こすぱに!

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 恭弥の傷はもうほとんどが乾いているとは言え骨も折られた状態で動けることは難しい。
 そして私に至っては無傷なものの、この現状をどうにかできるような力なんてものは持っていなかった。頑丈なだけ。走るのが人よりもちょっと早いだけ。私ができるのはせいぜいそれぐらい。

 黙ったままぼんやりしている恭弥を横目にどうしたものだかと考えている私がいた。
 時折どこかから聞こえてくる何かが壊れる音だったりするのは彼らが戦闘している証だろうか。何処で何が起こっているのかは分からないし恭弥にも言うことはできなかったけどわかっていることがある。
 恐らく、始まっているのだ。この黒曜編のメインイベントが。
 すぐに迎えに来ると言った城島がこの状態でもやってこないということはもしかしなくとも第1戦が始まってしまっている可能性が高い。その次に戦うのはまだ私は会ったこともないけれどビアンキだったっけ。じゃあ、M・Mも…おそらくは。

 関わらなかった方が良かったとそう思わずにはいられない。
 この時点で私は殆どの人と関わりがある。何があっても、誰が傷ついても辛いものには変わりない。

 …私の選択は間違えていたのだ。
 骸に目をつけられたかもしれないと、関わったと思ったあの時から全力で逃げるべきだったんだ。この並盛から、黒曜から離れるべきだった。私は関係ないから、なんて楽観的にいた所為で想定外な事が起きている。おかげでツナ側のストーリーは何とかそのまま無事に進んでいるんだろうけど、此方側が最悪だ。
 それが、恭弥の隣にいる私。
 本来この部屋に居るのは恭弥だけのはずだった。それがまさか城島によって連れてこられるとは誰が思っただろうか。隼人がこの部屋の壁をぶち壊して、恭弥が出る。話はそのまま進む。なのに、私がここに居るのは非常にまずい。

 何しろ昨夜、あんな事が起きたばかりなのだ。嘘つきと言われ、ツナの家から帰ったはずの私が登校せずこんなところに居るなんて違和感でしかない。
 人質だと思ってくれるのも、敵だと思われても別に構わない。彼らの評価がどんなものであるか、なんていうのは二の次で大事なのはストーリー進行。私がここに居たとしても恭弥と隼人がそのまま私を無視して進んでくれるのであれば…若干不備があるとは言え、何とかなるかもしれない。

 もしも。
 もしももしももしも、もしも。

 そんな言葉ばかりが脳内をぐるぐる巡る。何かが変わったらどうしよう。何かが違えたら、どうしよう。未来的に、何か…変動があればどうしよう。
 自分のことは二の次だ。そりゃもちろん生命は惜しいし死にたくはない。出来ることならまだこの世界に居たいとは思うけどそれより重んじられるのはこの世界の物語だ。それの変更点になるのがたまらなく、怖い。


「どうしたの」

 ぴくりと思わず指を動かしてしまったらしい。どうにも私の冷たい手が怪我や腫れを覚ますのにちょうどいいらしく、未だに腕を捕まれ恭弥の頬に触れたままだった。
 相変わらず人の動きをひとつも見逃すまいと思っていてくれる様子は健在で、だけどその目とは視線も合わせることはできなかった。


「もしね、…合図がきたら」
「合図?」
「うん。分かりやすい合図があるの。その後、私は関わることは出来ないから…皆から隠れたい」

 随分とリボーンの漫画は読んでいないけれど、大丈夫…覚えている。まだこの辺りの記憶は、ある。
 合図はヒバードの歌う校歌。隼人がここまで追い詰められ、この壁を壊して恭弥と会う。その時に隼人が私を見つけなければ、…恭弥が私をそのまま放って進んでいってくれれば影響はないはずだ。自惚れかもしれないけど、このまま私が説明しなかったら恭弥は私を放っていかない気がする。


「あと、…この場面に私は居なかったものとして振る舞ってほしいの」
「それが”必要”なんだね?」
「…うん」

 隼人が私を見つけ色々とここで時間をとられてしまうのもまずい。タイミングを逃してしまえば厄介だ。
 これからの話を知っていると恭弥にあらかじめ伝えておいてよかった。そうじゃなければ理解なんてしてもらえなかっただろうから。告げた後、確認は一度だけ。「わかった」と言葉を返され、ホッと安堵する。よかったこれで取り敢えずは滞りなく進むはずだ。

 あとはどうすればいいのか。
 壁が開いて、ボンゴレの人がこの辺りにやってくる前にどこかに逃げよう。できるだけ登場人物の人たちに会わないように。…大丈夫、私は別に怪我なんて負ってないし、逃げることには慣れている。
 そうすれば彼らの物語は何も変わらずに終わることができる。少しだけ関わったものの何ら変更なしとして、終わることができる。張り詰めていた緊張感がどっと緩まったその時だった。


「!」

 頬に痛み。何事かと把握するその前にぐいっと振り向かされ思ったよりも近くに恭弥が居ることに驚く。
 いつの間にか手は離されていた。その代わり、両手で私の頬を挟み込みこちらを睨みつけている。青灰色の瞳は真っ直ぐ私を見据え怒りを湛えていた。


「…恭弥?」

 どうしてそんな表情をしているのか私には分からなかった。どうして、私を睨んでいるのかさっぱり、分からなかった。
 見たことのない表情?…ううん、違う。今まで私が、元の世界に居た頃に夢に見続けていた彼の表情はいつもこんな感じだった。ギラギラと敵意。『嘘吐き』と吐き捨てられていたあの時の顔は、いつもこうだった。むかつく、と恭弥の口がはっきりと告げる。


