こすぱに!

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 常にマインドコントロールを受けている訳ではない。が、意識がハッキリするということもまた、これまではなかったような気がする。
 しかし、沢田に負けたことによりゆっくりと蝕まれる身体とは裏腹に意識は澄み渡っていく。こんな晴れやかな気持ちになったのは、いつぶりだろうか。


「あいつはオレの全てを奪った男だ」

 忘れることを許しはしないと戒めるが如く。決してオレのしたことを赦しはしないと断罪するが如く記憶が常にオレの中で渦巻いていた。話しながらオレはゆっくりと過去のことを思い出していく。
 5年前のあの時、オレは大事なファミリーを失った。誰がこんな酷いことをしたんだとファミリー外の連中も、残されたオレを哀れんだ。そして、後の調査で衝撃的な事実が発覚する。

 犯人はオレだった。

 もちろんそんな記憶はない。しかしオレしか有り得なかったのだ。
 それから目を覚ます度に身に覚えのない屍の前に何度もオレは立っていた。
 ファミリーの中で唯一生き残りはオレと骸だけだった。だからこそこいつだけは、残された者を強者が守るのは当然だとしてオレが匿う形となった。しかしあいつは一度たりとも泣きはしなかった。その事に疑問は抱いたものの一番恐れるのは自分がおかしくなってしまったのではないかという事な訳で、…骸を置いていく形で自殺をしようとしたのだったがそれすら出来なくなっていた。


『さて、次はどこに行きましょう』

 今まで聞いたことのない、底抜けに明るく笑う声。ようやくそこで気付いたのだ。オレは、…骸によって操られていたことに。
 全てが繋がる。理解すると同時に自分のファミリーを血祭りにあげたあの時からオレは罪悪感に苛まれ、六道骸の影武者となった。

 これは何の悪夢か。

 夢であってくれとどれほど願っただろう。しかし目の前に広がっていたのは残酷な事実。
 大事な奴らをこの手で殺した感覚もその最中の記憶もなかっただけが不幸中の幸いだったのだろうか。
 しかし思い返せば思い返すほどに鮮やかな記憶。見渡す限りの赤、赤、赤。どうしてと言わんばかりに見開いた仲間の目。何かを叫ぼうと大きく開いたオレのファミリーの連中の口。…オレに対して伸ばされた手。

 死体検証をした際、不思議だと思っていた一つの謎が最悪の形で判明する。
 誰もが懐に入れてある銃を構えている奴は1人たりとも居なかった。懐に手を伸ばしている人間は誰1人として居なかった。オレを止めようとしている奴らばかりだった。
 ──皆、オレを信じてくれていたのだ。
 それを知った時のオレの気持ちは、感情は。…深い絶望と、後悔に苛まれ簡単に骸の下につくことを許してしまったのだ。

 それからは散々だった。ただ目的もないまま彷徨い続ける日々が始まった。明確なのはマフィアに対する憎悪。それだけを頼りに決して留まることなく歩み続けるその精神は最早異常だったが誰もそれを指摘する者はいない。

 骸こそ拠り所。
 骸こそ居場所を作った恩人。

 千種も犬もそう思っていたが故に道は変えられることもない。オレは贖罪さえ叶うこともなくこいつらの後ろを歩み続ける羽目になる。
 苦しみしかない日々は続いた。夢で何度仲間から罵られたか。何度死体の彼らから憎悪の言葉を受けたか。
 何も変わることなどなく、許されることもなくあやつり人形になり続け、要所要所でマインドコントロールを受けた。その度に人がたくさん死んでいった。気が付けば骸が目をつけていたマフィアの連中が、そこにいた幼い子どもが、共に牢獄へ入れられた人間が、収容所の人間が。
 死ぬ場所は、死ぬ為の場所へは六道骸として数え切れないほど入った。

 ようやく死ねる。
 ようやく開放される。

 その度安堵し、気が付けばまたオレは生きるため人を殺していた。
 あいつにとって牢獄とは最低限の衣食住が確保出来る場所でしかなかったのだ。オレを六道骸とし、あいつはオレの部下として共に捕まり、そして死刑執行前までに必要な物資や情報を手に刑務所を脱獄する。そんな時はいつだってオレの手が血に塗れていた。
 オレは決して開放されることはない。オレは決して……ランチアという名前を2度と名乗れることはない。そう分かってしまった。

