こすぱに!

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 ゆうの姿は結局、私の力じゃ見つけ出すことは出来なかった。
 だけどきっと彼女は近くにいる。あの子は今回の件に関わっている。そう気付いたのはあのランキングのフゥ太からゆうの名前が出たから。そして骸ちゃんが痛めつけたあの黒髪の男の懐から出てきたものを見たから。

 何の変哲もない黒い携帯が、2つ。
 1つはどうでもいいからその辺に捨てた。だけどもう1つは間違いなくゆうのものだった。あの変なシールがついている携帯、これはゆうのもの。私が骸ちゃんから預かって、彼女に返したもの。それがどうしてここにあるのか。あの黒髪の男とゆうの関係はよくわからなかったし話したこともなかったから知らなかったけれどきっとゆうが帰ろうとしたその先はあの男のところだったのだろうと今になってようやく分かる。
 でも巡り巡って携帯が私の元に返ってきたその理由。あの男が持っていたその意味は。


「何しにきたの?」
「仕事に決まってんじゃない」

 クラリネットと共にカバンにそれを入れて探し続けていたのにほんの数時間で状況は大きく変わってしまった。

 敵が来た。標的が来てしまった。
 私達の出番さえあるかどうかというところだったというのに千種が無様にやられて戻ってきたことで呼び出しがかかる。
 流石は候補とは言えボンゴレといったところなのかしら。面倒くさいったら無いけれど一度手を出してしまったものを引くわけにもいかない。生半可なマフィアじゃない。喧嘩を吹っ掛けた相手はあのボンゴレだもの。普通の状態だったらこんな依頼は受けなかった。いくらお金を積まれても命がなければ意味がない。だけど今回は私の命までも懸っている。負けるわけにも、逃げるわけにもいかないのだったら勝つしか、ない。

 結局建物内を探し回っていた私にも招集がかけられ、その時には全てが遅かった。
 始まってしまっていた。起き上がった千種、骸ちゃん、一緒に牢獄から脱獄してきた嫌いな面々。…部屋の隅に、例のランキングの子ども。これが終わったらやっぱり殴ってしまわないと気が済まない程度に私は苛立っている。


 それから千種から10代目候補とやらの事を聞いた。サワダ、ツナヨシ。何とも地味で平凡な名前。その周りのゴミを片付けてその人間を骸ちゃんの前に突き出せば私達の勝ち。報酬を受け取って今度こそ自由の身。私だってこれで生きてきたのだもの、ゆうの事はもちろん大事だけど優先順位は弁えているつもりよ。


「では手筈通りに頼みますよ」

 骸ちゃんの言葉を聞いた後、早速私達は動き始めた。これだけ他人を集めた依頼だけどチームプレイをする必要はない。そんなことに特化しているメンバーでもない。
 ランチアはいつの間にかどこかへ行ってしまったし、バーズは10代目候補の大事な人達とやらを人質にするために訓練したあの黄色の鳥を飛ばす。気持ち悪いあの双子をついていかせ、準備万端。確認のためその相手を見たけど、その内1人がゆうと同じ制服を着ていたもののあの子じゃなくてホッとした。でも嫌な予感は止まらない。

 ゆうが関わっていると分かっていて冷静ではいられない。
 だから早く終わらなくちゃ。あんな奴らなんてさっさと終わらさなきゃ。ゆうを守れるのは私だけよ。こんな奴等に渡してたまるものですか。
 そう思って私も早々にその建物から離れて待ち伏せしていたのに。犬までやられてしまってざまあないわと嘲笑っていたというのに。すぐに終わらせると自分の力を信じていたのに。


「大事なのはお金ではなく愛よ」
「はあ?」

 敵は本当に平凡な連中だった。なのに私の考えが否定される。私の大事なものを否定される。
 愛?何それ、笑わせてくれる。そんなものでどうやって食べていくっていうのよ。そんなもので、どうやって生きていけるというの。

 相反した考えを持つこの女の事なんて私は絶対に理解ができないとその場ですぐに分かった。
 だというのに焦れば焦るだけいつもの冷静な自分はどこかへいってしまった。ムカツク。ムカツクムカツク。いつもなら距離をとるのに。いつもなら遠巻きのまま相手を倒してしまうというのに。接近戦も得意だけどそうすると次の技を出すのにまた距離を必要とするというのに、殴らないと気が済まない程度に苛立った。あんたに何が分かるっていうの。そんなモノで何が救われるというの。
 全ての事がムカついて、全部が大嫌いで。早くしないとと気が急いて。

 そして、その判断が私を敗北に追いやることになった。


「っ、カハッ」

 口の中に入った紫の物質。
 苦いとかそんな次元じゃない。吐いたそれらは異様な匂いを放っていて虫がウジャウジャと含まれていた毒だった。人から作られた料理を口にしたことはなくその圧倒的な不味さ、絶え間なく襲ってくる身体の痺れ。
 急速に気が遠くなっていく。身体から力が失われていく。思考が鈍くなっていく。長年の相棒だったクラリネットは既にあの髪の長い女の力によって失われてしまった。困ったわ、…アレ、大事なものだったのに。


「大丈夫?」

 女は倒れた私にとどめを刺すつもりはなかったらしい。私の所に走り寄ってきたかと思えばその近くにいた意中の相手だという赤ん坊の昼寝を邪魔しないようにと私と戦ったなんて何ソレ、バカにしてるの?
 愛の勝利、だなんて。そんなことを堂々と言い放たれ、だけど敗者である私はそれを言い返すことはできなかった。
 私の視界では既にバーズが彼らと対峙していて私の事をざまあみろと言わんばかりの目で見下ろしていた。見てなさい、あんたなんかいつか碌な死に方しないんだから。