「いつだって君は、他人のことばっかりだ」
「…だって仕方ないじゃない。そうならないと駄目なんだから」
「君自身は後回しでいいの?」
「……仕方ないでしょ」

 決して怖くはなかった。普段の時にこんな事をされれば殴られるのかと怯えていたのかもしれない。
 だけど恭弥の怒りは私に向いてはいるものの、それだけじゃなかったと分かるから。自惚れ?そうかもしれない。恭弥は私の選択を、怒っている。根拠はないけど、確証はないけど話している内容は、そうとしか取れなかった。

 私の事を心配してくれている人がいるのは何と嬉しいことなのだろう。
 だけどこればかりは、この選択ばかりは間違える訳にはいかなかった。ここに、私の意志を反映させる訳にはいかなかった。本当は怖い。皆と一緒に動いたほうが安全なのかもしれない。ついていきたい、なんて言えればどれだけ心が軽くなるだろう。だけど言うわけにはいかない。

 恭弥の怒りは私から何かを、本音を引き出そうと煽っているのだろうか。それならば、…余計に何も言うわけにはいかない。
 頑固さは私だって負けない自信がある。
 口を開くこともなくジッと見返すと恭弥はやがてハアと大きく、ため息をついた。これはいつの日だったっけな、彼から携帯を受け取ったあの日のやり取りに似ている気がする。あの時と同様、諦めてくれたのだ。


「君は、僕がこれから何をするのかわかるんだってね」
「…そうだよ」

 何の意図してこの疑問を投げかけられたのは私にはわからなかったけど間違いなく私はこれからの先を知っている。この世界が私の知っている通りの選択をし続けていくのであれば間違いなく。
 これから恭弥は、今もただでさえ辛い思いをしているというのに更に傷つきに行く。ボロボロなのに骸を倒しに行く。本当は骨だって折れているらしいしここでゆっくりして欲しいとは思うけど、行かなきゃならない。わかっているのに見送るしか方法がないなんて何と私の無力なことか。

 せめてそういうサポートする力でも与えられたらよかったのにと思わずにはいられない。自分の身体の頑丈さじゃなくていい。せめて治療とか…って流石に夢を見過ぎか。藤咲ゆうとして此処へやって来る事を考えると痛覚や走れるどころか、本当に何も出来なかっただろうから今の時点でも十分マシなのだろう。


「じゃあこれは読めた?」
「…え、」

 恭弥の言葉の意味を、理解するには少し時間がかかった。
 掛かる吐息、触れる唇。
 目の前にはさっきよりも近い恭弥の顔。開かれたままの瞳。決して私から逸らさないその視線はこちらの真意を探ろうとしているのか。恭弥にキスをされていると分かったその瞬間に身体が硬直した。

 一体何がどうなって、こうなった。

 目を合わせていられず目をぎゅっと強く瞑る。離れようとするも怪我をしていると分かってて身体を叩くことも出来なければいつのまにか手は恭弥の手に捕らえられていて、どうすることも私には出来なかった。


「っぅ、」

 押し付けられるよう強く重なったものから逃げようとしても後ろは壁で、さらに言えば私に頭に回された手がそれを許しはしなかった。
 彼の唇は、とても柔らかく熱い。
 呼吸する間もろくに与えられずに2度、3度。その時には手を離されていたけど何というか驚きに、戸惑いに力が完全に失われてしまって服の裾を掴むことぐらいしかできない。啄まれているその最中、感じられる熱い息。酸素を取り入れようと口を開いた時に感じられる、恭弥の血の味。
 どうして、こんな事をされているのか理解が出来なかった。
 彼がそういう感情を抱いている、ということは知っていたけど今回並盛に来て、恭弥と再会してからそんな話題は一切出なかったというのに。

 随分と久しぶりの感覚に驚くほど時間が長く感じられた。
 困ったことに未だどうしてこうされているのか分からない上にこの行為が嫌でないと感じていることが一番の問題だった。


「……ぷ、はぁっ!」

 私は呼吸の仕方というものを忘れていたらしい。
 そもそも鼻から息をすればよかったのではというのは開放されてから気付いた訳で、ゼエゼエと肩で息をしながら恭弥を睨みつけると彼の機嫌は少しだけ良くなっている。
 唇を押し付けられただけで私の心臓はもう爆発しそうだというのに何で恭弥はそんな元気なのだ。何でそんな余裕なのだ。大人である私の方がどうしてこうも振り回されているのか。
 腕を伸ばされたかと思うと今度は抱きしめられ、恭弥の顔が見えないまま私はその間大人しくしていた。


「そうやって、すぐどこかに行こうとして」

 だけど何も言い返すこともできなかったのは声音が、優しかったから。ドクン、ドクンと少し早いけれど聞こえる鼓動が聞こえてきたから。
 …生きている。
 当然の事だけど、それが不思議に感じてしまう。

 見える視界から確認できる切り傷の数々。紙面上では伝わらない、痛々しい傷。暫くは治らないだろう。まださらに、これから増えることも私は知っているけれど。


「約束して」
「…」
「ゆうの帰る場所はここだから」

 言うだけ言って恭弥は力尽きたらしい。…大分ぎりぎりだったろうに無茶、しちゃって。
 まだ時間は残っているのだろうか。何もかも分からないけど出来ることならばもう少しだけ彼に休む時間を、お与えください。
そう祈り、ちゃっかり私の膝の上で眠る恭弥の頭に触れながら私も静かに目を瞑る。


 帰る場所はここらしい。彼の言葉に、私は救われてばっかりだ。

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