 悪夢は積み重なるばかりだった。
 今回も何があって日本に来たのかは聞かされてはいない。しかし今までとは明らかに違った様子に今度こそ、と思えたところはある。


「では先輩、彼女をよろしくお願いしますね」

 日本に来て骸がまず捉えたのは1人の少年、そして1人の女だった。
 少年の方がどうにも重要度が高いらしい。直接骸の傍に置くことでマインドコントロールを安定させているのは分かっていたが故にオレはその子どもを助けることはできなかった。
 しかしもう1人の女の方は違った。そいつを見張るようにと言われ、戦えない人間であると、一般人であると聞かされれば抵抗してもたかが知れているだろうと武器も持たず共に同じ部屋へ入った。逃がしてやれるのであれば、オレの許せる範囲内であればそうしようと思っていた。助けることは出来なくても逃走を見逃すぐらいなら出来るだろう。

 しかし女は全く普通ではなかった。
 幼いようで幼くない子ども。恐らくは骸と同じくらいの年端の子どもであるはずだったがこいつもまた、子どもではなかった。
 骸が異常なほど大人びているのはそれなりの過去が、歴史があるからだ。己を実験台にしたマフィアを恨み、憎み、子どもの思考で居られなくしたのは間違いなくそういう茨道を通ってきたからだ。
 ならば何故、こいつもそうなのだ。


『ランチアさんも大変ね』

 先読みと呼ばれた女、藤咲ゆう。
 オレの名前を知っているのは、だから当然なのか。
 藤咲は一切抵抗することが無かった。一切、逃げようとするようにも見えなかった。その瞳に宿るのは憎しみでもなければ悲しみでもない。ただの諦め。
 オレはその目に見覚えがあった。

 先読みではないと否定はしたもののこの女はこれから何が起きるか知っていた。これから起こる事象を元々知っていることと先を読めることの違いがいまいち分からなかったが、言わばこいつは未来からやって来たようなものなのだろうか。
 話す内容も到底その年代では有り得ない。容姿こそ幼いものであったが中身はまるで大人だった。
 戦えるわけでもない、誰かを殺めたこともなければこの平和な日本で生活をしていたあいつを骸がどうやって目をつけたかは分からなかったが。
 だが一つだけ確かなことがある。

 あいつもオレと、同じ目をしていた。


『ねえ先輩、人形も夢を見ると思いますか?』

 骸によって無残な姿にされた雲雀恭弥を部屋に連れていくその背に問いかけれた言葉にオレは何も返すことはなかった。

 ――…人形。

 それは誰を指していたのか。
 今となればオレではなく彼女の事だと分かる。あいつは恐らくオレと同じなのだ。骸にこそまだ操られてはいないものの、オモチャにされようとしている人間なのだ。その証拠にあの女はマフィアの者ではない。何ら関係のない、一般の女だ。黒曜中学でも1人、生贄であると幻術で弄ばれた男がいたがそれとはまた似ているような、それでいて違うような。
 あの男と違うのは真実がわかっていることだろう。愚かな道を歩むことなく、かといって正しい道を選んでいるかと問われればそうでもなく…ただ、非力さ故にその場で立ち止まり、座り込んでいるただの一般人だ。
 ならばあいつも救われなければならない。今ならまだ、間に合うはずだ。この少年たちに、それが分かるだろうか。託すことができるだろうか。


「しっかりしてください、ランチアさん!」

 沢田綱吉。
 骸が狙っている少年はまだ若い。まだ、十二分に若い。
 恐らく彼もまた藤咲と同じぐらいの年代だろう。しかしこの子どもの方が力は強くても現れる感情が、言葉が、その幼さを見せていた。

 これでオレは終わる。終わることが出来る。――…やっと、やっとだ。
 その開放感に救われ、しかし今度は一つだけ残したことがある。もう手に、目に力は入らない。身体にも毒が回っているだろう。アレは殺すためのもの。あいつらによって振り回された散々な人生だったが、…最期は、まあ悪くない。


「藤咲…を……」

 お前らはあの女も救えるか。
 声になったかどうかも分からない。だが、どうか、…誰か、あいつを。

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