 ――ムカツク。

 全部が。誰もが。
 愛なんて目に見えないものなんて信じることはできない。お金こそが一番。
…だけど、失うものはもう無いと言うのにそれでも脳裏に過ぎるのは最近得た私のもの。期間が限られていたとしても、私のものだった子だった。

 ゆう。

 唯一の例外の、子。掠れた声でそれが言えたかどうか自分でも分からず、それでも思いを馳せる。
 変わった子。面白い子。
 日本の地味そうな子。何処にでもいそうな子。私が唯一、安心してご飯を任せられた子。一緒に美味しいねと食べられた子。話しかけても私の周りときたらヘコヘコする軟弱な男か、怯える女ばっかりだったというのにあの子だけは違った。


『荷物、重そうだね。持ってあげる』

 だって、所詮は他人じゃない。見知らぬ人間に荷物持ちなさいと言われてハイハイ頷く子がいるとは思わないじゃない。
 初めて会ったあの時。暑さに、重さに辟易してその場にいたあの子に八つ当たりをしたのは確かだったというのにいつの間にかあの子はするりと私の中に入ってきた。
 困っているのであればと当然のように私の荷物を持って、私の隣を文句言わずに汗を流して運んだ。それがゆうの生命を奪うことのできる武器であることなんて気が付かず。
 ゆうはただただ、素直だった。ただ、真面目で、優しかった。そこにお金という私か一番愛してやまない、そして信じてやまないものは一切関与してなかったというのに。


『貴方の身体が一番、大事。…だから、体調だけは気をつけてね』

 そんなこと心配されたことなんてないわ。だって私は強いもの。強くなければならないのだもの。そうしなきゃ生き延びてこれなかったのだもの。
 思い返せば短い期間だった。テレビを見て一緒に買い物に行って。本当は音楽が好きだったことも話した。聞かせてあげたかったクラリネットは、楽器として使うこともできたし普通に吹くことだってできるのよ。
 もう、…壊されてしまった以上それも叶わないけれど。


『私はあんたが何者でも、…ゆうが一人になっても味方でいるわ』

 骸ちゃんにあの黒い携帯を渡されるまでは幸せな日々だった。あの子と出会えてよかったと思えるほどに。とても地味で、私とは正反対なのに私のことを気にかけてくれた先読みの子。意図せず数日間一緒にいる間、驚くほど私をそこら辺の子と同じ、普通の子にしてくれた子。怯えず怖がらず、私と触れ合ってくれた子。


『名前は押切ゆう。見つけたらコレを渡してくれるだけでいいんです。まあ持ち帰ってくれれば報酬は上乗せしましょう』

 貴方はどこにいるのかしら。逃げきれたかしら。歪んだ人生から。骸ちゃんから。一緒に過ごしていればあの子こそが骸ちゃんの探している人だってすぐに分かったわ。だけどあの携帯を渡した日に全てが終わるだろうと分かっていたからなかなか踏み込めなかった。なかなか、手渡す事ができなかった。…手放したくなかったから。
 結局彼女と一緒に過ごしていたことは犬によって骸ちゃんにはバレていただろうけどそれ以上追求もされなかったし、大丈夫だなんて思っていたけれどこうなると…結果ゆうはこちらへやってくることも分かっていたのかもしれない。

 なら私はもう少し強く、あの子を突き放すべきだったのかもしれない。
 もっと遠くに逃げなさいと言うべきだったのかもしれない。それは、私の甘えからきたミス。この仕事が終わればゆうにすぐ会いにいけるようにと判断してしまった私の…最大の、ミス。

 先読み。
 そう言われたところで何とも分からなかったことだし私はそもそもそういうものを信じてはいない。だって彼女はびっくりするぐらい普通の子だったのだもの。バカみたいに真っ直ぐで、真正直で、優しい子。
 こっちの世界には不似合いなあの子をこちらに引きずり込む骸ちゃんの真意は理解できなかったし、先読みというその力は果たして本当に、役立つものなのか私にはよくわからなかったけれど。
 私が欲しいのは先読みの力じゃない。そんなものはいらない。ただゆう、あの子に会いたい。――…また、あなたと会えたなら。なんてそう思わずにはいられなかった。

 またゆうは私の荷物を持ってくれるのかしら?私の心配をしてくれるのかしら?
ああ、でも私は終わる。死にはしないけど、任務は失敗。お金も入らないし、もしも万が一こいつらに骸ちゃんたちが負けたら私も牢獄に逆戻り。
 驚くでしょう、私が失敗を懸念しているだなんて。
 だけどあの一番意味の分からない事を言っていた女に私が負けるのだもの。そう思ってしまうのも仕方ないじゃない。


「……」

 薄れゆく意識。ふんわりと頬を撫ぜる風。視界はもう真っ白で何も見えていなかった。だけどその柔らかな感覚はまるでゆうと一緒にいているようで。辛いのに涙が出ているというのに、笑まずにはいられない。
 BGМがバーズの笑い声なんて本当最悪だけどもうそんな事もどうだっていい。
 手が、舌が痺れている。解毒なんてされる訳もないし、きっとこれぐらいならもう少し休めばもしかしたら動けるようになるかもしれないけれど私はここで、終わり。終わったのだ。負けは潔く認めなければならないし敗者は大人しく舞台から降りるの。それがこの世界のルール。
 だけど、


「……も、いちど、」

 できることならあなたに、会いたかった。


 …愛ね。吐き気がしそうな言葉だけど今なら少しわからないでもないわ。

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