない。怯えたところでどうしようもない。そうでしょう、藤咲ゆう。

 そう言いきかせ、隼人のダイナマイトで壊された壁からそろそろと出る。上から差す光が眩しく、暗い通路を照らしていた。
 なかなかの惨状だった。
 壁に、地面に飛び散る血。まだ乾いていないものも多くあるそれは最早誰のものか分からないほどに夥しく、踏まないよう気をつけて歩く。

 ……戦闘漫画だとすっかり忘れていたよ、ホント。

 日常編とのギャップがひどい。といっても私は彼らと共に日常編を送っていた訳でもなければ前回の最後は不良達と身体を張った鬼ごっこをしていたのだからその時に比べれば今なんてどれほど安全なものか。
 音をたてないよう静かに階段を1段ずつ上っていく。最後の一段を上がる前にこれもまた右左で一応確認。見える範囲に彼らの姿はなく、ホッと一息。
 が、


「!ひっ、」

 突然窓枠に現れた手に思わず身体が硬直した。
 それからニュッと現れる顔。窓の割れた範囲を広げながら外側から軽快に内側へ入ってきた人間の姿は幸いなことに認識がある。


「……」

 城島と柿本だった。…そうか、ここは1階だったっけ。びっくりした。
 こちらを見ている2人揃って無言のままだったけど、よく見るとその右目は六の文字を宿している。右目は、右目の付近が変化していた。
 見た目は、身体は勿論彼らのものだけど実際今彼らの身体を動かしているのは骸だ。まだ辛うじて残っている記憶からこの今の状況を考えるとこれから彼らの身体を乗っ取ったまま上へ…ツナや骸自身のいる場所に行くところだろう。

 彼らは私に話しかけることはなく、かと言って動くこともなくじっとこちらを見ているだけだった。ポタポタと血を流しながらまるで何かを探っているかのように。これが何の事象がわかるかと私に問うているように。
 …知らない振りをして通すのも今更すぎるか。「骸」彼らの主導権を持つ人間の名前を呼ぶと二人共、全く同じタイミングで楽しげに目を細めた。


「行くの?」
「ええ、もちろん。それで、君は僕を止めますか?」
「……ううん、そういう物語だから」
「そうですか」

 彼らの意識は既になく、全ては骸のものだった。それでも話しているその声は紛れもなく柿本で、不思議な感じがする。

 いつの間にか物語も大分進んでいたのだろう。
 恭弥と隼人がツナ達の場所へ赴き、骸本人の前に現れた時点である程度終わりに近い。随分長い時間私はあの部屋に待機していたようだった。
 とは言うもののこの場で私を再度拘束するつもりはないらしい。自分達が勝つのだと信じているから自由にさせているのか、私に構っている暇はないと判断しているのか、…流石にそこまでは分からなかったけれど、兎に角彼らと一緒に行く訳だけはいかない。
どうにかしてこの場を切り抜けなければと、それでいて早く彼らにツナ達の所へ向かってもらわなければと私が慌てているというのに当の本人はそんな事関係ないとでもいうようにのんびり柿本の方へ憑依した骸は自分の懐へ手をやった。


「ところでね、ゆう」
「?」

 話しながら私に手を伸ばす。その手には何か小さな紙袋があり、咄嗟に受け取るとそれはカサリと音を鳴らし私の手の上に収まった。薬を処方された時に入れてもらうあの小さな紙袋だ。内用薬と書いてあるもののそれ以外何も記入はされていない。
 ……薬?一体何を治すためのものなのか。誰の、ものなのか。それをどうして私に寄越したのか。分からないことだらけで柿本を見返すとクフフ、と彼は笑う。


「解毒薬ですよ、先輩のね」
「!」
「本当はその辺にいた黒曜生に持っていかせようとしましたが気が変わりました。彼らは裏切るが優しい君なら、確実に持っていってくれるでしょう?」

 そんなものがあったのか。……いや、書かれていないだけであったのかもしれない。私の知っていることは万能ではない。裏側なんて知ることも無かったのだから。
 先輩とは間違いなくランチアさんのことだろう。彼は恐らく今頃柿本からの毒に魘されているはずだった。ツナの目的は骸を倒すことと解毒薬を手に入れ彼の生命を助けることの二つに増えていたはずだった。

 ……彼は結局どうやって解毒されたんだっけ。
 記憶を辿ってもそんなシーンは無かった気がする。そうか、柿本の攻撃なんだから彼が解毒薬を持っているのは当然だ。それをツナ達も狙っているのだから。
 でも、ツナ達は彼の解毒をすることは無かった。じゃあ誰がって言うのはなかったはず。黒曜生がもしも骸に命令されその時に解毒していたのであれば。それが、今、私の手の中にあるというならば。

 ──間違いなく私が、物語を変えてしまうのでは。

 骸が言っているとおり本来黒曜生にやらせるべきだったところを、適任者が私だと判断し敢えてさせなかったとすればまだランチアさんは毒に苦しんでいることになる。
 私がいなければ今頃治っていたのかもしれないのに…私の、せいで。…私が、居たから。袋を握る手に力がこもり、乾いた音をたてる。


「僕だって先輩のことは大事な仲間だと思っています。死なれたくはない。だから」
「行くよ」

 骸の言葉を遮り、言葉を紡ぐ。
 今更これを突き返して黒曜生に渡して来いなんて言える道理はない。誰が行っても一緒ならば、それが出来るのが今この場において私しかいないのであれば。
 柿本や城島が行く方が間違いなく間に合うだろう。早く済むだろう。だけどそれじゃ駄目なのだ。……彼らは、同じところで倒れなければならないのだ。少し知り合っただけでこれだ、今後どうなるか分かっているからこそ彼らの顔をじっと見ることは出来なかった。

 だって、…間もなく彼らは。

 そうですか、と目を細めた骸はどんな気持ちなのだろう。私のこの言動をどう思ったのだろう。私ならばと信じてくれたというその言葉が少し引っかかるけど、兎にも角にも私に任せるつもりだったのであれば引き受けるしかない。そうと決まればこんな所でグズグズしていられやしない。


「私、絶対に持っていくから」

 処方箋の紙袋は柿本の血でジットリと濡れていた。それに怯えている場合じゃない。
 ただこの先を真っ直ぐ、一直線に。そう行き方を教わり方角を定めると、私は彼らとは逆に窓枠に手をかけ、外へと飛び出した。



 走って、走って、走って!私は今、これしか出来ないのだから。

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